07/11/01 19:36:35 JA3ZZ0XC
そして二番では回想が終わり、直子が死んでしまった後。つまり現在のことを歌っている。
まずAメロの「片隅に捨てられて呼吸をやめない猫も どこか似ている抱き上げて 無理やりに頬寄せるよ」
このフレーズは、捨てられた猫と直子を失ったワタナベを重ねている。
生きる糧を失くし、それでも尚生きる事をやめない。そこにわずかな共感を抱き身を寄せる。
「いつもの交差点で 見上げた丸い窓は 薄汚れてるぎりぎりの三日月も僕を見てた」
ここではワタナベと三日月が重ねられている。
闇にポツンと浮かぶ今にも消えそうな線のように細い三日月と一人現世にいながら死んでいるような
不安定で不明瞭な自分の存在を掛け合わせ、互いに見据えあっている。
そしてBメロ「待ち伏せた夢のほとり驚いた君の瞳 そして僕ら今ここで生まれ変わるよ」
この夢のほとりとは、作中にある直子と会えることが出来る奇妙な場所。
そこで死の状態で存在する事を決めた直子、生の状態で存在する事を決めたワタナベ。
二人は一つピリオドを打ち、確かに新しく生まれ変わったと言える。
そしてサビへ入る。「誰も触れない二人だけの国 終わらない歌ばら撒いて 大きな力で空に浮かべたら ルララ宇宙の風に乗る」
これは、直子は死んでしまったけれども直子とワタナベだけの世界はまだ存在しているいうことを歌っている。
それは直子は消えたのではなく、生のうちの一部の死の状態として存在し続けているから。
なのでその世界は消えることはない。終わることはない。そういうことだと。
けれどもそれは一つの真実に過ぎない。だからといって直子を亡くしたことの哀しみを癒すことはできないということ。
それは何をしようとも、どうすることもできないことだと。そしてまたワタナベは葛藤の闇へと沈んでいく。
大サビの最後「ルララ宇宙の風に乗る ルララ宇宙の風に乗る・・・」
ここは、ワタナベは電話ボックスの中で緑に電話をかけるところを歌っている。
「ルララ 宇宙の風に乗る」というフレーズはやはり自分がどこにいるのかわからないまま、未知の何かに流されていく。
そういうワタナベの心情を表しているのだと思われる。自分は今どこにいるのか?ここはどこなのだ?
その疑問を残したまま終わる。