幾つかの質問と回答at POEM幾つかの質問と回答 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト41:名前なし 09/10/03 01:12:01 iMOnBdF1 発生という現象のモデルとして、公理と定義さえ決まればその後は何も追加されないという、複雑なトートロジーの成立過程を考えてみてもいいだろう。 ピタゴラスの定理は、ユークリッド幾何学の公理と定義と公準の中に最初からたたみ込まれた形で存在している。 これを導き出すためには、ただ展開していけばよい。ただし人間がこれを行うには、開いていく手順に関する情報が必要となる。 しかしこの情報も、ユークリッドのトートロジーが、言葉やシンボルの中には時間もなく、展開も議論もない。 それが内包するものは、ただあるだけ---といっても空間のどこかにあるわけではないが。 発生とトートロジーが反復と複写の世界を構成する一方で、創造、芸術、学習、進化からなる世界では、 変化のプロセスが、ランダムなものを糧として進展している。発生の本質は予測できる反復であり、学習の進化と本質は探究と変化である。 文化の伝達において、人間は常に複写を試みる。親から受け継いだ技術や価値を次の世代に写し伝えようとする。 しかしこの試みは常に、必然的に失敗する。それは文化の伝達がDNAによってではなく、学習によってなされるからだ。 文化伝達のプロセスは、二つの世界からの混成物と言えよう。そこでは、写し取るという目的のために、学習が試みられなければならない。 親が持っているものもやはり学習による習得物なのである。仮に、何かの奇跡によって、親の技術を伝えるDNAが子に受け継がれたとしても、 それによって伝えられた技術はやはり別物になってしまうだろうし、子の中に生き残ることもできないかもしれない。 これら二つの世界を結ぶものとして、<説明>という文化現象が存在するのは興味深い。 説明とは、見慣れない出来事に出会ったとき、その出来事の地図を---トートロジー体系の上に描き込むことである。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch