また騙されて詩文学板に飛ばされたわけだがat POETICS
また騙されて詩文学板に飛ばされたわけだが - 暇つぶし2ch108:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/18 19:09:12 W7Ayb5P7
文学板のラカンスレッドから。
たいして騙された感じはしないw


109:ミスタースミス
10/01/23 21:34:05 b9WPIv44
>>108
ようこそ(笑 ラカンスレの何番の人かな?
スレタイは気にしないでくれ。俺が立てたわけじゃない。
間借りするのに、一番差し障りのないスレを選んだんで。

さて、文学板のデリダスレにとんでもないアホが粘着してる(笑
そのミソクソくんにここで指導してやることにしよう。

110:ミスタースミス
10/01/23 21:36:11 b9WPIv44
ミソクソくんは、自分の間違いを指摘してほしいという。
>デコンストラクションとディコンストラクションの違いにこだわるのは音声中心主義だという事の何が間違いなの?
とね。それに対してこう書いたわけだ。

**************************

グラマトロジー読んでから来いよ。そんなアホなこと恥ずかしくて書けなくなるから。

「デコンストラクションとディコンストラクションの違いにこだわるのは音声中心主義」ねえ…
そんなこと誰が言ってるんだ? デリダの本のどこにそんなことが書いてあるんだ? グラマトロジーの一体何ページだ?
自分の言葉が間違ってないんなら、それを書いてみなよ。
俺が読んだ範囲ではまったく書いてないぜ(笑

それに、デコンストラクションもディコンストラクションもパロール(話し言葉)では差異は聞き分けにくいが、
おまえさんが「ィ」の差異を見ているのは、パロールじゃないぜ。

構ってほしい気持ちはわかるが、おまえの相手をしてもこっちが得るものは「ゼロ」だ。

まあこんなことを書いても理解できないだろうが、おれが書いてたのは
デコンストラクションとディコンストラクションの差異よりも大きな差異、つまり、
デコンストリュクシオンとディコンストラクションの差異だ。
小さな「ィ」の有無は、それを際立たせるためには便利だがね。
それはとりもなおさず、デリダの脱構築とイェール学派らの脱構築批評の差異を際立たせ、
その差異に気づきやすくするという効果を戦略的に孕んでいるわけだ。
だから、デリダの脱構築をいう場合には、俺は「デコンストリュクシオン」ということにしてる。

111:ミスタースミス
10/01/23 21:39:27 b9WPIv44
ミソクソくんは即レスでこう書いてきた。

294-296 :吾輩は名無しである:2010/01/21(木) 23:06:36
「ファロゴサントリスム」という言葉もあるように、音声中心主義というのは二項対立のもとで「真理」や「起源」を絶対的な物と見る思考のことでしょ?
「ディコンストラクションが『正しい』読み方だろ!!」というような
デリダ読んでないの?読んでも理解できなかったの?

イェール学派とデリダを並べて「こっちが『本物』だ」というような単純(バカ)な姿勢の対極でしょ脱構築と言う物は
そういう二項対立を宙づりにするものが脱構築なんだから
ホントバカだね、発音バカ君は

「ディコンストラクションというはつおんにこだわるのはおんせいちゅうしんしゅぎです」なんて書いてあるわけないだろ
ほんと幼稚園かよコイツは
死ねばいいのに

しかも「ィ」にこだわったのは自分なのに
こっちはィがあろうがなかろうがそんな瑣末な事どっちでもいいと言ってるのに、コイツ自分がいってることもわかってないの?
このバカはなんにも理解してないよ

112:ミスタースミス
10/01/23 21:44:37 b9WPIv44
ひまなミソクソくんはさらにこう書いている。

298 :吾輩は名無しである:2010/01/22(金) 23:53:18
スミスとやらはさんざんえらそうなこと書いたくせに返事がなくなったな
逃げたか?

299 :吾輩は名無しである:2010/01/23(土) 15:51:38
逃亡わろすww
フォロゴサントリスムww
音声中心主義の間違いww
大恥かいちゃった!!www

**********************

脳が2ちゃんねる化してるミソクソくんにとっては、
翌日にレスがないと「逃げた」「逃亡」ということになる(笑
自分が常に2ちゃんねるにくっついているものだから、
相手もそうだと思いこんじゃうんだろうな。

そして何よりも
>ホントバカだね、発音バカ君は
>ほんと幼稚園かよコイツは死ねばいいのに
>このバカはなんにも理解してないよ
というレスを繰り返すことでその知性の程度を露呈している(笑

113:ミスタースミス
10/01/23 22:04:40 b9WPIv44
そもそもミソクソくんは最初から間違っている

>212 :吾輩は名無しである:2010/01/03(日) 12:21:50
>デコンストラクションというカタカナ語が日本語として流通してるんだからそれでいいだろ
>バカは黙ってろよ

デコンストラクションというカタカナ語が日本語としては流通しているとはいえないのに、
ミソクソくんは「流通している」といいはるのである。
カタカナ語として流通しているのは「ディコンストラクション」なのにである。

ちなみに、amazonや国立国会図書館で検索すると
タイトルに「デコンストラクション」とつくのは
「デコンストラクション経営革命」内田和成の1冊のみである。

それに対して「ディコンストラクション」という書名は複数あり、
ジョナサン・カラー、Ch・ノリス、富山太佳夫、クリストファー・バトラーなど、
思想・批評の分野の表記はすべて「ディコンストラクション」である。

そしてあろうことか、ミソクソくんは、
「ディコンストラクション」と「デコンストラクション」の差異は見えないといい、
そんな違いはどっちでもいいのだという。
「ディコンストラクション」と「デコンストラクション」の差異が二項対立だというのだ!
これを、ミソもクソもいっしょにする、といわずして何といえばいいだろう!
「ディコンストラクション」と「デコンストラクション」が二項として対立する?
ミソクソくんにかかればこんなところにも二項対立図式が成立するらしいのだ(笑

114:ミスタースミス
10/01/23 22:06:33 b9WPIv44
それでもまだ自分の間違いに気づかないミソクソくんには
このスレにくれば指導してあげると言ってあるのだが、
果たしてそうする甲斐があるものかどうか(笑

115:ミスタースミス
10/01/24 20:19:43 zR7Mhf0F
ミソクソくんの書きこみは続いている。

********************

300 :ザ・スミス:2010/01/23(土) 19:51:44
そんな中、300をゲットしてみた

301 :吾輩は名無しである:2010/01/23(土) 23:19:06 =ミソクソくん
>300
早く反論してね?
バカだからできないの?

303 :吾輩は名無しである:2010/01/24(日) 00:39:21 =ミソクソくん
逃げたか
哀れな逃亡糞ブタだな
スミスとやらは
あ~恥ずかしい

********************

ミソクソくんは301、303と知性あふれる書きこみ(笑)を続けている。
おい、ミソクソくん、300は別人だ(笑

しかも「反論」って(笑
反論っていうのは論があってできるもんだぜ?
その何でもいっしょにするミソクソ説のとんでもロジックを
まさか「論」なんていうんじゃないよな?

116:ミスタースミス
10/01/24 20:21:10 zR7Mhf0F
ミソクソくんにとっては
ザ・スミスとミスタースミスも同じ、
デコンストラクションとディコンストラクションも同じ、
デコンストリュクシオンとディコンストラクションも同じ、
デリダの脱構築とイェール学派らの脱構築批評も同じ、
らしい(笑

そして、そこに差異を見つける考え方が二項対立で
音声中心主義ということになるらしいのだ(笑

二項対立というキーワードだけをどこかで聞きかじり、
コンテクストに関係なく導入できると考えているミソクソくんは、
まさに中学生レベルにあるといえるだろう。

117:ミスタースミス
10/01/27 18:48:41 RcuCMaTk
ミソクソちゃんの主張は主に以下の3点である。

1)デコンストラクションというカタカナ語が日本語としては流通している

2)デコンストラクションだろうがディコンストラクションだろうがそんなもの単なる慣習でどっちでもいい

3)デコンストラクションとディコンストラクションの違いにこだわるのは音声中心主義

まず1番目はすでに書いたようにまったくトンチンカンでデタラメな主張である。
慣習的に流通しているカタカナ語は「ディコンストラクション」である。

2番目の主張もまた、まったく的外れな主張である。
慣習的にディコンストラクションが主に使われている以上、
どっちの表記でもよいという主張は慣習を無視した個人的見解にすぎず、
慣習を重んじるのならば、やはりディコンストラクションという表記を選択したほうがいいのである。

3番目もまた、まったくトンチンカンでどこを向いているのか不明な主張である。
デコンストラクションとディコンストラクションの違いは音声上のものではなく表記上のものである。
よって3番目の文章は論理的に誤りである。また、この表記上の差異を「対立」としてとらえるのも誤りである。

118:ミスタースミス
10/01/27 18:50:11 RcuCMaTk
ミソクソちゃんのこれら3つの主張(トンデモ説)はほとんど価値も意味もないものであるが、
さらに、次の俺の主張に対してはまったくひとかけらの意味も価値もないのは明白であろう。

俺の意見はこうである。
デコンストラクションとディコンストラクションの差異よりも大きな差異、つまり、
デコンストリュクシオンとディコンストラクションの差異に目を向けるべきである。
デリダの脱構築とイェール学派らの脱構築批評の差異を際立たせるためにである。
その差異に気づきやすくするという効果を戦略的に孕ませるためにも、
デコンストラクションではなく「ディコンストラクション」と表記したほうがよい。
そして、デリダの脱構築をいう場合には、「デコンストリュクシオン」としたほうがよい。

ここで表記上の目に見える「差異」を設定する理由については
各自がしっかりとデリダの著作にあたり考えるべきテーマであろう。
すでにデリダの著作を読んできた人にはおそらく理解できることであるが、
デリダを読んだことのない人には理解不能であろう。

119:ミスタースミス
10/01/27 20:51:38 RcuCMaTk
本日の教訓命題№1137

―「差異」のあるところに「対立」を見てはいけない。

120:ミスタースミス
10/01/29 23:34:31 z6LOHVGQ
ミソクソちゃんのパラノイア性についても次回考察しよう。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
10/06/21 01:56:44 IXqwKpdY
「しかし源氏物語を原文で読む人というのは果たしてどれくらいいるのかね。谷崎(潤一郎)源
氏、与謝野(晶子)源氏いろいろありますからね。それと(瀬戸内)寂聴さん訳してみたり。ま
あそういう形でね、活字のメッセージが安易に現代化されていることも便利になった一つだと思
うけど、それだって私は読書だと思いますよ。ただやっぱりね、テレビも新聞もなかったころの
ね、バルザックとかね、ドストエフスキーとかね、デューマとかね。ああいったね、古典的な作
家、今読んでみるととても退屈で読み切れないね。ていうのは、新聞が伝えるような情報をね、
小説が伝えた、あのころね」
「ですからね、行ったことのないね、サンクトペテルブルグとかパリとかね、あるいはローマの
風景はこういうものなのかなていうことね、みんな活字をもって摂取したから、ああいう小説も
なり得たけど、今とてもじゃないけども、やっぱりああいう小説退屈で読めないでしょ。それか
らまたこの間必要があってね、ニーチェ読み直してみたけども、やっぱり昔はとにかくあれで何
とか耐えて読んだけど、今はとてもじゃないが、ああいう翻訳というか、あのボリュームはアダ
プトされないと難しいなと思っていたら、ニーチェの簡訳本みたいなのが出ててね。今それが非
常にベストセラーになっているけども。私も一回それ買って読んでみたいと思ってますけども」

122:オックオン
10/06/24 22:05:18 5DQHBzha
ここだよ


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