08/10/09 11:47:27 J4JVUcI8
2008年 07月 30日
2007年8月1日、水曜日。
この日は平日だったけど、江東花火大会という大会があった。
二人で、昼前に起きだしたと思う。
ぼくが起きるとチャムはもうおきていた。
一緒にご飯をしようということで、お餅を焼いて食べた。
チャムは海苔を巻いて、しょうゆで食べる
日本のお餅を食べたことがあまりなかったのかもしれない。
おいしかったととても喜んでくれた。
午後からは二人でカラオケ。
別府のサンバリーのそばにあったのと同じ
全国チェーンのカラオケ店で歌った。
東京は物価が高いので、チャムはそれがちょっと気になるみたいだった。
でも一緒にたくさんの歌を歌って、はしゃいで楽しかった。
夕方からは花火の時間だ。
江東花火大会はそんなに大規模な大会ではないのだけど
うちのベランダから見える花火大会なのだ。
もっとも自分自身今のところにすんでもうすぐ6年だけど
それを見たことは一度しかない。
期待していたよりも、ずっと小さく、しかも低い位置に見えて
ややがっかりした記憶がある。
花火ってかなり遠くからでも見えそうな気がするけど
実際にはけっこう近くにいかないとイマイチなのだ。
351:チャムが我が家にきてくれた!~2 ひとつめの失敗
08/10/09 11:48:55 J4JVUcI8
女の子は花火が大好きみたいだけど、チャムもまた花火が大好きなのだ。
夕方、チャムと二人でバスに乗ってでかけた。
会場近くのバス停でおりて河川敷のほうにでる。
途中、焼き鳥を買って、人ごみの中にまぎれていった。
浴衣の人がたくさんでていたけど、
そのときチャムは浴衣じゃなかったように記憶している。
ちょうど葛西橋を超えてすぐの辺り、二人は陣取って腰掛けた。
チャムはカメラで花火の写真や、動画を撮影していた。
葛西橋は、荒川と中川の両方を超える橋だけど、
その真ん中の中洲から花火は打ち上げられているのだった。
ポーン!と乾いた音とともにサァーっと光が広がり
そして闇夜にすぅーっと消えていく花火。
そのはかなさが美しく感じるのだろうか?
自分は花火は美しいと思うし、好きだけど
ちょっとさびしい気持ちになってしまうことがある。
冬の装いのチャム。ぼくと知り合う前でおそらく別府での写真だと思う。
チャムのおしゃれのセンスはぼくはすごくいいと思っている。
いつもかわいらしく、明るく、まとまっている。
352:チャムが我が家にきてくれた!~2 ひとつめの失敗
08/10/09 11:49:59 J4JVUcI8
2007年8月2日、木曜日。
8月2日はとってもバカなことをした日だった。
チャムがうちにきてくれているのに、
将棋の道場に行ったのだった。
チャムも「がんばれ!」なんて応援してくれるから
いい気になって行ったりしたんだけど
今思えば、せっかく一緒にいられる貴重なときに
何も道場なんて行く必要なかった。
帰ってきたら、チャムが料理を作っていてくれた。
だいたい東南アジアとかの人は鶏肉が好きな人が多いけど
チャムもまたそのひとり。
スパイスの効いた鶏肉のスープを作ってくれた。
香辛料はきいているけど、味自体はすっきりしたあじで
とてもおいしかった。
細かく刻んだ鶏肉とトウモロコシがたくさん入っていて
とっても元気のでそうな味だった。
ぼくのうちのこげた鍋で作られた料理としては
最高のものじゃなかったんだろうか?
ぼくはおかわりをして全部いただいたのだった^^
チャムはその夜、ぼくにいろいろなことを聞いた。
「しげのこと、もっともっと教えて!」って。
ぼくはウソはつかなかったけど、自分の苦しい過去の
全てをすぐに話すことはなかなかできなかった。
353:チャムが我が家にきてくれた!~2 ひとつめの失敗
08/10/09 11:54:18 ZEOlOj0f
チャムはぼくのいないあいだに、
ぼくのパソコンをいろいろと調べて
このブログの内容を読んだり、いろいろ知っていて
それでずいぶん悲しい気持ちになったみたいだった。
自分も相手のこといろいろ知りたくなるタイプだけど
チャムもまた同じようなタイプなのだった。
パソコンも携帯もだまっているとみんな見てしまう。
354:チャムが我が家にきてくれた!~2 ひとつめの失敗
08/10/09 11:55:10 ZEOlOj0f
それはチャムがぼくのうちにいるあいだ、ぼくがいなくて一人のとき、
いつもパソコンを調べていたみたいだった。
それはそうだよね。
うちに一人でいても退屈だし、なんでもっと一緒の時間を
大切にしなかったのかと、今更ながら自分のバカさ加減にあきれる。
毎日夜寝る前にぼくの過去を聞きだそうとするチャム。
そして悲しくなったチャムを抱き寄せて、
そして抱き合って寝る。
そんな日々が続いた。
今思えば、チャムには何でも正直に言って
そして、なんとか苦しく、間違いだった過去を乗り越えて
チャムと一緒の新しい幸せをつかみたいということを
そのためにがんばる、という気持ちを伝えればよかった。
心からそう思っていたのだから。
チャムにはぼくの心を伝えることができず
ぼくとチャムの心のすきまになってしまったみたいだった。
ねえ、チャム、許して。バカなぼくを。
チャムがただ好きで、伝えてしまったがために失うことがこわかったんだ。
でもあなたが好きなんだ。それだけなんだ。
どうか、許して、ぼくを。
▲ # by shigeshogi | 2008-07-30 07:58
355:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:37:27 EF+npgDZ
2008年 07月 30日
2007年8月3日金曜日
この日もぼくはバカなことをした。
前々から携帯の調子がわるかったぼくは
買い替えが必要な状態になっていて、
二人で携帯ショップに買いにいくことにしていた。
ぼくはちょっと気になっている機種があって
それが安くでていたら買いたいと思ったけど
品薄で、最初の店でも次のお店でもみつからなかったのだった。
それでちょっと足を伸ばして新浦安まで行って
とても大きな電気店まで行って、ようやくみつけたのだった。
そして、金曜日ということで、夕方から研究会に行った。
もちろんチャムも金曜日だから研究会ということも知っていて
「行ったほうがいいよ」と勧めてくれたこともあるけど
でも、でも、今思えば、1日くらい休んだっていいようなものだ。
しかも夕方で時間があまりなかったものだから、
チャムをうちの近くの駅で降ろし、
バスで帰るようにいったけどチャムは歩いて帰ったのだった。
今思えば、なんでかわいそうなことをさせたんだろう。
花の金曜日を、二人で一緒にすごせばよかったじゃないか。
どうして、そのときにそのことに思いが至らないんだろう。
356:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:39:23 EF+npgDZ
チャムはお金も、ものも、そんなものを
なんでもむやみにほしがったりしない女の子。
ただ一生懸命な気持ちや、真心、
本当の愛をいつも求めている女の子なのだ。
闇雲に高級なお店なんかに行くよりも、
一緒に安くてしかもおいしいお店を見つけることを
喜んでくれるようなタイプの女の子なのだ。
ぼくは貧乏で、何をしてあげられるわけではないけど
一緒の時間はたっぷりとってあげて、
もっともっとチャムをおもいやってあげて、
一緒の時間が楽しくなるように工夫して、
そんなことはいくらでもできるはずなのだ。
どうして、自分がさしあげることのできる、
チャムが望んでくれているものを、
捧げてあげなかったんだろう。
本当にバカだ。
バカ!バカ!雷に打たれて死んでしまえ。
357:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:40:25 EF+npgDZ
その報いを受けて、今やこの苦しみの毎日だ。
力いっぱいの愛を感じられたら、チャムはどんなに離れていても
さびしいからといっても、
決して心変わりをしたりしなかったことだろう。
自分にもたくさん悪いところはある。
チャム、ごめんなさい。許して。
どんな罰でも受けるから。
心から反省しています。
別府か鉄輪のダイちゃんにて。チャムの熱唱中。
チャムとのカラオケは楽しくて、最高だった。
チャムの歌声をまた聴きたい。どうか、お願いします(涙)
358:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:41:35 EF+npgDZ
8月4日土曜日。
この日も、またバカなことをしている。
もう書くのも苦しいくらいのバカなことだ。
今回の中でも最低だのことだ。
この日は江戸川の花火大会の日。
江戸川の花火は江東花火大会とは全然違う大規模な花火大会で
日本全体でもかなりの規模だときいている。
チャムは例によってこの花火を楽しみにしている。
ところが、ところが・・・・
この日、将棋の友達がうちに着たいと言い出したのだった。
さすがに即答はしなかった自分だけど
チャムに相談してしまったのだった。
でもそんなふうに相談されたら、
チャムはやさしい女の子だし、ぼくが将棋をがんばっているのを
とっても応援してくれている女の子だから
「いいよ。せっかくなんだから、きてもらったらいいじゃん」って
言うにきまっているのだ。
なんで「いや、今日は彼女がきてるから、将棋はできない」って
友達に答えなかっただろう。
そしたら、チャムはぶつぶつ言っても
心の中では自分を選んでくれたことをとっても喜んだと思うのだ。
359:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:43:01 EF+npgDZ
そして、花火には一人で行く、といいだして
しかも1時間くらいかかると思うのに歩いていくというのだった。
さすがに途中までは車で送っていったけど
でもそこからでも30分くらいはかかる距離。
しかもせっかくはるばる遠く、愛する彼氏のところまできて
メインイベントともいえる大きな花火大会なのに
一人で歩いていかなくてはならないのだ。
どんなに、どんなに、チャムの心は傷ついたことだろう。
しかも友達がうちにくるに当たって、部屋を片付けていたぼくは
将棋の友達に、彼女がずっと泊まっているということを
知られるのがはずかしい気がした。
それで、チャムのくつを靴箱に片付け、チャムの洗濯物を
しまって隠したのだった。
チャムの性格から言えば、できれば、
ぼくの友達に自分を彼女として紹介してほしい、
と思うほうなんだったと思う。
チャム自身もじぶんの友達を、ぼくに紹介してくれたわけだから。
それなのに、自分はチャムのことを友達に隠す始末。
将棋の関係者は恋愛のことを隠したがる人が多いし
また恋愛慣れしていないために、人の彼女と自然に接することが
できない人が多いために、ついつい隠してしまったのだけど
そのためにチャムにはまたまた誤解を与えてしまった。
自分はぼくの公認の彼女じゃないんだと・・・
360:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:49:48 H6YsSPBU
本当にバカだったと思う。
将棋の仲間が帰ったのはよるの9時すぎだったと思う。
チャムはもううちの近くまで帰ってきて、
近くの公園でさびしくブランコに乗ったりしてるのだった。
部屋に帰って、くつが隠されていることには、
もちろん、気がついた。
チャムの心の傷つき方はいかばかりだったんだろう。
どうしたら、この愚かさ。このバカさの罪を償えるだろう。
どれほどの失点を重ねたのだろう。
その結果は、わりとすぐに現れる。
もう少しあとで書くことだろう。
悲しそうなチャムをなんとかなだめて
一緒にトンカツ屋さんに行った。
チャムは花火の話をいろいろしてくれて
カメラで撮った動画を見せてくれた。
しらないおばちゃんが親切に入れてくれた話とかしたけど
きっと内心はとってもさびしかったに違いない。
361:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:50:59 H6YsSPBU
チャムはうちにいるあいだに知らないうちに
ぼくにだまって、YOUTUBEに花火の動画をたくさんアップしていた。
チャムの悲しみの花火の動画は彼女の名前で検索すれば
見ることができる。
今、思えば、友達はもちろん、せっかく実家は近いのだから
ぼくの両親や祖母など家族に紹介すればどんなによかっただろう。
祖母などは自分が大好きな彼女を得たことをどんなにか
喜んでくれたことだろう。
そして、チャムも家族公認になればどんなに愛されている
と感じられたことだろう。
362:チャムが我が家にきてくれた!~3 失敗続き
08/10/09 15:52:10 H6YsSPBU
どうして30年以上も生きてきて、その程度の頭が働かないのか。
本当に大切なものを守っていくために何をするべきか
知恵を使うことができないのか。
あとになっていくら気がついたって遅いのだ。
チャムは東京が嫌いになったみたいだけど
これはみんな自分のせいだ。
自分が本当はすてきな思い出になるべきだった
チャムの大冒険の旅をすてきなものにしてあげられなかったからなのだ。
これらの失敗の代償はとてつもなく大きくて
もしかして、人生を狂わせてしまったかもしれないほどだ。
大げさでなく、そう感じる。
今、毎日、地獄の苦しみを味わっているけど
それも自分の愚かさゆえとは思う。
でもどうしてもあきらめはつかないし、
心の苦しみからは逃れられないのだった。
▲ # by shigeshogi | 2008-07-30 08:47
363:砂の城
08/10/09 16:03:26 pw0f8MRv
2008年 07月 30日
チャムがこのブログを読んでくれているのか
自分のブログで、おそらく自分に対してだと思われる
メッセージを残してくれている。
おそらくというのは、それがベトナム語で書かれているからで
ぼくもいつも一生懸命辞書で意味を調べながら
読んでいるのである程度はわかるのだけど
それでもどうしても意味が伝わらない部分があるのだ。
チャムに意味を聞きたくても、聞くこともできない。
でもぼくの言葉が届いているのなら、よかったと思う。
なんとか話をできたらいいのに、と思う。
このまま、もし話をすることができないなら
きっとぼくたちは話をすることができないまま
悲しい結末を迎えてしまうかもしれないから。
もし、お互いがやさしい気持ちで譲り合えれば
ぼくたちにはきっとまだ救いが残されていると信じている。
砂の城、という仏教説話を小さいころに読んだことがある。
こどものころの記憶だから、多少思い違いもあるかもしれないが
しかし大筋はあっていると思う。
364:砂の城
08/10/09 16:04:33 pw0f8MRv
こどもたちが浜辺で砂の城を作っている。
こどもたちは夢中になって、城を立派なものにして
城壁を高くしたり、丈夫にしたりしている。
ときにはそれをめぐってこどもたちが争ったりもする。
ところが、夕方がきて、親がこどもたちを呼びにくる。
こどもたちは親の元に帰って、砂の城は放置されていくのだ。
いつしか、波が城にうちつけ、城は砂浜に返っていく。
この話はいかにも仏教らしい話で、
砂の城はまさに私たちが生きている現世のことだ。
一生懸命築きあげても、一時的なもの、
いずれは忘れ去られ、消え去るもの。
仏教的な教訓を引き出すなら、現世的なことにとらわれすぎて
自らを苦しめてはならない、という感じであろうか。
仏教は無常を底流としていて、その上で自然と一体な生き方や
現状を受け入れてその上で前向きに生きることなどを説いている。
なるほど、この世には簡単には受け入れがたい苦しみや
悲しみが満ちているから、それを受け入れなくて
ある程度はあきらめながらでなければとても生きてはいけまい。
私は別にこの考えを否定するつもりはない。
自分も(誰しも)ある程度はそうやって生きているのだから。
365:砂の城
08/10/09 16:12:41 pw0f8MRv
とはいえ、もし、全てのことを受け入れて
全てをあきらめてしまうならば、生きていることに
いったいどんな意味があるというのだろう。
たった一人、さまよい、もがき、ようやくめぐり合った
大切な恋人、愛するチャム。
それをあきらめてしまって、
ぼくたちがこの1年間ずっと大切にしてきたものを
海の波に流してしまうのだろうか?
ぼくは、うつろいやすいこの世の中が大嫌いだ。
自分が大切にしてきたものは、
今までみんな時の流れの中に消えてきてしまった。
小さいころの夢、希望、大切だった初恋。
将棋でも決して一流にはなれなかった。
娘には会えなくなってしまった、
ぼくのおじいちゃんも当たり前のようにいなくなった
公美も遠くに行ってしまった。
街も、人も、友達も、みんなかわっていってしまう。
変化はいつもいつも悲しみばかりをぼくにもたらした。
いつか、ぼくをかわいがってくれるおばあちゃんも
そして、両親も、そしていつか自分自身も
時間の波の中に消えて行ってしまうのだろう。
366:砂の城
08/10/09 16:16:20 pw0f8MRv
だけど、自分は一生にひとつくらい
せめて、自分が生きているあいだくらい
心から大切なものを見つけて、ずっと大切にしたい。
そのひとつが、チャム。
人生の1%以上はもう一緒にいた。
もう、そんな大切なもの、失いたくないんだ。
全部、全部、全部、大切にもっていきたい。
生きている限り。
ベトナムは精神的には日本人と近いとチャムとしりあって
思うことが多かった。
仏教を基調としながら、儒教やキリスト教の影響も
柔軟に受け入れているので
タイほど強い仏教色でもないし、
また中国人や、韓国人と比べれば押しが強くなくて
とても人当たりがやわらかい。
中国の強い影響や圧力を受けながら独自の文化を
築いてきた歴史があるし、
アメリカや中国とも現実として戦ってきた。
日本人とベトナム人はこれからもきっと
仲良くしていけるのではないだろうか?
367:異邦人さん
08/10/09 16:18:25 KNcVt9kh
この辺見るとフラれてもしかたないな 自業自得
逆恨みもはなはだしい
368:砂の城
08/10/09 16:28:53 pw0f8MRv
チャムのこと、チャムの家族のこと、チャムの祖国のこと
全部受け入れていけると思う。
チャム、愛してる。
会いたいよ!話したいよ!抱きしめたいよ(;;)
去年の暮れ、クリスマスイルミネーションの前にて。
暗い中でうまく写っていないけど、ぼくたちはたしかに一緒にいるよ。
ハートの前いる。たしかにいるよ!
ぼくはバカだからチャムが好きなら、バカみたいに、
チャムが好きって言うことしかできない。
打算も計算も駆け引きもできない。
でも本当に、本当に、そうなんだ。好きなんだよ。
▲ # by shigeshogi | 2008-07-30 10:54 | チャム
369:異邦人さん
08/10/09 16:37:04 4PjAoVJE
江東花火大会、漏れも行ってた。
近くにいたかも犯罪者。
しかしこいつ学習能力ねぇな
370:異邦人さん
08/10/09 17:22:01 oFFwfkvU
こりゃ振られても仕方ないな。チャムじゃなくても振られるわ。いくら18切符でも、若い女を駅で夜明かしさせるとか…車あるなら迎えに行ったれよ^^;
371:チャムが我が家にきてくれた!~4 小康の日
08/10/09 19:13:39 Dz6ZVlu/
2008年 07月 31日
7月ももう終わりになった。
今月末の家賃は払えなかったし、契約が満了になるので
更新料がかなり高くかかる。
それに家賃も一気に8500円も値上げされる。
来月のクレジットカードの支払いもできないことになりそうだ。
2ヶ月連続チャムのところにいって、そのときのお金が相当かかっているので
いっぺんに請求がきてかなりきつい。
チャムのことをはじめ、もうありとあらゆることが行き詰まりになって
もうどうしようもないという感じ。
チャムはどうして連絡くれないんだろう。
ひどすぎる。
バカにされているのかとも思う。
ぼくは何があったとして、チャムにとって他人ということは絶対ないのに。
でももういいか。どうせぼくは、もう長くこの世界にはいられない。
それなりに一生懸命生きてきたのだから、もうくよくよするのはやめよう。
372:チャムが我が家にきてくれた!~4 小康の日
08/10/09 19:15:10 Dz6ZVlu/
8月5日日曜日
この日の記憶がどうしてもない。
日曜日だから、道場に行ったりしたのだろうか?
だとしたら、チャムにさびしい思いをさせただろうと思う。
だけど、本当にわからない・・・
大分宇佐神宮での写真と思われる。
チャムは写真が好きでチャットしながらたくさんの写真を見せ合ったものだ。
8月6日月曜日
この日は二人で渋谷東急将棋祭りに行った。
都営の一日乗り放題の切符を買って、交通機関乗りまくりの一日。
まずはバスで船堀にでて、新宿線で、森下まで。
森下からは大江戸線に乗り換えて勝どきへ。
勝どきはお昼のランチの目的地があった。
以前にも書いたことがあるが「天竹」というランチ超おすすめのお店。
じぶんのじいちゃんともゆかりのあるこのお店に
チャムを連れて行ってあげたかったのだ。
勝どきから勝鬨橋を渡って、築地へ。
二人でおいしいかき揚げ丼を頂いて、満足な出だし。
そのあと、築地駅まで歩き、築地から六本木まで大江戸線。
六本木からはバスで渋谷へ。
こんな筋の悪い行きかたなのは、700円の都営一日乗り放題パス
で一日を済ませるための方法なのだけど
この方法はいやがる女の子も多そうだけど、
チャムにはよかったみたいで、喜んでくれた。
373:チャムが我が家にきてくれた!~4 小康の日
08/10/09 19:16:43 Dz6ZVlu/
渋谷東急ではぼくが大会に出ている間、イベントをみたり
他の売り場や、お店を見て回ったり
でも東京は物価が高いからか、何も買ったりはしないのだった。
席上対局を見るために座っていた席で
隣のおばちゃんと仲良くなって「うちも旦那が将棋が好きで」
とかいう話をしたりしていた。
ベトナムからきた留学生だという話をしたら、おばちゃんは
とっても感心したみたいで、ぼくたちふたりを
がんばってね、いつまでも仲良くしてね、と応援してくれるのだった。
大会は128人参加のトーナメントだから、
勝っても勝っても対局が続く。
5回戦くらいで、このブログを読んでいたという
あるベテランに負けた。さえない。
でも帰りに二人で乗り込んだエレベータにその日のゲストだった
加藤一二三先生が乗り込んできてくれて
ぼくもチャムも二人とも気がついてにんまりするという
楽しいハプニングもあった。
この日は比較的、二人とも楽しい気持ちで過ごせた一日だったと思う。
▲ # by shigeshogi | 2008-07-31 18:49
374:異邦人さん
08/10/10 01:05:32 ois63+SA
山田は振られたのは自分のミスだと思い込んでるのがそもそもの間違い
ミスじゃなくて山田自身の人格の問題
375:異邦人さん
08/10/10 10:30:12 qW6i//l8
自分はいろいろ心変わりしたり妻子捨てたりしてるのに
自分が振られた立場になると、相手ボロクソに書くんだね。こわー。
376:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 10:55:25 OPAWFEJv
2008年 07月 31日
永遠に続くかと思われた、ぼくとチャムの東京での日々。
毎晩布団を並べて眠って、そして毎晩抱き合った。
この日々がぼくたちの心の中でずっとずっと
大切なものでありますように!!
愛しています、チャム!
8月7日火曜日
この日は、チャムと一緒に海に行った!
九十九里の雄大な海だ。
でも、でも、この日もまた失敗があるのだ。
10時くらいに起きて、
この日はチャムがやきそばか何かを作ってくれたのだと思う。
それを食べて、支度をして、さあ行こうかという段。
チャムがお金がないから郵便局でおろしていく、と言った。
時間は11時くらい。
それでチャムをうちの近くの郵便局で下ろして、車で待っていた。
ところが、郵便局のATMの調子が悪かったからかどうか
うまくお金がおろせない。
何度も失敗するうちに、ついに、セキュリティが働いたのか
カードとかが機械に飲み込まれてしまって
それをだしてもらったり、手作業でお金をおろすための
手続きをしたりで、なんだかんだと時間がすぎていく。
海は3時くらいには閉めてしまうところも多いから
時間があまりないのに自分はイライラしてきてしまった。
377:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 10:56:25 OPAWFEJv
それで番号札をとって待っているチャムに
「もうお金なんていいから、出してやるからとっとと行こうよ」
と言ってしまって連れ出してしまったのだった。
そのあともイライラで、ついつい無口になってしまって
チャムを心配させてしまった。
今まで何度も何度も繰り返してきたような失敗なのに
ここでもまたやってしまったのだった。
せっかくの楽しいドライブを自ら台無しにして本当にバカな人間だ。
でもチャムが気分を盛り上げてくれたので険悪にならず
なんとか九十九里浜までついた。
だけど、どこのビーチに行くか決めてなかったので、
ついてからうろうろと回ったり、またバカなことをやっている。
ようやく公営のビーチを見つけて車をとめて海に入ることができた。
チャムのかわいい水着姿を、再び眺めることができた。
しかし、前回のプールといい、
なんで写真をとっておかなかったのだろう。
ずっと大切な記念になったのに。
九十九里の海は外海なので、波が大きく迫力あるのだった。
その日も場合によっては頭まですっかりかぶってしまうような
大きな波で、チャムとぼくは手をつなぎながら
いっせいのせ!で、波を飛び越えたり、
波がきそうになったら、ぼくがチャムの体を持ち上げたり
2時間ほども波と戯れたと思う。
378:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 10:57:11 OPAWFEJv
帰りは海の家でシャワーを浴びて、また帰り道。
まだ3時過ぎだったので、ばんごはんにはちょっと早い
と思って一般道をダラダラいくことにしたのが運のつき。
今度は千葉市が近づくにつれて渋滞に巻き込まれてしまった。
チャムは、助手席でお昼寝。
きっと疲れていたんだね。
ぼくが疲れさせたのかもしれない。
ごめんね。
でもチャムが助手席でシートを倒して
お昼寝しているのはかわいくて、なんかうれしかった。
チャムがお昼寝から覚めても、渋滞は続いていて
もうお腹ぺこぺこだよ、ってなるまで
ばんごはんを食べることはできなかった。
店の選び方も間違えてしまって
きっとチャムはがっかりしただろうなあって思った。
ホント、このときはどうしてこんなに失敗続きなんだろう。
自分が悪かったし、運もすごく悪かった。
せっかくの一緒の時間をどうしてもっとすてきに演出して
あげられなかったんだろう。
チャム、ごめん。本当にごめん。
心から謝ります。
どうか、もう一度ぼくにすてきな思い出を作るチャンスを下さい。
一からみんなやり直したい・・・・
ぼくが本当に悪かった。全部悪かった。
許して。。。
379:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 10:58:46 OPAWFEJv
去年の暮れ、広島のクリスマスイルミネーション。
この日もまたチャムはとってもかわいい!
ぼくたちの幸せはずっとずっと続くと信じていたよ。
8月8日水曜日
この日はチャムの誕生日。
8日に日付が変わった途端、ぼくは
「お誕生日おめでとう!」を言ったのだった。
ぼくは本当はこの日チャムとディズニーランドに行くつもりだった。
誕生日を楽しむにはふさわしい場所だと思ったし
そこでチャムと一緒にすてきな誕生日プレゼントを
選べたらいいなって思っていたのだ。
ところが、ところが・・・・
チャムは、前の日の晩に「今日、帰る」と言い出したのだった。
チャムは1ヶ月くらいいる予定だったので本当にショックだった。
いろいろ考え直すように説得したけど、
チャムの決意は固くて、どうしても変えることができなかった。
あまりにもバカなことをしてきたから
仕方ないことかもしれないけど
でも、でも、あまりにも悲しかった。
380:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 10:59:44 OPAWFEJv
チャムはぼくが本当にはチャムのことを愛していない
って感じたみたいだった。
そう思うのも無理はなかった。
自分はいつもバカで、わがままで、
いくら好きでも、そのときの感情に負けて
相手を傷つけてしまったり、悲しませたり
そんなことばかり、してきたから。
でも、チャム、君を愛してないなんてこと、絶対ないんだよ。
その日の夜、ぼくの部屋で二人は布団を並べて寝ながら
あまり話すことも交わることもなかった。
でも明かりを消して、横になっていると
チャムはぼくのところにすりよってきてくれるのだった。
ぼくにキスをして、ほおをなで、抱きしめてくれた。
泣いているようだった。
ぼくの下の服を脱がして、ぼくのものを口で愛撫してくれるのだった。
ぼくは無言でそれを受け入れて、喜びを感じた。
しばらくして自分のものが大きくなってくると
チャムは自分にまたがってきてくれた。
チャムも下の服は着ていないようだった。
手を指し伸ばすと、そこはもうとても潤っていた。
チャムはぼくの体にまたがったまま、少し体を持ち上げると
仰向けに眠ったままのぼくの上に少しづつ体重を落とし
それにつれて、自分のものはチャムの体に包み込まれていくのだった。
完全に奥深くまで、チャムと結ばれた感触があった。
そうするとチャムは腰を激しく振るのだった。
チャムの体のうごきははげしくて、ぼくの口からはため息が漏れ
時には「あ・・・」とか声もでてしまうのだった。
381:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 11:05:33 vpNVC3+I
チャムはびっくりしたみたいに「痛かった?」と聞いた。
ぼくは「ううん、すごくびっくりしただけ。痛くないよ」と答えた。
チャムは「ねえ、私たち友達になろうね。Hをするだけのヤリ友に」
「これからも、ずっとずっとHしようね」
「たとえ離れ離れになっても、ずっとずっとHな友達だよ」
チャムがどういう気持ちで言ったのか、今ではよくわからない。
チャムに一度聞いたことがあったけど「そんなことあったっけ?」と
はぐらかされてしまった。
ぼくももちろんチャムとずっとずっとHをしたいし、
そして、ずっとずっと友達でいたい。
でもずっとずっと恋人同士でもいたかったから、
チャムの言うことにどう返答するべきなのか、よくわからなかった。
でも、そのときはとにかく、チャムとずっといられれば、
ぼくはいいと思ったのでそれ以上追求しなかった。
いつしか、ぼくたちは到達して
そして寄り添って東京での一緒の最後の眠りについた。
ぼくからのメールの着メロをチャムは大塚愛の「さくらんぼ」に
していてくれた。ぼくたちは離れていてもずっとずっと一緒。
二人ともそう信じていたと思う。
でもチャムの携帯がぼくと一緒の会社からソフトバンクにかわったとき
着メロは「鉄道賛歌」に変わってしまったのだった。悲しい。
382:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 11:06:47 vpNVC3+I
日が昇って、翌朝。
せっかくのチャムの誕生日はお葬式のような
別れの一日になってしまった。
その日の夜の「ムーンライト九州」という夜行普通電車に
接続できる電車ということで逆算して
東京を午前中に出発しないといけないからだ。
ムーンライト九州の予約はかろうじて取れて、
チャムに切符を買ってあげることができた。
また新小岩駅まで送って行って、そして駅の改札で別れた。
でもチャムの姿が階段に消えると、
このままいてもたってもいられない気持ちになって
スイカを使ってそのまま中に入り、
そしてチャムの姿を追った。
なんとかホームで電車を待つ、チャムにおいついた。
チャムはびっくりしたみたいだった。
快速電車やってきた。
チャムにキスをした。
チャムは泣きそうだった。
ぼくも泣きそうだった。
でも電車は走り出した。
ぼくは電車が見えなくなるまで見送ってそして駅をあとにした。
車に戻ったぼくをまっていたのは、駐車違反で職務質問を
しようと待ち構えていた、新米警察官。
でもなんとか職務質問で済んで、切符は切られなかった。
383:チャムが我が家にきてくれた!~5 別れの誕生日
08/10/10 11:07:34 vpNVC3+I
車を移動させるとさっそくチャムからメールがきていた。
何度も何度もメールがきた。
きっとチャムは泣いているんだろうな、って思った。
ぼくもチャムにメールを返しながら泣いていた。
でもぼくとチャムとの物語は、まだ決して終わっていない。
これからぼくたちの物語はまだまだ続いていく。
のちにチャムが言った。
「シゲは誕生日に一度しかおめでとうを言ってくれなかった」
まもなく、それから1年。チャムの誕生日がやってくる。
▲ # by shigeshogi | 2008-07-31 20:28
384:<注>
08/10/10 11:15:30 vpNVC3+I
次回からはいよいよ8月、最後の一週間です。(これがまた長い)
様々な苦難を経て、ストーカー回顧録は最終章にたどり着きました。
ノーベル文学賞の候補にこそなりませんでしたが、
その溢れる文才もこれで見納めです。
385:別府へのドライブ
08/10/10 13:35:33 4I7M6/uU
2008年 08月 01日
チャムと4度目のめぐりあいになる、別府へのドライブの物語。
東京と別府は道のりでは約1200キロ。
平均時速50キロと仮定しても、24時間の旅だ。
しかもそのときは節約のために、高速道路は最低限の使用
ということで行くことを決めたのだった。
時は2007年9月10日。
この日の深夜、愛車NAKEDを駆って、
東京を出発したのだった。
深夜に出発したのは混雑を避けるため。
とりあえず一般道を通って、東京を抜けるが用賀からは東名に入る。
これは深夜100キロ以内50%割引のサービスを利用するためで、
これで箱根を越えて富士の裾野インターまで行かれる。
インターを降りた後、少し道を間違えて、富士のふもとの森の道に
迷い込み、不安を感じるが、なんとか海沿いに戻り
それからは国道1号のバイパスをひたすら進んだ。
メールで応援してくれていたチャムもこの辺で寝るとのメール。
夜中1時ごろ、音楽を聴きながら、ひたすら西に向かった。
明け方くらいに名古屋に入る。
386:別府へのドライブ
08/10/10 13:37:21 4I7M6/uU
翌日はチャムには言わなかったが、
実はセイクラブで知り合った友達と会うことになっていた。
れぶんさんというハンドルで年上の主婦の方。
チャムより前にセイクラブで知り合って、
ただお互いに恋愛感情はなくて、友達として
チャットしたり、時には電話で話したりしたこともあった。
チャムとのことを喜んでくれて、よく相談にのってもらっていた。
ただの友達だから本当はチャムに隠す必要はなかったのだけど
誤解されるのがイヤでついつい隠してしまった。
でも結局バレるのだが・・・
名古屋について、駐車場のあるマンガ喫茶で仮眠。
あまり眠れなかったがそれでも3時間くらいは
仮眠できただろうか?
起きて、れぶんさんと東山動物園前で待ち合わせて
ランチを一緒に食べて、そのあとトヨタ博物館に行った。
前から一度行ってみたかったので、けっこううれしかった。
クラシックカーをはじめ、実車で振り返る日本車の歴史
というような作りになっていて、とてもよかった。
387:別府へのドライブ
08/10/10 13:38:56 4I7M6/uU
れぶんさんと別れると、再び西へ。
れぶんさんのアドバイスにしたがって、
まずは四日市に向かい、そこから名阪国道を利用することにした。
ここは奈良の天理まで高速国道の無料区間なので
とてもお得だとのことだった。
しかし、三重方面に向かう国道は大渋滞。
しかも雨が降って、次第に強くなり、しんどい時間が続いた。
名阪の入り口のところまできて
力尽きて、車を止めて仮眠をとった。
目が覚めてもまだ強い雨が降り続き
名阪の山越えの道を越えるときに雨風が吹きつけ
たいへんにこわかった。
天理からは地図もなくて道に迷いつつも
コンビニなどで道を調べながら、なんとか堺から大阪湾沿いに。
ちょっと高速を利用したりもしたが、
兵庫に入ってからは国道2号一本になって再び道が
わかりやすくなった。
またこのあたりは国道がバイパス化されていて
スムーズに走れるのだった。
しかし、兵庫から、岡山、広島は本当に広い。
走っても走ってもつかないという感じ。
388:別府へのドライブ
08/10/10 13:40:02 4I7M6/uU
特に東広島市のあたりなどは永遠に続くかと思うほどだった。
しかし東広島を抜けて、広島に入ったあたりから
夜が明け始めて、明るくなってきた。
なんとか朝の渋滞などにも巻き込まれず、
宮島を通過しながら山口方面に。
山口あたりでは眠くて、限界が近づいていることを感じたので
フリータイムで入れるラブホテルをみつけて
眠ることにした。
3千円くらいかかったけれども、お風呂とベッドはありがたかった。
チャムとキスする前に、ひげをそっておくことができたから!
時間ギリギリまで眠ることができて、
そして再び、西に向かった。
しかし、距離の壁は大きく、下関に入るあたりではもう日が落ち
関門トンネルを抜けたところでは完全に日が暮れた。
最後の追い込みで高速道路を少し使い、別府にたどり着いたのが
2007年9月12日の夜9時くらい。
全部合わせると約48時間の旅か。
389:別府へのドライブ
08/10/10 13:42:05 4I7M6/uU
チャムはバイトで鉄輪にいたので、
鉄輪のコンビニで待ち合わせることになっていた。
自分が先にコンビニにつき、チャムを待つ。
車を降りて、腰を伸ばすのが気持ちよかった。
コンビニをうろうろしていると・・・・チャムがきた!
コンビニの駐車場でチャムを抱きしめてキスをすると
チャムははずかしそうだったけど、
抱擁とキスを返してくれたのだった。
時間も遅かったので軽めで、ということで、
思い出のラーメン「くーた」でばんごはんを食べたのだった。
そのあとはチャムのアパートに直行。
そして、そのあとは久しぶりの出会いを
体で確かめ合ったのであった。
URLリンク(pds.exblog.jp)
式典用礼装のチャム。ちょっとおすまししていて、かわいい。
▲ # by shigeshogi | 2008-08-01 14:21
390:引越し準備の一日
08/10/10 14:18:54 bpqUsYKX
2008年 08月 02日
2007年9月13日
朝、1Fに寝ているぼくのところに
2Fからチャムがやってきてくれて一日が始まる。
たぶん、朝から抱き合ったのだと思う。
外にでると突き抜けるような
別府の青い空が広がっていたことを思い出す。
この日は、引越し準備の一日だった。
荷物はチャムが段ボール箱などにまとめてくれていて
それを車に積み込んでいくのだった。
チャムのアパートは車をすぐ横付けできない構造だったので
いったん台車にダンボールを積み、石畳のところを
ごろごろ転がしながら車まで運び、積み込んだのだ。
チャムと二人の共同作業。
たいへんだったと思うけど、とってもいい思い出だ。
チャムがもてないような重いものを、運んで上げられるのが
うれしかった。
391:引越し準備の一日
08/10/10 14:19:59 bpqUsYKX
車も最初は積みきれるのか、ちょっと自信がなかったけど
うまいぐあいに荷物は収まっていき、
なんとか人間2人と、全ての荷物を
ぴったり運べそうなことが明らかになっていった。
二人で一緒に汗を流して仕事をした一日はぼくの誇りだ。
一番最後、チャムは音楽のキーボードをもってきて
もうしわけなさそうに「これももっていっていいかな?」と言った。
ぼくは別に遠慮することないのにと思って
「もちろん。そりゃ、入らなくて積めないなら仕方ないけど
積めるならなんでももっていこうよ」と言ったら
チャムはうれしそうにキーボードを積み込むのだった。
それからチャムと一緒にお風呂に行く。
チャムがずっと月ぎめで通っていた、末広温泉にいくのも
チャムはこれが最後の一日なのだ。
お風呂屋さんの管理人に鍵を返し、チャムと一緒に挨拶を
させてもらったのだった。
(チャムと最初にこの末広温泉に行ったとき
チャムがグリーンのタオルをくれた。
そのタオルは今でも大切なときに使うタオルになっている)
392:引越し準備の一日
08/10/10 14:21:52 bpqUsYKX
お昼からは一番館で焼肉を食べて、
午後からチャムのいろいろな手続きのお手伝いをした。
大分の銀行の口座を解約するために車で銀行を回ったり
たぶんダイちゃんでカラオケもしたし、
そのあと、APUにも行って、手続きをして
さらに、チャムのバイト先の風月ホテルにいって
給料の精算とかをしてもらったのだった。
そして、その給料のおかげか夜はちょっとぜいたくをして
「水天」でお寿司を食べたのだと思う。
しかもこのときチャムがごちそうしてくれて、
とってもうれしかったことをよく覚えている。
ぼくとチャムが一緒に食事をするときは
たいていはぼくが払うのだけど
何回かに1回チャムが「たまには・・・」って言ってくれて
その心遣いがとってもうれしいのだった。
その日の夜、チャムは「しげも卒業式にでてくれるの?」と聞いた。
自分はいい服など何ももってきていなかったから
ちょっとはずかしかったけど
「こんな服でもよければ出させてもらってもいいかな?」
と言ったら、チャムは喜んでくれるのだった。
自分はチャムの卒業式に立ち会うことになった。
そして抱き合ってから、チャムは2Fに帰って言った。
URLリンク(pds.exblog.jp)
▲ # by shigeshogi | 2008-08-02 01:22
393:Anh Yeu Em!
08/10/10 14:23:30 bpqUsYKX
2008年 08月 02日
Tram a, Tram oi!
このメッセージを読んでくれていると思います。
ねえチャム、一度でもとにかく話し合いましょう。
いっぺんに問題解決はできなくても
何か解決の糸口は見つけられるはず。
まだ間に合う。なんとか間に合ううちに。
どんな方法でもかまいません。
394:Anh Yeu Em!
08/10/10 14:24:08 bpqUsYKX
私たちは1年以上、なんでも一緒に話し合ってやってきたじゃないですか
知恵を使ってなんとかましな方法をさぐりましょうよ。
私もたくさんあなたの言い分を聞くつもりでいます。
今でもあなたを愛しています。
あなたの繊細で、複雑な心を理解して
尊重しようという気持ちをもっています。
待ってます。もう時間がない。
▲ # by shigeshogi | 2008-08-02 01:24
395:異邦人さん
08/10/10 17:23:43 H8N6aSw6
事件が「時間がない」の結果なわけか・・・。
気分で人を傷つけるような描写があるからうまくいくはずがないね。
毎回お疲れ様です。ラストスパート、がんばってください。
396:異邦人さん
08/10/10 22:00:42 9jvua4/I
>>379
8月8日ってチャムの誕生日だったのか・・・
山田の話には誕生日がよく出てくるが
何か特別な思い入れでもあるのか
そしてあの事件とも関係があるのか
時間が無いとはどういうことなんだ
397:異邦人さん
08/10/10 23:19:08 qW6i//l8
チャムがこのブログを読んでいる前提で書いているようだから
こういう人の「時間がない」っていうのは、相手の同情をひくためだと思う。
もしかして病気なの?とか、もしかして自殺する気じゃ?とか思わせたいんじゃないの。
チャムに返事の期限まで設けてるみたいだし、色々焦燥感にかられてる風にみせて
相手を呼び戻そうとしてると思える。勝手に推測してるだけだけど。
398:異邦人さん
08/10/10 23:54:58 Yae9NIuZ
チャムって可愛い写真とそうでない写真の差が激しいね。
399:異邦人さん
08/10/11 03:55:11 rnFcrZ35
メタボな金正日顔なのに、基本的ベースの性格は女性的なんだよな。
やたら記念日を気にしたり、そもそも恋愛依存症だしね。
男がアヒルンルンなんて言ってるのは、バカじゃねえと思うんだけど。
クミとかチャムの記述を見ると明らかにキチガイなんだけど、
将棋仲間には親切だったり、キチガイなだけの男でもないんだな。
ブログの最初の方に書いてあるけど、そもそものブログを始める
きっかけは民間のカウンセラーに勧められたから。
クミに振られて落ち込んでるときに自分の不満を
ブログに書くとよいとアドバイスされたから。
書くことで不満を昇華するというか、気が晴れるというか。
だから、精神的に追い詰められたときに、ブログへの記述が
時系列は関係なく、飛躍的に増大する。
クミやチャムへの連絡の目的もあったろうけどね。
文章に書いて気を晴らす方法もわからないでもないんだけど、
シゲの場合はそれが裏目に出たんじゃないかと思うね。
書くことでますます自分のメチャクチャな妄想を増幅させていった。
もともとはそんなにおかしな人間でもなかったのに、あるときから
ドンドンおかしい方向へ振れていったのかなという気もする。
かつて少年院だか、鑑別所に入れられたとか、精神病として診断された
経験もあるとか。
そこらへんの事情はブログを読んでも詳しくはわからないんだけど
マトモな精神科医やカウンセラーに出会ってればこうはならなかったかも。
400:異邦人さん
08/10/11 15:16:22 zliSjkMb
しかし、この「時間がない」は犯行という結果になってしまった。
「ブログを見ている」と信じ込み、「見ているのにそれでも無視する」と思い込む。
その被害妄想で犯行まで至った。
以前の記述にあった「自殺するくらいなら相手を殺すと思う」を地でいったんだな。
怖いわw
401:異邦人さん
08/10/12 22:17:58 IicUITsM
次はまだ~?
402:異邦人さん
08/10/13 14:17:13 5NjMi6S3
早く読みたーい。
403:異邦人さん
08/10/13 22:15:27 S7Qrqojz
結局、被害者ってチャムなの?
404:異邦人さん
08/10/15 04:11:23 UMg21lfn
続きマダー?
405:異邦人さん
08/10/15 11:01:59 UqFJdd51
すいません、プロバイダが規制されていました。m(__)m
406:チャムの卒業式
08/10/15 11:05:14 UqFJdd51
2008年 08月 02日
2007年9月14日
この日は卒業式の一日だった。
ぼくがのんびり寝ていると、
チャムは早くも支度に忙しかったみたいだ。
そして、現れたのは、アオザイを着たチャム!
あの写真で見た金色のアオザイをきてくれたのだった。
すごくすてきだったけど、自分は女の子の服をほめるのが
得意じゃなくて、うまくその気持ちを伝えられたかどうか。
それから、2人で車で出発した。
引越しの荷物が既に満載の車は重そうにガタゴトがんばるのだった。
そして、亀川というところで、前日に引き続き
チャムの銀行の手続きをしたあと亀川方面からAPUへ。
この道はチャムもあまり通ったことがないという
山登りのちょっと細い道の上、
霧でどんどん見通しが悪くなって、
ちょっと不安な冒険ドライブになった。
でも登り続けたら、チャムが「あ、APハウスだ」といって
そこはもうAPUの学生寮なのだった。
407:チャムの卒業式
08/10/15 11:07:05 UqFJdd51
チャムはベトナムから別府にやってきて、
最初このAPハウスにしばらく住んでいて
そのときの話とかをきかせてもらったことがある。
一度だけ韓国人の学生にだまされてお酒をたくさんのまされ
やられてしまったことがある、という話を
きかせてくれたことがあって、
チャムは韓国や韓国ドラマとかが嫌いなのであった。
(チャムはだから嫌いなわけではない、と言ってる)
でもチャムはこのときを含めて、
たぶん4人の人としか経験がないんだと思う。
ぼくたちはなんでも話し合う関係だったから、
たぶんこのことは本当なんだと思っている。
ベトナムにいたときは大学まで全然男女交際とかとは
縁がなくて、本当はとてもまじめな女の子なのだ。
卒業式の日ということもあって
APUには学生がいっぱいいて、
しかもそれぞれの国の民族衣装などをきていたりするから
とっても華やかですてきなのだった。
山の上では霧も晴れ、青空が広がって、皆を祝福していた。
408:チャムの卒業式
08/10/15 11:09:48 UqFJdd51
チャムは卒業式のための式典用の学帽や、上着を受け取り
それに着替えた。
そして記念撮影大会。
ぼくもチャムやチャムとの友達の写真をいっぱい撮った。
卒業式が始まった。
式はそんなに冗長ではなく、最後までつきあった。
式の最後は帽子投げで「A・P・U」の掛け声とともに
卒業生たちが、式典用の学帽を空になげるのだった。
それをビデオ撮影したりした。
そのあと、卒業証書の授与などの事務的な手続きを待つ間や
友達たちとたくさんの挨拶をかわすあいだ自分は
別府の街を見下ろすグラウンドのところで一休みして待って
そのあとチャムと一緒に、校友会のパーティに出させてもらった。
URLリンク(pds.exblog.jp)
(APUのグラウンドより、別府市街、別府湾、高崎山を望む)
409:チャムの卒業式
08/10/15 11:13:33 UqFJdd51
世界の民族料理がいろいろでていて、
めずらしいものをたべさせてもらった。
みなで寄せ書きを書いたり、演奏会があったり、歌があったりした。
自分はもっぱら撮影役で、チャムやチャムの友達たちとの
写真をたくさんとったのだった。
URLリンク(pds.exblog.jp)
パーティも終わり、するとチャムがチャムの友達たちと一緒に
お寿司、カラオケに行こうと誘ってくれた。
それで行くことにした。
チャムのお友達6人くらい。
初めて行く回転すしに行った。
みんな卒業生だから、チャムと同じ期間日本にいたのだろうけど
それほど日本語が上手じゃなくて、あまり会話は通じなかった。
やっぱりチャムの日本語がうまいのは特別勉強したからなのだ。
でもチャムの友達たちがチャムのことを指差して
「Anh Yeu Em?」と聞いてきた。
410:チャムの卒業式
08/10/15 11:19:23 6p3xhvIV
この言葉はぼくがチャットでチャムから最初に習ったベトナム語。
私は、あなたを、愛しています!という意味だ。
チャムは最初「Em yeu Anh」と言って
Em(女性の一人称)はAnh(男性の一人称)をyue(愛してる)
と教えてくれて、そして、ぼくに
「Anh Yeu Em」と言ってとうながしてきたのだった。
そして、ぼくがその言葉を言うと、いろいろ発音を直してくれて
最後にそのしげの言い方「とってもかわいいよ!」
と言ってくれたのだった。
だからとってもうれしくて、いつまでも心に残ったのだった。
それで、チャムの友達たちに、チャムのほうをしっかり見ながら
「Anh Yeu Em!」と答えることができたのだった。
チャムは恥ずかしかったのか、
何もいわないでぼくの肩に手をおいてくれた。
ぼくもみんなの前でぼくがチャムを愛している気持ちを
もっともっと言いたかったけど、はずかしくてそのときは
それ以上いえなかった。
でも今でもAnh Yeu Em、だし、
今なら誰の前でも堂々と心からチャムを愛していて
世界の誰よりも愛していて、
チャムと結婚していつまでも一緒にいたい、ってはっきり言える。
411:チャムの卒業式
08/10/15 11:23:08 6p3xhvIV
チャム!好きだよ!チャムがいてくれて本当にうれしい。
チャムにめぐり合えて本当によかった。
チャムを好きになって本当によかった。
愛してる!チャム!!
URLリンク(pds.exblog.jp)
チャムの友達たちとは次にカラオケ屋さんに言った。
外国人留学生たちはお金がないから
みんなでスーパーで大きなペットボトルと紙コップを買って
それをこっそり店内に持ち込むのだった。
412:チャムの卒業式
08/10/15 11:24:18 6p3xhvIV
まあ、これはルール違反なんだけど、
カバンなどで紙コップを隠しながら飲む。
留学生たちはそんなふうにしながら、
日本の物価高と戦っているのだった。
カラオケで歌うのは日本の曲がわりと多かったけど
英語の曲とかはさすがにうまいなーって思うことが多くて感心した。
フリータイムで入店して、店で徹夜する人もいるようだったけど
ぼくとチャムは12時前くらいにお店をでて
みんなとわかれたのだった。
そして、がたがたゆれる別府の道をチャムの部屋に戻った。
別府での最後の夜が更けていった。
この日は抱き合ったのか、ちょっと覚えていないな。
チャムの人生の大きなイベントを一緒にすごすことができた。
▲ # by shigeshogi | 2008-08-02 04:39
413:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 11:53:50 2FGUNDCR
2008年 08月 02日
2007年9月15日
この日はついにチャムが別府を離れ、広島、呉に向かう日だ。
重い荷物を積んでいることもあって、
高速を使うのは厳しいということもあって
12時間以上かかると思われた。
それで朝の7時くらいに早出したのだった。
チャムと一緒に別府の光町のアパートを出る。
チャムの友達が2階の窓から手を振ってくれていた。
ずっと一緒に暮らした二人もお別れだけど
留学生のみんなはそういうことになれているのか
それとも別れはきちんと済ませているからなのか
それとも心の中でさびしさを感じていればそれでいいのか
あるいは、自分が感傷的なだけなのか
チャムは手を振り返したけど、
そんなにいつもと違うふうには見えなかった。
414:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 11:54:59 2FGUNDCR
そして、別府駅近くのコンビニで少し食べ物と飲み物を仕入れ
そのあと水天の角のところまでまっすぐに進み、
ホテルサンバリーを横目に見ながら、国道10号線に出た。
天気はよく、山の上にはAPUも見える。
さようなら、別府の街。ぼくとチャムの愛の街。
もう2度の行かれないかもしれない、思い出の街。
愛する人のいてくれる、ぼくの夢の街だった。
チャムはあまり感傷的にもならず、別府ともお別れだね
といっても、うなずくくらいだった。
一般道をひたすら進む。
門司のあたりで少し渋滞するもののの、おおむね順調。
とはいえ、距離が遠いから広島までの道のりは大変だ。
二人で関門トンネルを越える。
「下関の関という字と、門司の門とで、関門なんだよ」と
チャムに話をすると、チャムはしっていたみたいで
「さよなら九州だね」と言った。
415:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 11:56:23 2FGUNDCR
山口県の道もひたすら続いていく。
途中ジョイフルでご飯を食べたときには、もう午後3時くらい。
途中、携帯でチャムがまっていてくれる
神田造船の吉田部長と連絡をとって遅いことでやきもきさせる。
やっと広島市内が近づくと渋滞もひどくなってきて
日もくれてきた。
それで広島の宇品から高速道路についに乗り、
呉まで飛ばしたのだった。
高速道路はさすがに早く、あっという間に呉に着いた気がする。
呉の町の古臭い雰囲気を感じながら、広方面にトンネルを抜け
国道を東へ。
広の街を通り、川尻に入った辺りのコンビニで、
吉田部長は待っていてくれた。
そのまま車で神田造船の本社へ。
そして、チャムの部屋の鍵を受け取り
チャムの部屋に案内してくれた。
416:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 11:57:52 2FGUNDCR
とてもきれいで広い部屋なので、びっくりした。
吉田部長はとても気さくなかたで、
大きな会社の部長さんにもかかわらず、
引越しの荷物運びなど一緒に手伝ってくれて
いかにもいい人だなあと思った。
チャムもこれなら安心だろうと思った。
チャムは別府で積んだ音楽のキーボードがあったけど
それを見て、部長さんは「へえ、こんな趣味もあるんだね」と言った。
3人がかりだったので、荷物はあっという間に運び終わった。
チャムが大分からもってきたかぼすをぼくにくれるといったけど、
ぼくはもっていても仕方ないので部長さんが帰るときに
「どうかチャムをよろしくお願いします」と
差し上げたら、最初遠慮したが、受け取ってくれた。
そのあと、お部屋で一休み。
電気は本当はまだ契約していないのだけど
ブレーカーを入れればつくことはわかっていた。
だからエアコンはなんとか使えた。
それで奥のフローリングの部屋にとりあえず布団を敷いて
そして二人で抱き合った。
お疲れ様、といいながら、何もない部屋で
二人でいたわるように抱き合ったことを今でも思い出す。
417:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 12:02:26 2FGUNDCR
そのあと二人で夜食を食べに行った。
広の街まででて「ロッキーベアー」という
ハンバーグ&ステーキハウス。
ファミレス風なんだけど、建物が全部木を使った風に作られていて
二人で一目見て気に入ったのだった。
そこは一緒にボーリング場やケーキ屋さんも併設していて
このあとチャムも機会があると利用したとのこと。
チャムが新しい彼氏、とやらをつれていったりもしたようだが
そのたたりなのか、このお店はつぶれてしまったようで
とても残念に思っている。
チャムはタンドリーチキンを食べて、
ぼくはちょっとぜいたくにステーキを食べた。
とってもおいしかった。
チャムがまたご馳走してくれた。
なんか申し訳なかった。
部屋に戻って、二人ともちょっと疲れていたのか
少ししんみりした感じで話し合い。
というのは、翌日の9月16日にアマ王将戦山陰大会にでるために
早朝の出発を考えていて、それで
チャムが起きたらぼくはもういないかもよ?
というふうに伝えたりしていたからだ。
418:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 12:08:50 EIDiIRTt
一方チャムのほうはチャムのほうで、
当初9月17日(月祝)に税関に行って
外国人登録証を学生から就労に切り替える手続きをして
翌日、関空から上海経由ホーチミンシティ行きの飛行機に乗る
という計画だったが、それを聞いてぼくが
17日は祝日だから税関はやっていないんじゃないの?
ということに気がついて、計画の狂ったチャムは
18日早朝に税関に行き、その足で関空にいくことになったのだ。
これは時間的にかなり厳しく、
広島から大阪までは新幹線を使わなくてはならない。
ついでお金の話になって、チャムが引越し代を払うという。
ガソリン代や高速代だけですでに2万円近くかかっていたので
帰りのことも考えて「じゃあ2万円」といったら
チャムにはちょっと高かったのだろう、
びっくりされた感じもあった。
決してふっかけたわけではなかったのだけど1日中の作業で
互いにちょっと意地悪な気持ちになっていたのかもしれない。
ぼくも決してぼったくったわけではないけど
なんとなくもうしわけない気持ちになった。
419:お引越しの日 ~さよなら別府の街
08/10/15 12:10:47 EIDiIRTt
互いにちょっときまずい感じもあって、
それでもまた抱き合ったと思うのだけど
ぼくは夜中、なかなか眠れなかったので無理に寝ないで
そのまま夜中のうちに山陰に移動をすることにした。
チャムもぼくが起きだしたことに気がついたので
チャムに「行くよ」と告げて、出発した。
チャムはぼくとケンカ別れになったのかと思って
ずいぶん悲しんだようで、申し訳なく思った。
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チャムの別の浴衣の写真。いつの写真なんだろうか・・・
▲ # by shigeshogi | 2008-08-02 09:13