10/04/27 11:33:23 jLy9eEux
○痒さには幸福に似た感情がある。一面幸福とは痒さに似たものではあるまいか。
○いかなる兇悪な詐欺師からよりも、師から我々は欺かれやすい。しかしそれは明らかに
教育の一部である。
○精神の知恵では女は男にはるかに劣るが、肉体の知恵では女は男をはるかに凌ぐ。
○フリードリヒ・ニイチェの思想は要約するに次の一行を以て足る。
「我愛さず。愛せられず。我唯愛さしむ」
平岡公威(三島由紀夫)20歳
「詩論その他」より
159:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/27 11:34:07 jLy9eEux
詩人の中核にあるものは烈しい灼熱した純潔である。それは詩人たる出生に課せられた
刑罰の如きものであり、その一生を、常人には平和の休息が齎らされる老年期に於ても亦、
奔情の痛みを以て貫ぬく。どこまでこの烈しい純潔に耐へるかといふ試みが詩人の作品である。
それは生涯に亘る試作の連続である。然しながら「耐へる」(経験的ナルモノ)といふことと
「試みる」(意志的ナルモノ)といふこととの苦渋にみちたこの結婚には、本質的な悲劇が
宿るであらう。こゝに特殊な形成の形態が語られてゐる。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
「詩論その他」より
160:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/27 11:34:52 jLy9eEux
かゝる純潔はラジウムの如きものである。恐るべき速度を以て崩壊し放射しつゝあるが、
この自己破壊は鉛に化するまで頗る長き時間を要する。詩人の営為もかくのごときものである。
詩人は自らの尾を喰つて自らの腹を肥やす蛇に似てゐる。単なる自己破壊ではない。
それは形成を通して輪廻に連なることができる。詩人の永遠性は自己自身の裡にはじまるのである。
(自己自身から唐突な仕方で永遠につながること)
アルチュウル・ランボオが言つてゐる。
「ひとつこの純潔の度合をじつくり値踏みしてやらう」と。併し神が彼に与へた
運命的な時間は、「じつくりと」値踏みする余裕をもたせなかつた。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
「詩論その他」より
161:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/28 11:09:38 FuB/C3iY
まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着
として、生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、
池水が前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ
存在の意義を比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に
於ける逢会であつた。私は不朽を信ずる者である。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
「別れ」より
162:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 11:02:53 DihhqZlT
叙事詩人とは何者でせう。一体そんな人はゐたのでせうか。僕はこの時代にもどこかに生き永らへてゐるやうに
信じられる一人の象徴的人物のことを考へてゐるのでせう。
その人の目にはあらゆる貴顕も英雄も庶民も、「生存した」といふ旺(さか)んな夢想に於て同一視されます。
その人の目には愛情の遠近法が無視される如く見えながら、実は時代の経過につれてはじめて発見されるやうな
霊妙な透視図法を心得てゐます。その人の魂の深部では、信じ合へずに終つた多くの魂が信じ合ふことを
知るやうになります。その人は変様であつて不変であり、無常であつて常住であります。
三島由紀夫「M・H氏への手紙―人類の将来と詩人の運命」より
163:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 11:03:26 DihhqZlT
その人こそは亡ぼさうと意志する「時」の友であり、遺さうと希ふ人類の味方です。
不死なるものと死すべきものとの渚に立ち、片方の耳はあの意慾の嵐の音をきき、片方の耳はあの運命の潮騒に
向つてそばだてられてゐます。その人は言葉の体現者であるとも言へませう。言葉はその人に在つては、
附せられた素材性を払ひ落し、事実を補へるのではなしに事実のなかに生き、言葉そのものがわれわれの
秘められた願望とありうべき雑多な反応とを内に含んで生起します。我々が手段として言葉を使役するのではなく、
言葉が我々を手段化するのです。―かくて叙事詩人は非情な目の持主です。
安易な物言ひが恕(ゆる)されるなら、人間への絶望から生れた悲劇的なヒュマニティの持主だと申しませうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙―人類の将来と詩人の運命」より
164:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 11:03:52 DihhqZlT
(中略)
思ひかへせばかへすほど、愚かな戦争でした。僕には日本人の限界があまりありありとみえて怖ろしかつたのでした。
もうこれ以上見せないでくれ、僕は曲馬団の気弱な見物人のやうに幾度かさう叫ばうとしました。
戦争中には歴史が謳歌されました。しかし彼らはおしまひまで、ニイチェの「歴史の利害について」の歴史観とは
縁なき衆生だつたとしか思へません。
戦争中には伝統が讃美されました。しかしそれは、嘗てロダンが若き芸術家たちに遺した素朴な言葉を理解する
ことができるほど謙虚なものであつたでせうか。
三島由紀夫「M・H氏への手紙―人類の将来と詩人の運命」より
165:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/07 11:04:35 DihhqZlT
ロダンは極めてわかりやすく慈父のやうに説いて居ります。
「(略)伝統を尊敬しながら、伝統が永遠に豊かに含むところのものを識別する事を知れ。それは『自然』と
『誠実』との愛です。此は天才の二つの強い情熱です。皆自然を崇拝しましたし又決して偽らなかつた。
かくして伝統は君達にきまりきつた途から脱け出る力になる鍵を与へるのです。伝統そのものこそ君達にたえず
『現実』を窺ふ事をすすめて或る大家に盲目的に君等が服従する事を防ぐのです」―この大家といふ言葉は、
古典と置きかへてみてもよいかもしれません。
戦争中にはまた、せつかちに神風が冀(ねが)はれました。神を信じてゐた心算(つもり)だつたが、実は
可能性を信じてゐたにすぎなかつたわけです。可能性崇拝といふ低次な宗教に溺れてゐたのです。
三島由紀夫「M・H氏への手紙―人類の将来と詩人の運命」より
166:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:09:31 kvQtBzNo
最初の特攻隊が比島に向つて出撃した。我々は近代的悲壮趣味の氾濫を巷に見、あるひは楽天的な神話引用の
讃美を街頭に聞いた。我々が逸早く直覚し祈つたものは何であつたか。我々には彼等の勲功を讃美する代りに、
彼等と共に祈願する術しか知らなかつた。彼等を対象とする代りに、彼等の傍に立たうとのみ努めた。
真の同時代人たるものゝ、それは権利であると思はれた。
特攻隊は一回にしては済まなかつた。それは二次、三次とくりかへされた。この時インテリゲンツの胸にのみ
真率な囁(ささや)きがあつたのを我々は知つてゐる。「一度ならよい。二度三度とつゞいては耐へられない。
もう止めてくれ」と。我々が久しくその乳臭から脱却すべく努力を続けて来た古風な幼拙なヒューマニズムが
こゝへ来て擡頭したのは何故であらうか。我々はこれを重要な瞬間と考へる。人間の本能的な好悪の感情に、
ヒューマニズムがある尤もらしい口実を与へるものにすぎないなら、それは倫理学の末裔と等しく、
無意味にして有害でさへあるであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
167:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:10:05 kvQtBzNo
しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。
誤解してはならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を
生ずる時、既に道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ
強さを以て執拗に維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には
報いが落ちるであらう。即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より
卑怯に遁(のが)れんとする者には報いが到来するであらう。
我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に
対して早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から
目を覆ひ、国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を
声高に叫び、彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
168:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:10:39 kvQtBzNo
彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰(あた)かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に
謳歌したのである。沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。
我々は自らに憤り、又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで
持ち来らすに至らなかつた。
軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほど
もちながら、自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。
我々は現在現存の刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。
もし我々に死が訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
169:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:11:06 kvQtBzNo
(中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ
目賭(もくと)したのは「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握され
つゝあるが如く直感されたのである。危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも
招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含する
のである。意識内容はむしろネガティヴであり、意識なる作用そのものがポジティヴであると説明して
よからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な叡智―神である。(中略)
我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その
惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日
正午、異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
170:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:11:33 kvQtBzNo
「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。
我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。
この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみが
いかに同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、
これによつて超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を
得るであらうと信ずる。人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ
忘れ果てて泣くのである。この刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の
極小に於て最高最大たりうることを。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
171:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/11 15:18:24 kvQtBzNo
(中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。
「国民生活を明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも
即刻撤廃せよ」
かくの如きは未だ嘗て大御心(おほみこころ)より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。
この刹那、わが国体は本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す
天皇御親政の世に還つたと拝察せられる。黎明(れいめい)はこゝにその最初の一閃を放つたのである。(中略)
青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。
ますらをぶりは一旦内心に沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、
なよ竹のみさを持せんと力(つと)めることこそ、わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より
172:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/14 17:35:34 TA5TxeR7
日本の詩文とは、句読も漢字もつかはれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して意識することなく
神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところにはげしく煌めいてゐること、さうして
真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、かういふことだけを述べておけばよい。
平岡公威(三島由紀夫)17歳「伊勢物語のこと」より
173:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/14 10:50:27 Ot41t29d
私は鏡の中に住んでゐる人種だ。諸君の右は私の左だ。私は無益で精巧な一個の逆説だ。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」より
174:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/14 10:51:29 Ot41t29d
私は自伝の方法として、遠近法の逆を使ふ。
諸君はこの絵へ前から入つてゆくことはできない。奥から出てくることを強ひられる。
遠景は無限に精密に、近景は無限に粗雑にゑがかれる。絵の無限の奥から前方へ向つて
歩んで来て下さい。
三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」より
175:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/24 10:43:16 V48LsKlo
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』
(さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、
今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを。)
詠人 柿本人麻呂
三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から「潮騒」の題名をとりました。
この歌は、持統天皇が伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂が詠んだ歌です。
ちなみに、潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』だそうです。
176:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/06 23:02:44 3WAA+XSQ
京都では空襲に見舞われなかったが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の発注書類を持って
大阪の親工場へ行った時に、たまたま空襲あって、腸の露出した工員が担架で運ばれてゆく様子を見たことがある。
なぜ、露出した腸が凄惨なのだろう。何故人間の内側を見て、しょう然として、目を覆ったり
しなければならないのであろう。何故血の流出が、人に衝撃を与えるのだろう。何故人間の内蔵が凄いのだろう・・・
それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか・・私が自分の醜さを無に化するような
こういう考え方を、鶴川から教わったと云ったら、彼はどんな顔をするのだろうか?
内側と外側、たとえ人間は薔薇の花のように内も外もないものとして眺めること、この考えがどうして非人間的に
見えてくるのであろうか?
もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花びらのように、しなやかにひるがえし、捲き返して、
日光や五月の微風にさらすことが出来たとしたら・・・・・・
三島由紀夫 「金閣寺」
177:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 14:04:56 X11LsyFS
私は戦時下のあの時代を、一面的に見られることの腹立ちを、いつも抑へることができない。
又、あの時代に不適格者であつたことを誇りにする人の気持が知れない。あの時代に
永い病床にあつて、つひに病死した青年は、自分の心の傷とも闘はねばならなかつた。
しかし文学は、克己的な青年にとつては、嘆きぶしでも愚痴の捨て場でもなく、精神の
或る明るい平静な矜持を保つための方法だつたのである。
なるほど繊細鋭敏な感受性は、戦争には何の役にも立たない。だが、さういふ感受性の
受難の運命は、戦時中だらうと平時だらうと同じことだと悟り、若くして自若とした心を
獲得することは、いづれにしろ一つの勝利だつた。東氏は自分の非運を、誰のせゐにも
しなかつた。
三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より
178:名無しさん@お腹いっぱい。
10/07/09 14:05:25 X11LsyFS
(中略)
明るい面持で、少女について語り、いささかの感傷もなしに、少年期について語り、
感情の均衡を破ることなしに、人間の日常について語ること、それも亦、あの時代には
とりわけ貴重なヒロイズムだつた。ただ耐へること、しかも矜持を以て耐へること、
それも亦、ヒロイズムだつた。
現在の芸術全般には、あまりにも「静けさ」が欠けてゐる。私は静けさの欠如こそ、
ヒロイズムの欠如の顕著な兆候ではないか、と考へる者である。
三島由紀夫「序『東文彦作品集』」より