08/09/25 16:57:50 g87P11FL
ご実家には明日から帰るんですね。
携帯でメールするのも楽しみです。
ぼくも仕事中とかすぐに返信できない場合も
あるかもしれませんけど、余裕ができたときに
必ず返信しますので。
電話も楽しみ(^^)
このあいだのお返事ですが、もちろんゆっくり考えて下さい。
むしろぼくのほうが年甲斐もなく(笑)
あせっちゃったかなあという感じです。
今までで一番ゆっくり好きになって、
一番長く好きでいるようなお付き合いが願いなんですが
しかし、つい気持ちがあせるときがあるので
そのときはたしなめてもらえればと思います。
昨日、思わず夜更かししてみてしまったのですが
ぼくがこのところ気に入っていた「プラネテス」という
アニメの最終回がありました。
近未来SFで、人類が月に行くようになった50年ぐらい
未来の世界という設定のお話です。
そのころ地球の衛星軌道上には使われなくなった
人工衛星などの残骸(デプリ)があって、事故などの
原因になるので、それを回収、駆除などする仕事に
携わる人々の物語なんですけど、
その中に、平和や宇宙開発、環境問題、先進国と発展途上国の
格差の問題などのテーマがスマートに織り込まれ、
しかもメインは今の人たちと変わらない人間の物語で、
主人公の2人が最終回でついに結ばれて
(ずっともどかしい二人だったんです)感動しました。
宇宙空間でのプロポーズがすてきでした。
わかりやすくまとまった特集版と含めて
ビデオにとってあるので、いつかみたいね。
51:おつきあい直前のメール
08/09/25 16:59:34 g87P11FL
それでは、これから銀行に行ってきますので。
では!
プラネテスは以前にもちょっと書いたが
実は全部の回を見ていない。
でもとっても感動したドラマ。ぜひ通してみてみたい。
ストーリーがとってもしっかりしていて
絵もすごくセンスがいいと思う。
近い未来に本当にありそう・・・と思わせてくれる。
SFアニメなのにとってもリアルで、
実際昨日、中国が地球の衛星軌道上のデプリを問題視
というニュースが流れていた。
すごくいい作品だと思うのだけど
意外にあまり評判にはなっていないみたいなのが不思議だ。
メールではあせらないように、と言っている自分だけど
当時の自分は不安や早く付き合いたい気持ちや
いろいろな思いが交錯してあまり冷静ではいられなかったような気がする。
プラネテス
Date: Thu, 27 Jan 2005 13:15:35 +0900
しばらく見ていませんでしたが、私も好きでしたね。
なかなか見られませんでしたが。そっかぁ。終わってしまったんですね。
残念。
あのもどかしい二人がとても仲むつまじくていいなぁって思ってたんですけどね。
私もそんな関係の恋人同士になれたらなぁなんて考えたりしてました^^
明日と言うのは今日のことでした。
すみません。言い方が悪くて。
今から帰ります。ので、次からは携帯にお願いしますね。
時間があるときでいいので。お待ちしていますね。
52:おつきあい直前のメール
08/09/25 17:00:39 g87P11FL
それでは。時間があまりないので、この辺で。
お仕事頑張ってくださいね。
くみ
▲ # by shigeshogi | 2007-02-03 05:11
53:おつきあいのはじまり~2回目のデート
08/09/25 18:28:51 g87P11FL
2007年 02月 04日
公美とのパソコンでのメール交換は前回までで一段落。
その後もいくらかあるのだけど、
メインは携帯メールと電話になっていく。
その直接のきっかけは公美が3日間の予定で茨城笠間の実家に帰ったことだ。
親に顔を見せて、その他教習所に通うという理由があって
上野から茨城まで特急「フレッシュひたち」号で帰ってしまったのだ。
茨城といってもいざとなれば車で2時間ほどでいけるわけで
そんなに遠く行ってしまったわけではないのだけど
心理的に遠くなってしまった気がして、さびしくなったことを覚えている。
公美も同じ気持ちだったみたいで
二人で一日10通くらいづつ携帯メールを交換してる。
また電話も1時間以上のを何回かしていて
二人の気持ちはすごく近づいているのを感じた。
ぼくも「好きでたまらない」という気持ちが日々、強まっていった。
その間のメールで、寝る直前のいわゆる「おやすみメール」で
「ぼくは夢の中では公美さんにけっこう大胆になっちゃうかも?!」
と書いたら、公美もメールで「私も大胆かも!?」って返してくれたこと。
このときには、すごくまじめなお嬢様という一面から公美のことを
みていたのだけど、案外それだけじゃないことがあとからわかってくる。
3日のはずの帰省だったが、公美はもともと
体がすごく丈夫というわけでもない上に、
ぼくとのことでテンションが上がりすぎていたりとか
そういうこともあって、風邪をひいてしまい、
帰省は結局6日間くらいに長引いたのだった。
そのあいだ二人はひっきりなしにメールを交換していた。
54:おつきあいのはじまり~2回目のデート
08/09/25 18:30:26 g87P11FL
公美帰ってくる日、仕事を終えた自分は落ち着かない気持ちでいた。
用事があって行った家電量販店で買い物のあとマッサージチェアを
使わせてもらいながら「会えたらいいのにな・・・」って思っていた。
でもその翌々日には会える約束だったし、
あせってはいけないという気持ちもあったのだけど
どうしても会いたい気持ちがまさって「食事でも・・・」と言ったのだった。
公美のほうも会いたかったみたいで「遅いのにいいの?」という感じで
言ってくれて、会うことになったのでした。
きれいとはいえない仕事着のままだったけど、
公美に会いたくて上野の谷中まで車を飛ばした。
公美は待っていてくれた。服装は・・・ちょっと覚えていない。
公美は地元で食事していると友達に見つかるので
ちょっと離れたところに行きたいということで車を走らせた。
ぼくも公美がそばにいてくれることでうれしさいっぱいのうわの空で
どっちに車を走らせたらいいのかよくわからないまま
言問通りを東向きに走らせるが、どこまで行ってもファミレスはない。
15分ほども走って隅田川を超えて、道なりにまがったところで
ようやくジョナサン(業平橋店)があったのでそこで食事にすることにした。
公美はたしか、オムライスを食べたような気がする。
自分は何を頼んだか・・・思い出せないが
自分はドリンクバーを頼んだのに、公美は「いいです」って言ったこと、
それから「きびなごサラダ」が食べてみたくて頼んだことは覚えている。
いろいろお話をしているうちに公美が切り出した。
55:おつきあいのはじまり~2回目のデート
08/09/25 18:31:56 g87P11FL
公美「このあいだの
『おつきあいすることを考えてほしい』ってことなんですけど・・・」
ぼくはそんなすぐにいい返事をもらえるとは思ってなかったので
今言われたらきっと断られてしまうと思って
自分「あ、まだいいの。ゆっくり考えてくれればいいことだから」
と答えた。
公美「私、来年、卒業したら、海外に留学に行くかもしれないんです。
だからもしおつきあいしても離れ離れになっちゃうかもしれないんですよ。
だから考えてしまうんです」
自分はこのときスターウォーズ・エピソード1の
クワイガンのセリフ(自分も好きな言葉)を引用して答えた。
自分「未来を考えることも大事だけど、
その瞬間瞬間に感じていること(フォース)も大事だと思うよ」
自分はテーブルの上に組んであった公美の手に
軽く自分の手を覆いかぶせた。
このとき、自分では意識していなかったのだけど
公美にあとで聞いた話によると「手が震えていた」そうだ。
それに心を動かされた、と公美は言っていた。
公美「それなら、おつきあいしましょう^^ お願いします」
そのあと自分がなんていったのか覚えていない。
「夢みたい」というようなことを言ったような気はする。
56:おつきあいのはじまり~2回目のデート
08/09/25 18:32:53 g87P11FL
2人がお店を出て駐車場の車に乗り込んだとき
ぼくが隣に座っている公美の手を握ったとき、彼女は握り返してくれた。
そのまま彼女の手を引いて、自分の口元に近寄せると、キスをした。
彼女は拒まなかった。
そのまま、自分の体を彼女に近づけて、抱きしめた。
「今日はこれ以上はしてはいけない」と思いながら
公美をぎゅっと抱きしめた。
冬でコートを着込んでいたので、
体の感触はそんなに感じられなかったけど
それでも公美の手や首筋から感じられる体温で幸せいっぱいだった。
ずっとずっとほしかった、
10年間探し続けた
大好きな彼女がようやくできたその日だった。
いったい何分くらい駐車場にいて触れ合っていたのか
これ以上いても自分が抑えられなくなりそうで車を出すことにした。
帰り道の車の中、言問橋を渡り車を走らせる中
ついつい「自分の人生もけっこう捨てたものじゃないかも。
こんなすてきな彼女ができたんだもの。」みたいなことを
言ったことを覚えている。
公美はリアクションに困ったのか、苦笑していた気がする。
57:おつきあいのはじまり~2回目のデート
08/09/25 18:33:48 g87P11FL
公美をうちに送って、帰り道。
今きた道を、また引き返して家路へ。
その道すがら気分は最高だった。
うれしさが次から次へとこみ上げてきて
運転しながら「やったーやったーやったー」って声の出る限り叫んだ。
神様、運命、すべてに素直に感謝できた。
この日のことはそれ以上覚えていない。
公美とのお付き合いがはじまったので
当時メールを交換して、会ったことのあった人も
2人くらいいたのだけど連絡もやめた。
公美だけにしたいって心から思った。
結婚も今までしたいと思った人は
高校生のときの1人しかいなかったけど
仕事を一生懸命して、結婚したいと思った。
ずっと一緒になって、きっと幸せになりたいと思った。
かわいい、かわいい、かわいい、ぼくだけの彼女、公美。
今もこの気持ちはずっとかわってないよ。
愛してる!
▲ # by shigeshogi | 2007-02-04 06:10
58:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:36:58 tt/D1g2B
2007年 02月 10日
3回目のデート~初めて抱き合って
前回の記事から数日後、公美との3回目のデート。
その日ははじめて公美のお部屋で一緒にすごしたのだった。
その日は普通に仕事をして、車の中に着替えを積んでおいて
仕事が終わって一直線に公美のおうちのほうに向かったのだった。
待ち合わせは公美のおうちのすぐそばのデニーズで
食事をしてそのあとお部屋にいく段取りだった。
デニーズはファミレスの中ではちょっと高級でサービスがいい。
そこでペアセットを注文できたのがとてもうれしかったのだった。
二人で好きなサラダやパスタやデザートを選んで取り分けるのが
とっても幸せな気分だった。
しかも食事のあと公美は
「いつもしげさんが払ってくれているから、今日は払わせて」
と言ってくれたのだった。
ああ、大切に思われていると思うと心からうれしかった。
「気持ちだけで十分なんだよ」と言ったけど
くみはついに支払いをしてくれたのだった。
そして二人で一緒にお部屋に向かった。。
59:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:38:02 tt/D1g2B
公美のお部屋は谷中という都心ながらわりと閑静なところ。
上野公園や芸大まで歩いて5分の本当の一等地だ。
うちのじいちゃんのお墓が谷中墓地にあるのだが
その法事のときに、親戚の一人が谷中の辺りを通ったとき
「こんなところに一度住んでみたいものだわ」といったような
本当にすてきなところなのだった。
とくに公美のお部屋のあるマンションは、芸大専門のおしゃれなところ。
「のだめカンタービレ」にでてくる「SWEET HOUSE」
じゃないけど、ほんと何かすてきなことが起こりそうなところだ。
建物の中に入るとそこかしこから、楽器の音が聞こえてくるのだった。
公美のお部屋にいれてもらうとお部屋はとっても暖かくしてあり
こんなふうに歓迎して迎えてもらえるのがうれしかった。
お部屋はとってもきれいに整頓されていて、
きっとぼくがくるので掃除していたんだろうなあって思った。
メールででてきたかわいいピンク色の葉の植物
(ついに名前がわからなかったが)もとてもかわいくて
また窓からぼくの祖父の通っていた上野高校などが見えるのだった。
公美はお茶を入れてくれていろいろなおしゃべりをしたのだった。
60:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:39:14 tt/D1g2B
部屋に置いてあるもの全てが高級な感じで
ピアノはもちろん家電や家具もみんなおしゃれで高級そうだった。
棚には友達が海外に行くたびに買ってきてくれるという
ブランド物もいくつも置いてあった。
でもぼくはanasuiの香水などの後ろに並んでいる本に目がいった。
公美が読書家で難しい本を読んでいるのにはびっくりした。
トルストイや、ドストエフスキーなど何冊もあった。
公美は大学の1,2年の時、笠間から上野まで毎日通学したので
その車内で読んでいたのであろう。
あらためて情感豊かな女の子なんだなあって思った。
その本の並んでいる中でも一番目を引いたのは
サンテグジュペリの「夜間飛行」だった。
自分はサンテグジュペリが好きなので、とてもうれしかった。
「星の王子さま」でもすてきだけど、「夜間飛行」とは!
ぼくはとても感心した。
箱根の「星の王子さまミュージアム」の話とか
数奇だったサンテグジュペリの人生の話とか、
とにかくいろいろな話をしたように思う。
そして話しながら、自然に寄りそう感じになっていったけど
公美は全然こばむ感じをみせなかった。
公美を抱き寄せ、うなじの香りに酔いしれて幸せだった。
61:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:40:31 tt/D1g2B
「ねえ、ちょっと早いかもしれないけど、いい?」
ぼくがいうと
公美は無言でベッドにいざなった。
二人で服のままベッドにもぐりこんだ。
ベッドは値段で全然寝心地が違うものだけど
公美のベッドはかなりいいものだったと思う。
すごくゆっくりゆっくり公美のことを脱がせていった。
二人とも下着はつけたままいろいろなところを触った。
公美は服の上から見た感じよりもずっと胸が大きかった。
あとできいたらEカップだといわれたけど、びっくりだった。
後ろのホックをはずすとはちきれるように飛び出すのだった。
緊張して、自分の手や腕が震えているのがわかった。
公美の体のいろいろな部分を触り始めると
二人ともすぐに息が荒くなっていくのだった。
震える手でついに公美の大切な部分に手を差し入れると、
もう十分ぬれていて、これならスムーズに入れるはず、と思った。
パンティを脱がせて、そして自分も脱いだ。
公美の上に多いかぶさって、
もう入れるような体勢になったけど、そこで違和感を感じた。
なんていうか、全然立たないのではないけど
びんびんの状態になっていないのだった。
62:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:41:30 tt/D1g2B
心の中であせりを感じたけど、うろたえてはいけないと思った。
公美の体をいろいろ愛撫しながら
「すごく久しぶりのことだから、なんか緊張してるみたい」
というようなことを言った。
公美は「私もすごく久しぶりだよ。あせらないでね」
自分は今までこういうふうになったことがなかった。
こんなふうになった自分にびっくりした。
本当に好きな人の前では緊張して思うようにできないものなんだ
と思ったりした。
初めて経験するときみたいだ、と思ったりもした。
ひざも震えていた。
「すごく緊張しちゃってる。うまくできなかったら、ごめんね」
公美にいった。
「大丈夫だよ。するばかりじゃないんだから」
公美はやさしく言ってくれた。
少し安心して公美の胸の中にほおをうずめて
公美に愛してる気持ち、好きな気持ちを伝え続けた。
公美の前では本当に正直でいられる。
本当の自分でいられる。
まっすぐ目を見て、心から思ったことをそのまま伝えられるのだった。
ほんのかけらの曇りもなく、心から愛していると思えるから。
63:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:57:40 tt/D1g2B
そして公美もその言葉に応えてくれているうちに
今なら一緒になれる、貫けるって思えるときがきた。
「公美!」って声にならない声を上げると
腰をぐっと突き上げたらそのまま公美の中に入っていけた。
公美から「ああっ!」って声がもれた。
二人でゆっくりゆっくり結ばれている一体感を感じた。
すごくすごく安心できて、いるべき場所にいるんだ、って思えた。
興奮も快感も、もちろんあったのだけど
それと同時に一体感、居るべき場所にいる、っていう安心感、
そういう気持ちも大きかった。
それでもすこしづつ快感は昇っていき、腰の動きも大きくなった。
もうがまんできない、と思ったとき
公美の中からでて、公美をだきしめたまま、おなかの上に射精した。
出した後も、公美のことがいとおしい気持ちがやまず
ずっとずっと抱きしめていた。
どれくらいの時間がたったのだろう。
胸の中にいた公美が「しげさん、ピアノ弾いてあげようか?」と言った。
「うん」。
64:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:58:52 tt/D1g2B
公美はベッドの中で下着をつけて、そして服をささっと着てピアノに向かった。
自分も服を着てベッドに腰掛けた。
「この曲わかるよね?」と言って公美が弾いてくれたのは
イタリアのカンツォーネ、「Nina」という曲だった。
公美と以前の会話の中で、原語で歌えると言った曲。
公美の伴奏に合わせて、うろおぼえのイタリア語で歌っていくと
くみも一緒に歌ってくれて、公美のかわいい声がきけた。
聞きたくて、思わず声を止めると、
公美は「もう一緒に歌ってくれなきゃダメ。恥ずかしいじゃない」
「Nina」に続いて「オーソレミオ」「カーロミオベン」を歌った。
二人の声が交じり合うのがとってもうれしかった。
音楽の世界のエリートでもある公美が、
自分だけのためにピアノを弾いてくれてうれしかった。
その指先は魔法みたいだな、って思った。
65:逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
08/09/25 20:59:58 tt/D1g2B
それから二人でCDを聞いた。
とっても不思議な音楽のCDでクラシックではなかった。
公美はとっても好きな曲なのよ、って言った。
きっとぼくなんかの何倍もたくさんの曲を聞いた公美が
すてきだと感じるものを一緒にわかりたくて音を感じた。
そんなことをしているうちに、時間はとっくに12時をすぎた。
楽しい時間はあっという間にたっていくのだった。
このまま泊まれたらいいのになあと思ったけど
またきっとこられるんだから、帰らなくちゃと思った。
翌日もまた仕事があるのだし、公美にも用事があるだろう。
公美は駐車場まで送ってくれた。
夢のような楽しい時間は終わった。
ついに公美と抱き合うことができた。
セックスはもちろん気持ちいいことだけど
心から好きな、大好きな人とのそれは全然違うんだ、って思い知った。
自分は今まで何も知らなかったと思った。
今回はここまでにしたいと思う。
逢い見ての 後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
抱き合って、公美のことがもっともっと好きになったぼくだった。
この人と一生添い遂げたいと心に深く深く誓った。
▲ # by shigeshogi | 2007-02-10 07:19
66:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:24:48 tt/D1g2B
2007年 02月 11日
4回目のデートは前回の記事から4日後、2月7日だったと思う。
この日は公美がうちに来てくれることになっていたのだ。
仕事は休みで、しかも翌日までの連休をとった。
その日はもう朝からごきげんだった。
公美がきてくれるのは夕方からだったので
昼間は部屋を掃除したり、準備をしながらすごした。
うれしくてBGMのバッハが鳴り響いていた。
主よ、人の望みの喜びよ!
天気はすばらしく晴れていて、
この晴れがましい日を祝福してくれるかのようだった。
うれしい、うれしい、公美がきてくれる!
って声に出しながら、掃除に励んだ。
隅から隅までぴかぴかにした。
布団を干しながら掃除機をかけた後
クイックルワイパーをころころ転がした。
普段はやらないテレビや棚の後ろ、シンクやコンロの汚れまで。
トイレはもちろん、お風呂も使うことになると思って
浴室もぴかぴかにした。
それから買い物に行って、ちょっとおいしいシフォンケーキやコーヒーやら
そういうものを仕入れてきた。
ちょっとしたものなら作れるような材料も買ってきておいた。
67:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:35:24 tt/D1g2B
公美は・・・もちろん約束もしたしきてくれるはずだったけど
昼にちょっと気分が悪いというメールを送ってきたので
ちょっと心配していた。
「無理にこなくてもいいんだよ」とは言ったものの
公美に会いたくて、絶対来てほしかった。
でも心配は杞憂で午後にはなんとかいけそう、ってメールくれて
でもちょっと体調が悪いから「今日はキスはダメね」とのこと。
そう、公美は約束をとっても大事にしてくれる女の子なのだ。
いい加減な約束ばかりでウソばっかりつく人が多い中
公美はいつもできうる限り約束を守ってくれた。
本当に誠実な女の子だと思う。
夕方公美を船堀の駅まで迎えに行く。
駅で階段を降りて改札を公美の姿が見えたときはうれしくて
人がたくさんいることも忘れて、大きく手を振って
「公美、公美、こっちだよ」って声をかけた。
見た感じは公美はいつもとかわらなかった。
目が合うとやさしい笑顔を返してくれた。
近くの和風のファミレスに行ってご飯を食べた。
自分は和膳のセットを、公美は雑炊のセットだった。
「あまり食欲がなかったんだけど、こういう和風のお店でよかったわ」
って公美はやさしくいってくれたのだった。
食べきれなくて、3分の1くらい残った雑炊を
「しげさん、食べてくれたらうれしいな」って取り分けてくれた。
公美と一緒のものが食べられてうれしかった。
68:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:36:45 tt/D1g2B
それからうちの会社に寄って、店を見せてあげた。
店の様子や自分がした仕事などを説明してあげた。
公美は「こんな大きなお店がいくつもあったら商売はあんしんだね」
なんてお世辞とも本気ともわからないけど、ほめてくれた。
そのあと二人でうちに行った。
駐車場からうちに向かってエレベータに乗ると
隣に公美みたいなかわいい子を連れていることが
誇らしくて、幸せを実感した。
公美を部屋に案内したら、入り口のところにあった
人感センサー付きのライトに気がついてくれて
「これがメールで話していたやつなんだね」って言ってくれた。
秋葉原で部品を探してセットしたものなのだった。
「男の人らしい、すっきりしたお部屋だね」って言ってくれた。
部屋に物が少ないのでびっくりしたみたいだった。
当時のぼくは今よりももっとシンプルライフを意識していて
ものの少ない生活をしたいと常々思っていたのだ。
自分が手を洗って、部屋に戻ってみると、
公美がいなくなっていてびっくりした。
もちろん消えるはずもなく、公美はベランダにでていたのだった。
69:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:37:49 tt/D1g2B
うちの部屋からの夜景はけっこうきれいで
船堀の街並みや中川と、その中洲を通るオレンジ色の光の帯の高速道路。
遠くにはマンションがたくさんの光を放っていて
6階でそんなに高いわけでもないのに
周りに高い建物がないのでとっても開放感がある。
しばらく、公美の様子を眺めていたのだけど
公美はいつまでも眺めるのをやめないから
「あまり外に居ると体によくないよ」と言って
公美の肩に手をかけると、公美はそのまま寄り添ってくれた。
そのまま、ベランダから部屋に戻った。
部屋で二人でプラネテスを見た。
もどかしい主役の二人がやっと結ばれる最終回。
見ながら、コーヒーを入れて、ケーキを出した。
公美を抱き寄せたかったけど、
キスはダメって言われていることもあってためらっていた。
他にも将棋の道具を見せたり、将棋の番組を見せたり
そんなことをしながらすごしたと思ったが
結局夜も更けていって、そろそろ寝ようかということになった。
特に泊まるって話をしていたわけじゃないのに
暗黙の了解みたいな感じで公美は泊まっていってくれるみたいだった。
70:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:38:53 tt/D1g2B
布団を敷いて、自分は着替えたけど、公美は着替えがなかった。
それで洗ったばかりの自分のもっている
一番暖かいパジャマをだしてあげた。
とっても生地が厚くて、しかも大きいやつで
真冬じゃないと着ていて熱いくらいポカポカする。
うちはベッドってものがなくて
フローリングにマットレスを敷いて(冬場だけ)
その上に布団を敷いたので、暖かいベッドで寝ている公美には
ちょっと寒いかもしれないって思ったのだ。
公美は素直に喜んでくれて、着替えてくれた。
普段はぼくの着ているパジャマは公美にはぶかぶかで
下は押さえていないと落ちてしまいそうなくらいだった。
でもその格好がとってもかわいらしくて
「きゃー、かわいい、写真撮らせてよ~^^」と甘えてみたけど
公美は恥ずかしがって撮らせてくれないのだった。
そのあと公美は膝枕で耳かきをしてくれたのだった。
公美は痛くならないように気を使って、すごく弱い力でしてくれた。
なんだかこそばゆくって、でも幸せだった。
公美のひざはけっこう高くて、最後はひざにほおをうずめた。
そして寝ることにした。
「公美は寝るときはいつもは電気つけてるの?」
と聞いたら小さくつけているみたいだったので
少し明かりをつけて一緒に布団に入った。
71:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:39:45 tt/D1g2B
自分は今まで女の人に腕枕をしてあげて、寝るのは重くて苦痛だと思っていたけど
公美とだとそれがちっとも気にならなかった。
もちろん、もっとずっと付き合いが長くなっていけば
どうなるのかわからないけど、とにかくそのときは
一緒にいられることが幸せで腕枕に公美がいてくれてうれしかった。
何もしないでそのまま寝ようと思っていたけど
案の定というか、公美のやわらかい髪の毛や肌の感触
そして体温が伝わってくると、眠れないのだった。
公美の体をパジャマの上から撫で回していると
公美が「ヘンな気持ちになってきちゃうからダメよ。
今日は生理だから、それで気分悪いとかいったのよ」と言った。
ぼくはにぶかったので、そのときようやく気がついたのだった。
「じゃあ、お口でしてくれる?」と言ったら公美はだまって
体を起こして自分の下のパジャマを下ろして
そしてぼくのものを手でやさしく包んでくれたのだった。
そしてすっかり大きくなってくると口を近づけて含むのだった。
そして口で先を含んだまま舌を転がしてくれた。
とってもおとなしいフェラだった。
体の気持ちよさよりも、心のうれしさでいっぱいだった。
自分はマグロのようにころがっているだけで
なんか、このままでいいのかなって気持ちにもなった。
自分はもうすっかりしたくなっていたので、以前の経験から考えて
「大きなタオルケットがあって、これは汚れても大丈夫だから安心して」
でも、この判断はちょっと強引だったのだと思う。
今はちょっと後悔している。
72:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:56:22 tt/D1g2B
タオルケットをひいて、公美の体を直接触り始めた。
公美はとっても感じやすい女の子なのでたちまち反応が大きくなった。
血がついている下のほうにも手をさしいれた。
血と体液が交じり合ってぐしょぐしょになっている中
公美の割れ目の中を探っていると
中に2センチくらいはあると思う突起がそそりたっていたのだった。
今までの経験にないことなので、すごくびっくりした。
公美のクリがとっても勃起して大きくなっていたのだった。
それが生理のせいだったのか、感じていたからなのかはわからなかった。
あまりにもびっくりしたので、
思わず「こんな大きいの初めて」とバカなことを言ってしまった。
公美は嫌そうに「そんな恥ずかしいこと言わないで」といった。
後悔しても遅いことだった。
前回と違ってすごくスムーズな挿入だった。
深く、ふかーく、入っている感じだった。
血のせいもあるのか、ぬめりが濃い感じだった。
抜き差しすると音がするのだけど、
それがまた公美を羞恥させたのかもと思う。
しばらく結ばれあって、そして外で出して行為は終わった。
無言で抱き合って、そして腕枕。
ぼくはいつしか眠ってしまったのだった。
目が覚めると、もう日が昇っていた。
公美はやはり腕の上にいたけど、でも目を覚ましていた。
そしてお目覚めのキス。
なんか幸せを絵に描いたみたいだと思った。
また求め合って抱き合った。
73:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:57:56 tt/D1g2B
そして行為が終わったあと、公美が思いつめたような顔で
「しげさん、もう別れたい」と言った。
ぼくは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
そしてだんだん言葉の意味がわかってきたが
公美がそんなことを言うわけがない、と思いなおして
「え、え、冗談で言ってるんだよね?ぼくを困らせようと思って。
冗談だって言って。ね?」となるべくやさしく言った。
公美は「ううん、冗談じゃないの。本当に別れたいの」と言った。
ぼくは公美が本気であることがわかった。
なんども「冗談なんだよね?」「取り消して」といったけど
公美はやさしいけど、はっきりした口調で「ううん」というのだった。
いつの間にか、涙が次々あふれてくるのだった。
とめどなくあふれてくる涙に公美はびっくりしたのかあわてたように
「しげさん、泣かないで。ね、泣かないで。」と言ってくれた。
演技でもなんでもない涙が、自然にでてきてなかなか止まらないのだった。
「本当に、本当に、好きなんだよ?」
「うん、わかってる、それはわかってるの」公美はいった。
74:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:58:53 tt/D1g2B
ぼくは別れの理由を聞いた。
公美は「抱き合ってみるとわかってくることがあるの」
「あなたは私に求めすぎているわ」
「するときにコンドームをしてくれなかったでしょう?」
「生理でキスもしないはずだったのに、結局求めた。
私は知り合って間もないのに生理を見られることや
そのほかのこと、とっても恥ずかしかった」
言われてみたら、もっともかもしれない、って思った。
たしかに思いやりにかけていたのかもしれない。
「今度から気をつけるから、今回は許して」といったけど
公美は「人間、そんなに簡単に変われるものじゃないわ」って言った。
ぼくは必死で考えた。
ぼくの運命の人である公美がぼくを捨てるわけがない。
きっとこれは試練なんだ。がまんのときなんだ。
今はこれ以上食い下がってはダメだ。
いったんは公美の言葉を受け入れるしかない、と思った。
ぼくが「わかったよ」と受け入れると
公美は「じゃあ、涙を拭いて、一緒にお風呂に入ろう?」って言ってくれるのだった。
75:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 21:59:52 tt/D1g2B
公美は相変わらずやさしくて
ぼくの髪の毛を洗ってくれるのだった。
公美がしてくれることはみんなやり方が丁寧でやさしくて
本当に気持ちよかった。
お風呂から上がって公美に「またしたくなっちゃった・・・」
って言ったら、「バカっ」って笑われて、
それから公美を送って帰すことにした。
公美と別れるのは本当に嫌だったけど、
ぐっと下腹に力を入れて、今がまんすれば公美はきっと戻ってきてくれる、
なんたって世界に二人といないぼくの特別な女の子なんだから、
と自分に言い聞かせた。
帰り道はちょっとしたドライブだったのでCDをもっていくことにして
部屋でCDを見せて公美にいろいろ話を聞いた。
公美が今度「展覧会の絵」という曲をやるというのでびっくりした。
実はこの「展覧会の絵」はぼくは生まれて初めて買ったCDなのだった。
マゼール指揮、フィラデルフィア響の演奏の外国盤で
「禿山の一夜」がカップリングされている。
他にもショルティ、シカゴ響のものもあって、これもいいのだけど
何しろ自分にとっては初めて買ったCDのほうは思い出の一枚なのだった。
それでこれを公美にプレゼントすることにしてもっていった。
自分の大切なCDを公美が聴いて、それで演奏してくれると思うと
なんだか公美の役に立てるみたいでうれしかったのだ。
76:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 22:01:06 tt/D1g2B
部屋をでて、エレベータの中で公美はしみじみ
「本当に落ち着いていて、いいお部屋だったね」
って言ってくれたからうれしかった。
「また来てね」ってぼくは言った。
帰りの車の中で一緒にCDを聞いた。
クラリネットの演奏部分がくると、公美は「ほら、ここ」って
教えてくれたりするのだけど、ぼくの耳ではクラリネットが
聞き分けられないのだった。
音大でやるソルフェージュの話とかきかせてくれて
今聞いている曲をそのまま楽譜にすることもできるのよ
という話を聴いてびっくりするのだった。
自分たちが目隠しで将棋を指したり、
一局の将棋を並べ替えすと驚かれることがたまにあるが
それと同じような感じなのだろうか?
またぼくは素人考えでクラシック音楽の楽譜のこととか
いろいろ聞いたのだった。
「どうして、音楽ってあの五線譜を使うんだろうね。
もっと合理的な記述の仕方ができそうに思うんだけど」とか
「著作権の切れた音楽の楽譜はみんなネット上で見て
印刷できるようにしておけばいいのにね」とか
素人考えに公美は苦笑するしかなかったのかもしれない。
でもぼくが曲のお気に入りの部分を鼻歌で歌っていると
「すごくよく聴きこんでいるんだね。
今のところは転調って言ってとっても難しい部分なんだよ」ってとっても
やさしくほめてくれるのだった。
公美はいつもぼくのことをよく見てくれる。
だからぼくも公美のことをなんでもよく見て上げられるのだった。
77:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 22:22:27 tt/D1g2B
途中、東陽町のあたりで前にプジョーの車が止まると
プジョーのブルーライオンマークを見ながら
「マエストロ!」と指揮者のまねをしてくれるなど
(ブルーライオンは立っているので指揮者に似てる)
とってもお茶目なところも見せてくれたのだった。
築地の天竹で一緒にランチを食べることにした。
公美も江戸前の雰囲気を楽しんでくれたみたいだった。
それから聖路加タワーに立ち寄った。
このタワーはとっても見晴らしがよくて
東京の湾岸の景色が一望にできる。
喫茶室があいていたら一緒にお茶したかったけど、閉まっていた。
タワーの上から目の前の聖路加病院に入院していてなくなり
そして今は谷中墓地に眠る祖父の話などをしたのだった。
公美は公美のお父さんの話をしてくれた。
そんな話をしているうちに、今は別れてもきっと一緒になれる
って強い思いが起こってきて、それを信じられるようになってきた。
最後に谷中まできて、谷中墓地で
「あそこにじいちゃんのお墓があるんだ」と言ったら
公美も一緒にきてくれたのだった。
二人で一緒に、じいちゃんのお墓に手を合わせた。
かがんで手を合わせてくれている公美の姿を見て
ぼくはじいちゃんに「ほかのことは全部自分でなんとかするから
どうか、ぼくと公美のことだけ守ってください。
二人をどうか、一緒にさせてください」とお願いした。
こうしてそばにいてくれる公美がぼくを捨てるなんて絶対ないはず
って信じることにした。
78:公美が我が家に来た日~最初のお別れ
08/09/25 22:23:13 tt/D1g2B
公美は谷中墓地からは歩いて帰ることにした。
お別れになった。
忘れそうになったCDをあわてて車のプレイヤーから取り出して渡したけど、
それで本当にお別れした。
公美との最初の別れ。
でもこのときは、絶対に元に戻れるって気持ちがぼくを支えた。
今はガマン、今はガマンと言い聞かせ、一人うちに帰ったのだった。
この公美を信じる気持ちが、今もぼくを支えている。
▲ # by shigeshogi | 2007-02-11 04:42
79:異邦人さん
08/09/26 04:33:28 bZ7hQ3y8
常識的には>>73でもう破局だろ。
4回目のデートの2月7日にはもう終わってるんだろ。
それなのになに2年もストーカーしてんだよwww
メールで出会ってから1ヶ月、実際に会ってから2週間、
それだけで終わってたはずなのに。
刺されなかっただけマシということか。
80:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:32:10 PgbjFGLl
2007年 02月 14日
このところ将棋をできるのもあと少しだと思うと将棋ばかりやっている。
他のこともやろうと思うのだけど、憂鬱に包まれてなかなかできない。
将棋をしているときは憂鬱を忘れられる。
土曜日にはネットで@Xというプロを倒すことができた。
棋力と棋風から考えて中井女流なのではないかと思う。
序盤、手順を間違えて苦しくしてしまったが
秒読みで向こうも決め切れなくて逆転することができた。
800人のギャラリーの見ている中で勝つことができてよかった。
終わったあと友達が見ていて直通チャットでお祝い&感想戦をしてくれた。
昨日は支部名人戦の千葉県大会だった。
調子は決して悪くなく、内容はみんなまずまずなのだが
どうも決め手にかけて、優勢の将棋を長引かせてばかりだった。
準々決勝で必勝になったのだがついに間違ってつかまってしまった。
やっぱり勝つということは難しいことだと思った。
予戦でマイミーオの友達という熊倉女流と対戦した。
ネットでは対戦したことがあるが実戦は初めてだった。
今度女流プロになるくらいということだから
実力はだいたいわかっているし、
まあ負けることはないとは思っていたが秒読みで危なくした。
いかにも24で鍛えた将棋で本筋の手よりも
実戦的に勝ちやすい手を選んでくるタイプで
秒読み将棋ならぼくとも指しわけるくらいの力があるように思えた。
今はこんな感じの将棋を指す人が多くなったように思う。
81:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:33:29 PgbjFGLl
大会で敗退したあと福元くんと将棋の検討をしながら
溝部さんの結果を待っていた。
溝部さんは相良君、矢橋さんなどの強豪を自ら倒し
粘り強い指しまわしでついに優勝した。
はじめての県代表の座を射止めた。
終わったあと地元に帰り、ファミレスで深夜まで将棋を検討した。
知花君も駆けつけてくれて溝部さんのお祝いになった。
明日はついにドイツに出発する日になる。
たいして出発の準備もできなかったし
親に挨拶していこうとも思ったが、
思い悩むうちについにできなかった。
前日についに連絡をしてみたが、
何か所要かついに連絡がつかなかった。
ここでも公美のことや将棋のこと、
もっといろいろ書いていきたかったが
将棋の大会や勉強や生活のことがいろいろあったり
そうでないときもいろいろ思い悩んだり、憂鬱にとらわれて
なかなか思うようにできなかった。
人生とはこんなふうに何もできないでいるうちに
すぎていくものかもしれないと思う。
思いつく何人かに言葉を残していく。
どの人にもとてもお世話になった。迷惑をかけた。
82:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:34:17 PgbjFGLl
千夏へ
もう何年もあっていないけれども、
きっと大きくなったんだろうね。
お母さんと元気でやっていることと思います。
体を大切にして、幸せになってください。
力不足なお父さんで、遊んであげられなくて、ごめんね。
たーじゅへ
もう小学校3年生になるのかな?
学校へは楽しく通っていますか?
辛いこともあると思うけど、笑顔を大切にしてね。
お父さんは自分のことが苦しくて
何もしてあげられなくてごめんね。
小松川のおばあちゃんへ
近くに住んでいるのに会ってあげられなくてごめんなさい。
自分は自分自身が毎日が苦しい上に
またおばあちゃんを悲しませることになると思うと
申し訳なくて会えませんでした。
小さいころから一番かわいがってもらったのに
期待にこたえられなくてごめんなさい。
83:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:35:38 PgbjFGLl
久が原のおばあちゃんへ
おばあちゃんとももう何年も会えなくてごめんなさい。
おばあちゃんのお料理はとってもおいしくて会いに行きたかったけど
いい出会いをみつけて、幸せをつかんでからじゃないのに
心苦しくて会いにいかれませんでした。
一人暮らしでさびしいことも多いでしょうに
力になれなくてごめんなさい。
父へ
倒れたときいて心配していますが
自分自身とても苦しい状況で
何の助けにもならず申し訳なく思っています。
早く仕事を整理して、ゆっくりすごされることと願っています。
母へ
何年もお会いできなくて申し訳なく思っています。
早く幸せをつかんで、また会える日がくればいいと思っていましたが
努力のかいもなく何もかもうまくいきませんでした。
もう力尽きてしまいました。
84:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:36:36 PgbjFGLl
ゆかりへ
君はぼくのことをたくさん愛してくれたのに
それに応えてあげられなくてごめんなさい。
なんとかもっとよくしてあげたいという気持ちはずっとあったのだけど
結局は君を傷つけてしまっただけだったね。
本当にごめんなさい。
どうか千夏をよろしくお願いしますね。
まりこへ
君は今どこにいるのだろう。もう5年以上も会ってないね。
君もぼくのことを深く愛してくれたのに
応えてあげられなくてごめんなさい。
体の丈夫な君だけど、もう若くはないので無理はしないでね。
君は君の道をみつけて、幸せになっていると願っています。
たーじゅをよろしくお願いします。
所司先生へ
至らない自分であったのに、
長く親切丁寧に指導してくださってありがとうございました。
いつもご恩を感じております。
地域に密着したプロとして今後とも活躍されることを願っています。
85:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:44:06 cfCW7N9K
川上さんへ
君はいつもぼくに敬意を示してくれたのに
自分は君への敬意が足りなかった。申し訳なく思っています。
その実力はもう十分あるので力を発揮して
県代表になられることを祈っています。
溝部さんへ
初めての県代表、おめでとうございます。
長い間の努力が実りましたね。
全国大会での活躍を願っています。
お父さんにもどうぞよろしく
知花君へ
入品おめでとう。君の将棋はスケールが大きく才能を感じます。
生活をしっかりして、集中したいい将棋を指して下さい。
奨励会員としては晩学と地方出身の不利がありますが
それを跳ね除け必ずプロになって沖縄に凱旋することを願っています。
86:最後の更新かもしれません
08/09/26 09:44:53 cfCW7N9K
ほかにも将棋の仲間のみなさんやみーお、
こっちゃんやななこさん、えりかやななさんなど
思いを伝えたい人はいるけどきりがないのでこのあたりで。
どの人にもみんなそれぞれに感謝しています。
ありがとうございました。
ドイツから更新はできないだろうと思うので
もしかすると最後の更新になるかもしれない。
それでは、行ってまいります。
▲ # by shigeshogi | 2007-02-14 02:53
87:<注>
08/09/26 09:50:05 cfCW7N9K
ついにドイツへの旅立ちの時がやってまいりました。
そう、ここは海外旅行板です。ようやく板の趣旨に沿った内容となってきました。
果たしてしげさんと公美の運命は?次回より怒涛のドイツ編です。
88:異邦人さん
08/09/26 10:21:26 AacvGl6o
こいつドイツで刺し違える気だったのかね
89:異邦人さん
08/09/26 11:06:45 kN3lV3Sk
遺書の順位
娘ら→祖母ら→父母→元妻ら→将棋関係者
~~~~~~~~~
過去の女はオマケ的な位置付けだな
90:異邦人さん
08/09/26 22:19:20 mYUojfsT
血のつながりがあるかどうかってことなんだろうけどなあ
というか勝手に「遺書」って決めていいものかどうかわからないけど
こうしてみるとかなりの覚悟でドイツへと向かったことだけは確かみたいだね
ドイツでいったいなにをしようと考えて向かったのかがいまいちはっきりとは書いていないよね
向こうでいったいなにをしたのかが気になる
いつも張ってくれている人ありがとうございます
ドイツ変はまさに破滅へ突き進むひとつの大きな山ですね
91:異邦人さん
08/09/27 04:15:07 3AhN4PCp
>向こうでいったいなにをしたのかが気になる
チャムに何をしたかを考えれば自ずと明らかだと思われる
92:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:16:19 aRvqSVnL
2007年 02月 27日
無事、日本に帰ってくることができた。
もう帰れないかもしれない、とも思っていたので
ある意味では幸運だったのかも、とも思う。
今回は旅行のことを書こうと思う。
旅は公美の友達で、ケルンの音大に通いサックスを勉強している
栗本純子さんという方のレポートを見たのがきっかけだった。
そのレポートの中では公美がドイツのケルンという街で
元気でがんばっているさまがいろいろ描かれていた。
公美の写真も小さかったが久しぶりに見ることができた。
人生にあらゆる意味で行き詰る中で、
ずっと会いたかった公美がケルンにいるということがわかって
とってもうれしかった。
いてもたってもいられなかった。
すぐケルンをたずねていくことを決めた。
数日中には日取りを決めて、飛行機を取った。
また先ほどのレポートを書いた会社に連絡を取ってみたら
レポートの執筆者、栗本さんに連絡を取ることもできた。
またネットで公美の学校の場所などを調べて、
その近くのホテルを手配した。
93:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:18:08 aRvqSVnL
飛行機はオランダのアムステルダム経由の便になった。
ケルンまでは直行便はないので、
フランクフルトとかウィーンなどを経由していくのだけど
いろいろ調べているうちにKLMという航空会社のホームページが
とてもよくできていて、格安運賃でチケットを取ることができた。
HISなどの旅行会社を通すより、
正規チケットで便や席が確定するメリットがあるうえに
空港利用税などが安いので総額では安かった。
ビザも何もいらないので、パスポートだけあれば何の届けもいらない。
うちにいながらに海外旅行の準備ができる。
それから荷物を整え、ガイドブックなどを購入。
だけど、この旅行のために新しく買ったのはガイドブック1冊。
そして有り金全部もって、
公美に会うまでは日本には帰らない覚悟で旅に出る日を迎えた。
14日(水)
日本からアムステルダムまでは約11時間。
時差の関係で行きは昼ばかり。帰りは夜ばかりという感じだ。
日本をちょうど昼12時ごろに離陸して、アムステルダム経由で
ケルンに到着したのは夜の10時くらいだった。
初めてドイツの鉄道に乗って、空港駅からケルン中央駅まで移動。
ライトアップした大聖堂がぼくを迎えてくれた。
駅からホテルまでは歩いて5分ほど。
ホテルではたどたどしい英語でなんとかチェックイン。
毛布を借りたり、朝食の案内を聞いたり、なんとか落ち着けた。
ホテルはシンプルでこじんまりしているけど
家族経営でフレンドリーな感じ、きれいだし、悪くなかった。
94:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:19:50 aRvqSVnL
15日(木)
事実上ドイツでの初日。
でも街はカーニバル一色で、中心街は人、人、また人。
店も博物館もみんな閉まってる。
カーニバルがすごいとは聞いてはいたが、
街全体がこんな一色になるとは思ってもいなかった。
これではケルンの街の観光は無理だと思った。
まず地図をゲットして、日本で調べていた情報をもとに公美の学校を探索。
なんとか見つけるもここもカーニバル休暇。
しかたなく、すぐそばのライン川を散策したり、
(川底に黄金が眠っているという伝説のあるライン川)
見つけたネットカフェでメールを見る。
日本語の入力はできないが読むことはできるし、ローマ字でメールの返事を書いた。
キーボードがドイツ語用なのがおもしろかった。
アルファベットの配列が違い、ドイツ語専用の文字のキーがある。
日本の友達からのメールは不安な海外で励みになった。
その後はすることもなく、公美の友達でもある純子さんにも電話が通じず
食べ物などを仕入れて早くホテルに戻って休む。
このまま、何もできないでドイツでの日々が続くのでは、と不安だった。
95:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:21:05 aRvqSVnL
16日(金)
この日はカーニバル期間中ではあったけど、比較的平常に近い日で
公美の学校も開いていて初めて中を探索したけど
公美の情報は手に入らなかった。
受付で尋ねるのはまだちょっとこわかったし、学生もほとんどいなかった。
はじめて公美の友達、純子さんと電話が通じるもこわくて公美のことはきけず。
ドイツについてのいろいろな情報を聞くにとどまった。
午後からはボンの町を訪ねる。
ボンに向かう鉄道の中で日本の女性に出会っていろいろ教えてもらう。
デュッセルドルフには日本人がたくさんいるという話などを聞く。
ボンではベートーベンハウス(ベートーベンの生家)などを見たり
ミュンスター大寺院、ボン大学、ライン歴史博物館などを見学。
(写真はミュンスター大寺院)
広場ではくだもの、花の市場などが開かれ
屋台でくだものの食べ物をいただいたりもした。
真琴さん(未出だと思うが、自分の長いメールフレンド、高校生)や
こっちゃんなどに絵はがきを書く。
96:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:22:18 aRvqSVnL
17日(土)
この日は公美の学校に行くも案の定休みだった。
街はカーニバルで相変わらず騒々しいし、今までの情報を総合して
日本人が多いというデュッセルドルフの街に向かうことにした。
ガイドブックによるとイマーマン通りというところに
日本人街があるということで歩いていくとさっそく日本語の看板が。
日本の本を取り寄せている書店で、店員さんに聞くと
とりあえず日本人会館に行ってみると良いとのこと。
会館の中は日本と変わらない雰囲気、
とりあえず中の日本食レストランでごはんをいただく。
安くて、日本茶がとてもおいしかった。
掲示板には日本人むけの情報が書かれ、音楽教えますなどの文字も。
受付で話をしていると、ちょうど囲碁将棋の会がこれから開かれるとのこと。
会館の上に特別に上げてもらって、会に参加した。
最初は囲碁しかできる人がいなかったので囲碁をやったが
あとから将棋ヨーロッパ選手権3位になった人なども訪れ、将棋も始まった。
ドイツの方に詰め将棋なども出してもらい、結局日が暮れるまで将棋をした。
97:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:27:00 OcennjKa
帰りにいろいろ迷って、いったんは駅まで帰ったがやはりと思いなおして、
日本人会館に戻って受付で公美のことをいろいろ訪ねてみる。
留学生は日本人会には入らないことが多いのでまったくわからないとのこと。
囲碁将棋会の人が大変楽しかったということで
困ったことがあったらなんでも相談にのってくれるということで
とっても気持ちがありがたかった。
デュッセルドルフの駅のレストランで初めてドイツのソーセージをいただく。
ソーセージとジャガイモの炒め物と、サラダの一皿。
それにケルンとは違うデュッセルドルフの黒いアルトビール。
値段も高くなく、とてもおいしかった。いい店でおいしかった。
帰りのケルン行きの快速電車は本当の満員電車。
ケルンのカーニバルに向かう連中なので、仮装に放歌。
電車は遅れに遅れ、時間がかかり、途中停車もするし
まあ、どうなることかと思ったが、何ごともなく、ようやくケルンに着く。
98:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:28:16 OcennjKa
18日(日)
この日はバイロイトに行くと決めた。
前の日の晩にいろいろ考えて、日曜はどうせ学校も休みに決まっているし
小さいころから行ってみたいと思っていたバイロイトに行くのは
一生のうちにこの機会しかないと思ったのだった。
中学のころ、初めて買ったCDが「展覧会の絵/禿山の一夜」で
2枚目がたぶん「カルメン/アルルの女」
そして3枚目に買ったのが「ニーベルングの指環」(ハイライト盤)だった。
ショルティ指揮、ウィーンフィルの名盤中の名盤と言われたCDだった。
ヴォルフガングヴィントガッセン、ハンスホッター、ビルギットニルソンなど、
往年の名歌手が勢ぞろいのすごいCDだったのだ。
深遠なストーリーに、壮大な音楽に歌。
このCDを毎日、早起きして聞いていた。
このCDだけではあきたらず、ハイライト版を中心に何種類も
「指環」CDを買って聞いた。
もちろんほかのワーグナー作品も聞くようになっていった。
さらには当時大枚10万円ほども払って、全曲の
LD(レーザーディスク、今はないディスクの規格)を買ったのだった。
バイロイト祝祭劇場で収録されたブーレーズ指揮、シェロー演出の「指環」。
ワーグナーを聴きながら、こども心には指揮者になりたかったとか、
バイロイトの音楽祭に一生のうちにいければと思ったりもしたのだった。
ケルンからバイロイトまではガイドブックによれば
片道5時間ほどで日帰りでいけるギリギリの距離だった。
朝6時半に起きて、7時には朝食をいただき
(ホテルの食事はいつも同じでパンのバスケットに、
チーズのお皿と、ハム、サラミ、ベーコンの皿、ゆで卵1個にヨーグルト)
そのまままっすぐ駅に向かったのだった。
99:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:29:57 OcennjKa
直近のミュンヘン行きのICE(Inter City Express =超特急)
に乗りニュルンベルクまで行き、そこで乗り換えになる。
ICEが街を出ると郊外は農園なども広がり、
日本の北海道に似た景色だと思った。
長い移動のあいだじゅう、頭の中ではニーベルングの指環の
壮大な音楽が鳴り響いていた。
禁断の恋に生きて、神の裏切りに倒れる悲劇の英雄
ジークムントとジークリンデの運命に涙を流した。
ニュルンベルクでは乗り換えの待ち時間が50分近くあったので、
行き帰りに少し街を見ることができた。
ヒトラーが愛したこの街は本当にドイツらしい街で
昔の城砦がそのまま残っている感じだった。
日曜日なので閉まっている店が多く、これがヨーロッパなんだと思った。
バイロイトへのローカル線は電線がなくてディーゼル。
4両編成が途中車両が別れて2両づつ別方面に向かうのを
ドイツ人青年の車掌が親切に教えに来てくれて、無事にたどり着けた。
バイロイトの駅についたのは13:51分。
天気は晴れ渡り最高。
すでに昔映像で見たとおりの祝祭劇場(フェスティバルハウス)が見える。
息をはずませながら、駅から祝祭劇場までの坂道を登っていく。
そして14:10分ほどにはたどり着いた。
100:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:30:57 OcennjKa
しかし受付を訪ねると、すでに入り口の扉がしまっており、
しかも案内の表示によると劇場内を案内してくれるガイドツアーは14時が最後。
中に人がいるのが見えるのだけどどうしても入れてはくれない。
しばらく粘ったが、扉が開かれることはなく結局あきらめることになった。
はるばる訪ねてきたのに、とても残念だった。
祝祭劇場のステージや客席、建物の中をじかに見て
地下に潜っていくような特殊な仕組みになっているという
オケピットを自ら見てみたかったのに。
不満を抱えたままタクシーで、
ヴァーントフリート荘(ワーグナー博物館=住んでいた家)を訪ねる。
中でバイロイト音楽祭の貴重な資料などを見る。
実際に音楽祭で使われた資料などもあったし、
音楽祭の記念絵はがきがタダでたくさんもらえたので、まあ機嫌を直す。
ついですぐ隣の作曲家フランツリストの家を訪ねた後、
歩いて駅まで戻ることにした。
ところが道に迷う。
道を尋ねようにもドイツの中でも田舎なので、英語もほとんど通じない。
身振り手振りで聞きつつ、駅を探すが、時間は迫ってくるしあせった。
列車に乗り遅れると、その日のうちにケルンに帰れない。
迷っているうちにラマダホテルがあるのを発見。
この一流ホテルならよもや英語が通じないことはないと思い。
「I'm ・・・・Lost」というと受付の人は大笑い。
でもタクシーを呼んでくれて、列車発車の2分前、なんとか間に合った。
帰りのICEは混んでいて指定が取れないほどだった。
ニュルンベルクでソーセージをいただき、
夜の10時半過ぎなんとかケルンに帰り着くことができた。
長くてハプニングの多い一日だった。
101:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:40:35 jJfwn35t
19日(月)
この日は「バラの月曜日」と呼ばれる、カーニバルの最後を飾る大盛り上がり。
昼間から音楽が鳴り響き、人々の8割は仮装という感じ。
半分は酔っ払いでケルシュビールのビンを持ち、
地面には割れたビール瓶の破片があちこちに散らばっている。
立ちションしているドイツ人まで見かけた。
ケルンの中心街はパレード行進のための交通規制がひかれていた。
することもないのだけど、何もしないで一日をすごすのはもったいないし
帰りのチケットが取ってある21日が近づいているのであせりもあった。
それで、ついに考えていた作戦のひとつを決行した。
スケッチブックに
「飯塚公美さんを探しています。
I find ”KUMI IITSUKA”.
She is student of Koln music university.
I'm from JAPAN.Please Help me.」
と日本語と英語でマジックペンで大書して、それを持って回る作戦だ。
102:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:41:27 jJfwn35t
原始的な作戦だけど、何もしないよりもマシだと思った。
何人かの人が反応してくれた。
黒人の少女がケルン音大までの道を案内してくれた。
ぼくが探していたのは音大そのものじゃなかったけど、
彼女の親切はうれしかった。
その後何かできることは何かあるかと考えたら
日本人が立ち寄りそうな市内の日本食レストランを回って
情報を集めることくらいしか思いつかず
スケッチブックを掲げながら、仮装の群集が集まる中心街を歩き回った。
すざましい人ごみだった。一度だけ酔っ払いのドイツ人に
「こんにちは」と日本語で話しかけられた。
わかる限りの4軒の日本料理店を回ったが、カーニバルで全部閉まっていた。
何キロも歩いて疲れ果てて、何も得られなかった。
地下鉄を使ってなんとか中央駅まで戻った。
日も暮れたので、駅でチキンの丸焼きを食べて、ホテルに帰って、
あとはひたすら詰め将棋を解いたりポケット将棋盤で棋譜を並べた。
カーニバル明けになる火曜日に勝負をかけるよりないと思った。
103:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:42:51 jJfwn35t
20日(火)
この日は盛りだくさんだった。
音大はカーニバル休暇も明けて開かれていた。
例のスケッチブックを掲げながら、受付で尋ねてみたら
受付のおじさんは公美のことを知っているとのことだった。
電話番号や住所を尋ねたが、教えられないということだけど
でも受付の人は親切でかわりに日本の留学生が
練習しているホールを教えてくれた。
そこで日本人留学生の佐藤さんに会って、
公美の別の友達の電話番号を教えてもらってかけたり探索を続けた。
特に福田さんという方が親切で、
彼女がほかの日本人留学生に引き合わせてくれたおかげで
たくさんの話が聞くことができた。
公美が半年間のドイツ語語学コースにいたこと、
その卒業試験に受かったこと、
そして4月の新学期が始まるまでのあいだ
日本に帰ったのではないかということ。
さらに4月からはアーヘン校に移るかもしれないこと、
そのため引越しする可能性もあるということ、
そんなことがわかった。
また佐藤さんが公美に
「いつも一緒にいるけど、白子くんという人とつきあっているの?」
と聞いたら「違う」と答えた、という話もしていた。
公美がドイツで実際にこっちでがんばっていることがわかったし
ついに公美の電話番号もゲットすることができた。
もちろんかけてみたが、通じなかった。
誰がかけても通じなかったので、おそらく日本に帰ったことは
間違いないことだと確信を得られた。
104:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:44:34 jJfwn35t
このことはぼくに少し安心を与えた。
ずっとドイツにいて探し続けないといけなくなるかもと心配していたからだ。
実家に帰っているとわかっただけでもケルンにきたかいはあったという気もした。
日本に帰る口実が見つかったということもあったのかもしれない。
留学生たちといろいろ話をして、
その日の晩クラシックのコンサートがあることを知った。
佐藤君という留学生と聞きに行くことにした。
ほっとして、学校からすぐの場所にあるホテルにもどっていると
休んでいるのは時間がもったいないと思った。
行ってみたかった「テルメ」という施設に行くことにした。
ここはプールと温泉、サウナを一体にした日本でいうところの
クアハウスみたい感じのところらしい。
もう夕方5時すぎていたが、
8時からのコンサートに間に合うように急いでタクシーで向かった。
テルメは大きくて豪華な施設だった。
料金も2時間12ユーロと高く、また別途タオルや水着を借りた。
でもプールは快適だったし
(海からは遠いはずなのに少し塩分を含んだ水だった)
露天部分からは夕暮れになずんだライン川や街並みも見られた。
温泉は暖かかったが日本人の感覚ではちょっとぬるかった。
休憩室はお香がたかれ、マッサージもある。
(受けたかったが時間がなくてできなかった)
そして、問題はサウナ。
ドイツのサウナは男女ともに素っ裸で入ることになっているからだ。
昼には日本人留学生の女の子がドイツ人の彼氏とその友達に
うまく乗せられて脱いだという話をしていた。
105:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 10:46:42 jJfwn35t
サウナゾーンは原則、裸。
でも実際はタオルやガウンなどで体を隠していた。
しかし、サウナの中だけは本当の裸だった。
老若男女、たくさんの人がいた。
金髪のドイツ人の女の子でも下の毛は黒かった。
サウナのプールは裸で泳げ、気持ちよかった。
夫婦やカップルも多かった。
公美と一緒にこんなところに行けたらどんなにすてきかと思った。
気持ちのよい水を浴びて、魚のように泳いで、
そして公美の美しい体を心ゆくまで眺めてみたかった。
テルメからタクシーでコンサートに向かった。
ライン川にかかる、ドイツ橋を渡ると大聖堂が美しくみえる。
コンサート会場は大聖堂のすぐそばのホールと聞いた。
清掃の人々がカーニバルの後片づけをそこかしこでしていた。
道に迷ってコンサートには少し遅れてしまった。
自分の服装があまりフォーマルでなかったせいか
(公美が誕生日に贈ってくれた革ジャンとシャツだった)
受付で戸惑われたがなんとか入れてもらえた。
106:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 11:09:34 yDHBIKeZ
ケルンフォルハーモニーホール。
すばらしいホールだった。
自分が今まで見た中でもっともすばらしいホール。
ソロのピアノやバイオリンがこれほどまでに美しく響くものかと
おどろかざるを得なかった。
ホールの力なのか、演奏者の実力なのか、それとも楽器がすばらしいのか。
知っているチャイコフスキーのピアノコンチェルトが演奏されて
ドイツまで来て知っている曲を聞けるとは思わなかった。
2曲目の「皇帝」は初めて聞いたが、すごい迫力だった。
指揮者もハゲ頭のオヤジだが、すごく魅力的だと思った。
帰り道、駅前のスタンドで、残っていたソーセージを食べて
ケルンでの最後の晩は更けていった。
ホテルに戻るともう会わないだろうご主人(夜番)が
キャンディーをたくさんくれた。
挨拶だったのだろう。
107:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 11:10:38 yDHBIKeZ
21日(水)
ドイツ最後の日。
ケルン空港を10:55発の飛行機なので、朝は急ぎだった。
毎日同じホテルでの朝食も最後となった。
ホテルの奥さんにチェックアウトを告げると、
奥さんは手を取って握手してくれた。
ケルンにまたきたら、ぜひうちにきてくれと。
自分はだんなさんによろしくと伝えてもらってホテルを後にした。
KLMの「CITY HOPPER」というプロペラ機で(写真は行きのときのもの)
ケルンを飛び立つと(高度が低いので)ドイツの街並みがよく見えた。
公美に会いにこんな遠くまできた運命を思い、
旅のできごとを思い涙が止まらなかった。
アムステルダムに着いてからは、待ち時間があったので空港ですごした。
行きのときは全てに余裕がなくて、ひたすら時間をつぶしたが
帰りは一応の目的を果たしたので少し気持ちに余裕ができた。
空港内の「オランダ無敵艦隊展」を見学してきたり
カジノで遊ぶ余裕もできた。
最新式のスロットマシーンがいろいろな仕掛けがあって
とってもおもしろかった。
2時間ほど遊んで、20ユーロくらい負けた。
108:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 11:11:58 yDHBIKeZ
帰りの飛行機の中はずっと夜だったが、あまり寝られなかった。
日本が見えてくると新潟の海岸線がくっきり見えた。
ドイツではついに一度も見ることのなかった雪が積もっていた。
(ドイツのほうが暖かかったし、天気も旅行中ずっと晴れだった)
茨城上空も飛んで、鹿島灘の海岸線も見えた。
きっとこの視界の中のどこかに公美がいるはずだと思った。
飛行機は無事に成田に到着した。
ぼくにとっては最後かもしれない大きな旅だった。
ちょっとした冒険の旅だったとも思う。
帰ってこれないかもしれないと思って旅に出た。
ドイツで死ぬこともあるかと思っていた。
公美の情報もほとんどなく、会えるかどうかもわからないまま
言葉も通じないし、不安だらけだったけど
公美に会えることだけを願って、勇気をもって出発した。
がんばれば、きっと道は開けると信じた。
公美に会えなかったことは限りなく残念だったけど
そのときそのときでできることをがんばってやってきた。
109:なんとか、日本に帰ってきました
08/09/27 11:13:07 yDHBIKeZ
公美のおかげで、こんな遠くまで旅にでることができた。
あこがれのバイロイトやドイツを旅してくることもできた。
いつもぼくに勇気や励ましを与えてくれる公美。
心から愛している、という思いを深めることができた。
このたびでお金も本当に使い果たし、
来月のカードの支払いにも困るほどだけど
今日はぼくの誕生日だし、来月には公美の誕生日になる。
二人がつきあっていた、運命の季節。
きっと来月には公美に会うつもりだ。必ず会う。
人生の大きな決着をつけたいと思っている。
▲ # by shigeshogi | 2007-02-27 05:38
110:異邦人さん
08/09/27 18:07:43 kCIgd9iR
>>103
白子くんと思われる方
URLリンク(www.hpmix.com)
URLリンク(www.hpmix.com)
URLリンク(www.hct.zaq.ne.jp)
URLリンク(www.hct.zaq.ne.jp)
白子 正樹 (しらこ まさき)
京都市立芸術大学を主席卒業。京都音楽協会賞受賞、第5回
滋賀県新人演奏会に於いて最優秀賞受賞ほか多数受賞。2006年9月、
ドイツ・フレンスヴェーゲンの国際室内楽アカデミーにラルフ・マノ教授の
推薦により全額奨学金を得て参加。現在、ドイツ・ケルン音楽大学に留学中
(2007/7当時)
111:異邦人さん
08/09/27 21:06:27 s3LlhxUb
白子くんよりも、真ん中の男の方がかっこいいね
112:さよなら33歳
08/09/28 09:12:33 9y5IgEXv
2007年 02月 28日
今日(もう昨日)は34歳の誕生日だった。
ぼくの地獄のような33歳は終わった。
2年前の2月28日には公美は、ぼくの人生で1度しかなかった
夢のようなすばらしい誕生日を用意してくれたのだけど
それはまた近く書くだろう。
メールをくれたのは、セイで知り合ったれぶんさんだけだった。
あとはみんなソフトが自動で送ったり表示する「おめでとう」のメッセージ。
不幸な日々をすごしているものにとってはむかつく以外の何ものでもない。
祝福のメールのかわりに以前首がいたくてかかったときの接骨院から
実は保険が期限切れなので払ってほしいと電話があった。
そんなこと言われてもないも、どうしようもない。
家賃と駐車場代を払ったら、お金はちょっとしか残らず
もう今度のカードの決済で支払うお金もないのだ。
ドイツのお金が来るのでとても払いきれない。
1年2ヶ月ぶりに両親と母方の祖母に会った。
何もいえなかった。
もしかすると、もう会えないのかもしれない。
113:さよなら33歳
08/09/28 09:14:04 9y5IgEXv
夜、セイのチャットで知り合った人とすぐに会うことになった。
たぶんムダであることはわかっているけど
もしかして、何か運命がかわる切っ掛けになるかもしれない。
川口だから車で行けば1時間はかからない。
夜の1時に川口のコンビニで待ち合わせた。
29歳、バツイチ、小学生のこどもがいる。
精神科にかかっていて、リストカット常習。
睡眠薬を5錠も飲んで会いにきた。
ぼくに会ってくれるのはそんな人くらいなのかもしれない。
ファミレスで1時間ほどお茶をして、帰った。
儚い希望だった。
公美とのこと。
前回、最初のお別れのところまで書いた。
でもそのあとも少しメールの交換をした。
そのうちのいくつかが以下。
114:さよなら33歳
08/09/28 09:15:45 9y5IgEXv
昼休みにかいています
To: "kumi iitsuka"
こんにちは、公美さん。
昨日はどうもありがとうございました。
帰り道はまだけっこう動揺していたと思うのですが
うちに帰ったらなんだかどっと疲れて
公美さんにメールを書いたあとはすぐ寝てしまいました。
11時間以上寝たんじゃないでしょうか?
そのまま朝まで寝続けたみたいです。
きっと疲れていたんですね。
ぼくがこれだけ疲れていたということは
公美さんもきっとかなりお疲れだったことでしょう。
体調が悪化されてないことを願っています。
思うにこの一週間熱くなりすぎましたね。
ぼくも熱くなっていたし
公美さんもそうだったのではないかと推測します。
1日おきぐらいに会って、いろいろして
テンションが上がりすぎて無理を無理と感じない
おつきあいの仕方をしてしまった感じがします。
こんなに、長くて忙しい一週間は
このところしばらくなかったように思います。
こんな付き合い方をしていては
体も壊してしまいますし遅かれ早かれ、
破綻してしまうのも今思えば当然の成り行きです。
115:さよなら33歳
08/09/28 09:17:11 9y5IgEXv
ぼくに関していえば公美さんが言われたように
「恋に恋する」であまりにもひさしぶりに彼女ができ、
しかも生まれて初めて心から好きな人とセックスできた喜びで
浮かれあがって冷静さを失っていたのでしょうね。
失礼なこともしたり、傷つけてしまったことを
次々思い出しました。
本当にまだまだ若い、というか子どもというか
ダメだなあと反省するしだいです。
「恋に恋する」ところがあったのは事実ですけど
その一方で公美さんだからこそというのも
間違いないと思っています。
知れば知るほど好きになっていって
仮にこのままダメになってしまったとしても
当分他の人を好きになることはできないなと
思ったりしています。
今日はまともに仕事なんてできないんじゃないか?
って危惧していたのですけど、
意外にそうでもなく、いつも通り明るく話をして
たまった仕事をこなせています。
新しい仕事にも手をつけられました。
公美さんとのことは大切で今はまだ
あきらめようという気持ちにはなれないのですけど
公美さんの気持ちと体が一番大切だし、
自分には反省して、冷静さを取り戻したり
ひとりで自分のことをがんばって
毎日の行いを慎む時間が必要かと思ったりします。
116:さよなら33歳
08/09/28 09:18:42 9y5IgEXv
自分は失敗しないと覚えられないダメな人間です。
たぶんこれからも失敗を繰り返すのでしょう。
しかし今回の失敗を肝に銘じて
もう少しでもましな人間になりたいと願っています。
昼休みにつれづれに書きましたが
時間オーバーしてしまいましたね。
返事は結構です。ご迷惑かけています。
公美さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
公美さんの今日が素敵なものでありますように。
では。
ps公美さんにお願いです。
東京ドームシティで撮った写真。
捨てるのだけは勘弁してもらえませんか?
もし公美さんがこの恋は捨てる、と決めて
写真を捨てるのなら、どうかぼくに下さい。
これだけはせめてものお願いですので
どうぞよろしくお願いします。
117:さよなら33歳
08/09/28 09:23:11 9y5IgEXv
お疲れ様でした
Date: Wed, 9 Feb 2005 00:20:23 +0900
しげさん。
昨日もありがとうございました。
楽しかった。
デートと言うデートもしたことのなかった私にとって、
しげさんとお付き合いできたのはとても大切な思い出になりました。
悲しいこともあったけれど、それ以上に楽しいこともたくさんありました。
お付き合いに至るまで、よく考えて出した答えだったけれど、
浅はかだったのかもとも思います。
お互いがもっとお互いを知るべきだったと。
後悔はしていません。
幸せだったり楽しかったりという思いでもあるのですから。
ただ、限られた時間の中で、もっと言葉を、心を通わせることは、
どんな人間関係においても必要なんだと思いました。
こうなってしまったことに自分を責めないでくださいね。
私から言い出したことですが、私にも至らないところはたくさんあって。
体を無理してしまったのは事実です。あなたの喜ぶ顔が見たかった。
でもまた無理をしてしまいました。あなたに言えなかった。
118:さよなら33歳
08/09/28 09:24:09 9y5IgEXv
またあなたとやり直すという気持ちは正直今はまだありません。
あなたの考え方が少しずつ分かってきて、
私にはその考え方について行けるほどの余裕も力も自信もありません。
あなたが例え「くみだけ」と言ってくれても信じられないんです。
疑ってしまうんです。怖いんです。
抱きしめてくれていても心はどこか違う場所に行ってしまう可能性を
あなたの中に見ずにはいられませんでした。
今こんな気持ちでお付き合いしていても心には暗い影が見え隠れして、
また同じことになる。
だから時間をおきます。
おいたところで何もかわらないかもしれない。でも時間が必要ですね。
これから忙しい日々が続きます。
一瞬一瞬を大切に過ごして行こうと思います。
だからしげさんも頑張って!
私たちの未来に何が待っているのか分からないけれど
怖がらずに進んでいきましょう。
そしてお願いですからあなたのあの優しい笑顔を忘れないでくださいね。
私はその笑顔が好きでした。
ありがとうございました。
しげさんに幸せが舞い降りますように。
公美
119:さよなら33歳
08/09/28 09:26:36 9y5IgEXv
今、メール読みました。
本当にいろいろありがとう。
公美さんの真心が伝わりました。
一言だけ付け加えておくならば、
ぼくは最初にお会いしたときに少し話したように
かつて、それほど思っていない女性とつきあい
傷つけあうようなお付き合いの仕方をしてしまいました。
公美さんに見透かされたように、
卑劣な部分もたくさんもっています。
その反省がひとりの本当に好きになった人だけと
付き合おうと思ったことです。
そのため、何年も女性とお付き合いすることは
ありませんでしたが、でもそれも仕方ないことと思いました。
今度付き合うことになって
決してウソや浮気だけはやめようと思っていました。
ぼくがウソをついたと思ったことありましたか?
・・・でも、たしかにぼくは約束、破ったですね。
信じられないのも無理はないな。
今度は愛する人のために、
欲望に負けない強い心ということについて
考えてみたいと思っています。
120:さよなら33歳
08/09/28 09:27:40 9y5IgEXv
とりあえず、会社の裏庭の桜が咲いて誕生日がくるまでは
まず自分のことをがんばってがみようと思います。
たったこれぐらいのことががまんできないようでは
きっとこの先も同じことを繰り返してしまうでしょう。
ましてや、留学したり、遠く離れる時期を乗り越えることも
できないに違いないです。
もしふたりの縁が本物なら
これぐらいでダメになったりはしないはず。
公美さんもがんばってください。
きっとすばらしいクラリネットの演奏をされるのでしょうね。
展覧会の絵、公開される演奏ならぜひ聴きたいです。
公美さんには本当に感謝しています。
では、しばらく。さようなら。
121:さよなら33歳
08/09/28 09:33:24 9y5IgEXv
そうやって
Date: Wed, 9 Feb 2005 01:30:04 +0900
自分を見返しながら進んでいこうとするあなたを尊敬します。
うそをつかれたと思ったことはありません。
ただ未来に自信が持てませんでした。
それはあなたのせいではなく、私自身の問題なんです。
人を信じることが怖くて逃げ出してしまうのは私。
あたと正面からぶつかるのが怖かった。人を信じるのに人から
の愛情で信じようとする臆病で卑怯な私。
あなたに思ってもらえるほど良い人間ではありません。
それは少なからずあなたも気づいていたことでしょう。
人を愛する努力をしてきました。
愛されるためには自分から愛そうとすることが大切だと。
幸せだった。
あなたに好きって言ってもらえた事で頑張れた。
生きていることを感じられた。
自分がここにいることを実感できた。
とても言葉に出来ないくらい感謝しています。
本当にありがとうございました。
どうか私たち二人がどんな形でも幸せになる道が開けますように。
さようなら。
122:さよなら33歳
08/09/28 10:15:29 U68nh5I/
このメールから先は、しばらくメールを出さないでがまんした。
しばらく・・・といってもたった10日くらいなのだけども・・・
自分にとってはどうしようもなく長く感じる時間だった。
会わないでいると、連絡も取れないと思うと
公美のいない心の寂しさがよりいっそう強く感じられた。
「大丈夫、信じていれば、きっとまた元に戻れる」
という気持ちだけが自分を支えて、がまんと仕事の日々をすごした。
いったい、愛する人を失う苦しさというのは
どうしてこんなに辛い、受け入れがたいことなんだろうか?
自分のそれまでの生活が恵まれすぎていて
世の中の本当の苦しみをまだ知らないからなんだろうか?
わがままなだけなんだろうか?
123:さよなら33歳
08/09/28 10:16:29 U68nh5I/
まあ、いわゆる世間の常識からみれば、
ぼくのこの感情は単なるわがままにすぎないのだろう。
多くの人がこう言う「失恋の痛みはみんなが経験していることなんだよ」と。
たしかにそうなんだろう。
だから、ぼくが公美を失う痛みを受け入れられないとして、
それは単なるわがままにすぎない、と決め付けられてしまう。
病気や貧困や、その他もろもろの苦しみを受けている人が
世の中にはたくさんいることも知識ではわかっている。
もちろん、他人のことに限らず、自分自身だって
病気になり苦しくなれば、何もいらないから
公美のことももういいから、この苦しみから逃れさせてくれ、
と泣き叫ぶかもしれないし、
ぼくの思いなんて、しょせんその程度のものかもしれない、と思うときもある。
しかし、自分の実感としては、やはりそういうふうには感じられないのだ。
自分にとっては公美のいなくなる痛みは、世界で唯一無二、
この世の全てと引き換えにしてもつりあわないほどの苦しみに感じた。
今は苦しみもあるけど、結局どんなにがんばっても
公美とはうまくいかないということで、
生きること全般へのあきらめが自分を覆ってしまっている。
これも、人から見れば単なるわがままにすぎないんだろう。
124:さよなら33歳
08/09/28 10:18:16 U68nh5I/
でも、公美がただ、ぼくのことを好きじゃなくなった、会いたくない
というたったひとつのことで
どうして、人にこれほどの苦しみを与えることが正当化できるのか
自分としてはどうしても理解できないでいる。
まして、公美は一度はぼくのことを愛して、好きと言ってくれた。
ぼくと抱き合って、特別な女性になってくれた。
それがぼくにいくらかの失敗や、欠点があったからって
どうしてこんなにも苦しめることが許されるの?
毎日が地獄の炎で焼かれているようだった。
この2年間、ぼくは心から笑うことができなくなった。
そしては今は心のあらゆる部分を
悲しみと絶望とあきらめと無力感と自暴自棄な気持ちと、
そして怒りと憎しみが覆ってる。
今、公美をあきらめたところで、いったい自分に何ができるだろう?
2年間、ずっと公美だけを思ってきた。
公美を信じて、すべてをささげてきた。
125:さよなら33歳
08/09/28 10:20:23 U68nh5I/
ぼくは公美が好きなだけ。
愛しているだけ。
だから、会いたいだけ、話したいだけ、抱きしめたいだけ。
それの何がいけないの??
それだけじゃない。
公美が「うん」って言って受け入れてくれれば、何の問題もない。
何でそんなに頑なに拒否するの?
たしかにぼくはわがままなのかもしれないけど
だけど、どうして、ぼくを拒否する彼女のわがままだけが正当化されるの?
この世界のすべてが間違ってる。
さて、話を戻して、公美との再会の日はすぐにやってきた。
携帯をかえたことにかこつけてメールを出したら
公美はすぐに返事をくれたのだった。
しかもとってもいい感じで。
そしてまたデートに応じてくれた。
ぼくはこのころ公美は本当はぼくのことが好きだと信じていたし
いつかはわかってくれる人だと少しも疑ってなかった。
実際、きっとそうだったのだと思う。
そして公美とのすばらしい思い出はまだまだ続くけど
それは、また次の回に。
▲ # by shigeshogi | 2007-02-28 06:27
126:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:04:56 YZm8zMxJ
2007年 03月 01日
今回は二人が再び付き合い始める話を書く予定だったがいったん中断。
公美への思いを書いてみたいと思う。
いったい、自分は公美のどこに、そんなにも心ひかれるのか
好きなのか、こんなにも別れがたいと思うのか、いろいろ思うことがある。
もちろん、一般的な部分からいえば
クラシック音楽の好きな自分にとって公美のすばらしい演奏や、
音楽への愛や情熱は音楽の天使のように思える。
もちろん、芸大卒の経歴や、留学の実績はぼくにも誇らしい。
彼女のご両親がお金持ちで、彼女が限りなく愛されていることも
すばらしいことだと思う。
上野に住んでいたことも、ケルンに行ったことも
茨城、そして笠間出身なことも、彼女にまつわることは全て好きだ。
華やかなステージでドレスを着ているのもすてきだし
二人が出会ったころ、限りないやさしさを示してくれて
自分が人生で感じたことのないような幸福感を与えてくれたことも
もちろん好きな理由のひとつだ。
それからその容姿も好きだ。限りなく、かわいいなあって思う。
身長も体重も理想的で、大きな胸や感じやすい体も大好きだ。
ちょっと天然のウェーブが入った髪の毛もとってもかわいいと思う。
めがねもとっても似合うし、はずしているときがあるのも
また素敵だなあって思う。
127:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:08:03 YZm8zMxJ
でもここまで離れがたく感じる最大の理由は、
公美は自分とかなり似たもの同士だからいうことじゃないかと思う。
こういうと、彼女は嫌な顔するのかもしれないけど
ぼくはつきあいはじめたときから、そのことを感じていた。
ひとつはその心の弱さ。
人前では強がっていても、自分と公美の心はとても弱い。
いつも何かに依存しようとしている。
主には、異性。そして、親(家族)。
満たされない心の空白を、いつもそれらで埋めようとしている。
(自分もそうだけど)
公美も、ぼくに出会うまでも何人もの男性と交際をしてきた。
大学の1、2年のころには毎日、みたいに学校帰りにホテルに行った
というふうに言っていた。
大学の女友達にネットで「意外とやり手」などと書かれる始末。
そして、そうとは思わずに相手を傷つけるような
付き合い方をして(もちろんわざとではないのだけど)
実際傷つけてきた。
公美が高校生のときつきあった男性の一人は自殺未遂までしたそうだ。
自分もそのつもりはなかったけど、
結果的にゆかりやまりこなどを傷つけたと思っている。
128:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:10:35 YZm8zMxJ
そして、高いプライドとそれを支える実力の不足。
自分にとっては将棋が、公美にとってはクラリネットの演奏が
その数少ないプライドのよりどころだ。
自分には将棋の才能が、公美にはたしかに演奏の才能があることは
たぶん間違いないと思う。
その反面、自分のプライドを満たせるほどの実力を身につけることや
実績が残せないこともまた事実なんだと思う。
普通の人とは違う、けど、特別な選ばれた天才かといわれると
そうではなさそうだ。
まして、将棋や演奏で食っていくことは難しそうだ。
努力ももちろん普通の意味では十分しているにしても
本当にその道に人生全てをかけているといえるほどは
(将棋でいえば一部のトッププロや奨励会員がしてるほどに
毎日10時間もやってるかと言われれば)
打ち込んでいない。
自信のないままに、でもほかによりどころもないので
自分は将棋を、公美は演奏を続けざるを得ない。
「公美は早く結婚してやめたい」と言うときもあったけど
これは逃げのひとつだし、
自分が愛する彼女ややさしい奥さんがほしい最大の理由も
やっぱり時には将棋のことを忘れたいからだ。
129:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:12:19 YZm8zMxJ
そして、独立自尊の気持ちはあるが、
経済的には親に依存している部分がある。
(自分の場合は間接的にではあるが)
でありながらも、お互いけっこうわがままだし、
干渉されるのが嫌で、遠ざかろうとする。
常に中途半端な弱い2人。
(とはいえ、公美は全体としては
ぼくよりずっとマシな人間だとは思っている。
何しろ彼女はぼくよりも、ほぼ10歳若いのだ。)
そして、なんだかんだいって、やさしい、ところ。
やさしい、が思い上がった言い方なのだとすれば
坊ちゃん、嬢ちゃん育ちなんだといってもいい。
世間の厳しさをそんなにしらないから、全てに甘くて
物事を楽観的に考えたり、
困っている人をみればついついかわいそうと思い
できることなら、たいした力もないくせに、手を差し伸べたいと思い、
できもしないくせに、親孝行したいとか
本当はわがままなくせに、友達にいい顔をしたり、親切ぶったりする。
130:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:14:05 oCD0s+JE
たいして頭もよくないくせに、
世の中のいろいろなことを知ろうと思ったり、
知っていると思ったり、
芸術的なこと全般に興味をもったり、わかろうとしたり
実際の自分よりも立派な人間であろうとしたり
自分を誠実に見せようとしたり、
いい格好をしようとしすぎるところ。
いつも不安定な心を抱えていて、眠れない昼夜逆転生活。
そして満たされない心を性的な欲求不満にぶつけるところも似てる。
公美は女の子なのに、毎日のようにオナニーをする、と言っていた。
そうすると体が疲れて、眠れる、と。
自分も同じような感じで、寝る前にはすることが多い。
性的な欲求に弱くて、公美は自分の体は感じやすくて
痴漢に触られても感じちゃう、と言っていた。
演奏家になれなければ、風俗嬢をやるとも言っていた。
自分は肉体的な快感はそれほど感じないほうだと思うけど
女性を抱くことによる、安心感、充足感をいつも求めている。
2人とも欲望に流されて、セックスをしてしまったこともしばしば・・・
性的なことにいやらしく、汚らしいところがある、自分と公美。
131:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:15:57 oCD0s+JE
ぼくは彼女にそういう欠点がたくさんあることを知りながら
(もっとも自分もそうなんだから、偉そうには言えないが)
そういうところのひとつひとつが限りなくいとおしく感じる。
公美のそういう弱さ、悲しさ、危うさ、不安、そういうことを
ほんの少しかもしれないけど、わかってあげたいって感じるし
その悩みも、ほんの少しかもしれないけど、わかる気がするのだ。
この広い世界で豆粒のように小さく、
ぼろきれのように汚いけど、
その全てが大切で、受け入れられると思う。
たぶん、公美もぼくを好きだったとき
きっとそういう似たところを感じたのだと思う。
なんだか、公美の悪いところ、マイナスのところばかり
書いてしまったような気がするが、
もちろん公美にはそれを補うすばらしいところが山ほどある。
ぼくなんかにはない立派なところをたくさんもっている。
上で書いたところともだいぶ重なるが忍耐強く地道であること、
本質的な部分でとてもやさしいこと、
手先が器用で細かいことを大事にすること
感受性が豊かなこと
派手じゃないのにおしゃれのセンスがとてもよいこと
料理が上手なこと、掃除洗濯ほか生活能力に長けていること
などなど。
132:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:17:21 oCD0s+JE
公美なら、プラスの部分も、マイナスの部分も
全てをかわいらしく思って深く愛することができる。
彼女が仮に病気で倒れても、どんな悪いことをしても
ぼくをどんなふうに汚く裏切っても、
歳をとってどんな容姿が醜くなってもたぶんずっとかわいいと思えるし
味方でいられるし、そして一生かけて愛していけると思う。
これからも彼女の全てを受け入れて、愛していきたい。
(3月16日追記
いくつか、書き落としたことがあった。
公美の魅力の大切なところに、人を外見で判断しないということがあった。
口で「外見だけじゃない」とか簡単に言う人もいるし
私自身も人を外見だけで見てはいけないと気をつけてはいるが
それでもやはり人間は人の外見=容姿が気になるものだ。
特に恋愛対象として異性を見るとき、やはり気になるほうが普通だ。
自分も一般的な美人とかかわいいとかとは違う基準だけど
それでも自分なりにこういう女の子がかわいい、と思ったりする。
公美はその基準にぴったり当てはまった。
もちろん公美もまったく人を外見で見ないわけではないと思うけど
それでもぼくが一緒にいた限り外見を気にしたそぶりはなかった。
公美のようなかわいい女の子が、こんなふうに自分の全てを愛してくれるということが
自分にとってどれぐらい励みになったか知れない。
133:公美のことが好きなわけ
08/09/28 12:20:53 oCD0s+JE
それから「約束を大事にする」という美徳があった。
異性間の約束は時に簡単に破られがちだ。
ぼくも何度女の人に約束を破られて泣いたかわからないほどだ。
女ってどうしてこんなに約束を守らないのだろう、と思うが
女も男に対して同じことを思っているようで
恋愛では好きになった側の約束への期待がどうしても大きく
そうでもない側の約束への思いは軽いから
そのギャップで裏切りということがどうしても起こるようだ。
でも公美はいつも「約束」を大切にしてくれた。
遅れるときもちゃんと連絡をくれたり、いつも尊重してくれたから
結果的に約束が守られなくてもいつも安心できた。
公美のそのまじめさは心から尊敬できると思う。
ぼくも公美を一生かけて愛する、という約束を守りたい。
公美を愛している。早く会いたい。一緒になりたい)
▲ # by shigeshogi | 2007-03-01 04:47
134:異邦人さん
08/09/28 12:47:16 xGBqov1V
凄い執着心ですね…。
くみさんは彼がやってくることを知って、日本に一時帰国してたんですかね…。
たまたまならほんと運がいい…
135:けがれなき真琴さん
08/09/28 12:49:22 ToR4QxqI
2007年 03月 02日
今回は公美とのことをちょっと離れて
公美とある意味対照的な一人の女の子のことを書こうと思う。
真琴さんに出会ったのは公美よりもっと前の3年半前。
ネットの出会いの掲示板に彼女が書き込みをしていて
それを公美のときと同じ自動メール送信サービスが縁をつないだ。
自分が送ったプロフィールのうちの「沖縄」というのに
真琴さんが興味をもって沖縄のサンゴについて書いてくれて
それでぼくがサンゴがどんな特殊な環境でないと生育しないのかとか
沖縄のサンゴが今まずい状態にあるということなどを書いたのが
きっかけだったと思う。
その最初のメールを交換したとき、
真琴さんは長野県に住む、まだ15歳の中学3年生だった。
彼女はとてもまじめな女の子で、メールは知的で話ははずんだ。
高校受験を控えた、まだまだこどもっぽいところを残す
あどけない、田舎の女の子。そんなイメージだった。
実際中学の制服をきた写真を送ってくれたけど
まっかなほっぺたで、ちょっとぽちゃとして
自宅のタンスの前でピースをして
失礼ながら「ああ、田舎娘!」と思ったのだった。
136:けがれなき真琴さん
08/09/28 12:51:05 ToR4QxqI
彼女は絵や写真が好きで(メールで)しばしば送りあった。
彼女の描く絵(油絵)を写真で送ってくれて
すごくすばらしい絵を描く女の子だと思った。
まじめで、親孝行、庶民的でちょっと昔風の普通の女の子という感じで
とっても好感と安心感をもつことができた。
飼っているうさぎのこととか、かわりゆく街への感傷とか
受験のこととか、妹とケンカしてしまったこととか、
あるアイドルが気になっているとか、
逆に自分からは出会いがなかなか見つからないとか
そんな日常的なお話がずーっと続いていった。
まっすぐな心根や、瑞々しい感性がまばゆかった。
そのうち年賀状も交換するようになって
誕生日プレゼントにケーキを贈ったこともあった。
彼女は将来、○○になりたい!と言うのだけどそれが毎回違う。
でもそんなところが彼女の成長や、夢の大きさ
そして若さをかえって感じさせて心地よかった。
そして彼女は高校に合格して(県でも有数の進学校らしい)
そのころから英語への興味が高まっていって、
英会話をはじめるようになった。
次第に彼女の夢が、外国文化や国際交流などにかたまっていき
TOEFLのような英語の試験を受けるようになったり
イギリスにホームステイしたり(イギリスから手紙をくれた!)
そして、留学したいと思うようになって、
その費用を稼ぐためにバイトを始めたりもした。
今や英語でメールで書いたり、海外でも生活するくらいはなんでもなくなって、
そしてついにこの春からのカナダの大学への留学を決めたのだった。
真琴さんは成長という言葉をぼくの目に見える形にしてくれた。
137:けがれなき真琴さん
08/09/28 13:18:11 iCDwR3Uj
自分の夢を次第に形にして、できる努力を常に続けて
そのうえ実家の両親(中華料理屋をやっている)を常に考え
おごらずたゆまない彼女に
「ああ、自分は完全に追い越された」と感じた。
彼女はまだ18歳の小娘?なのに、
次第に尊敬の気持ちを抱くようになってしまった。
彼女はいつも向こうから会いませんか?と言ってくれた。
何かの用事で東京にでて、時間がありそうなとき声をかけてくれた。
最初に会おうと言ってくれたときは
まさに公美とこれから一番いいときを迎える直前で
気持ちは公美だけに向いている上に
仕事に将棋にと燃えているときで、
大会に重なったこともあって断ってしまった。
2回目の会う機会は、公美とわかれて半年くらいした夏の暑い日だった。
そのときは会わない理由はなくて、喜んで会うことにした。
自分は、中学校のときの制服の写真に写っている
15歳のあどけない女の子のイメージでいたのだけど
実際に現れた17歳の彼女は全然違うのだった。
麦藁帽子にさわやかなタンクトップ。
すっかりスリムになって、少し日にやけていた。
健康的なしみひとつないうつくしい首筋や腕に、
ほんのり膨らんだ胸。
曇りひとつないまっすぐな瞳と笑顔。
美しくかわいらしく成長した、実物の彼女が目の前にいたのだった。
ぼくは彼女に「女」を感じてドキドキしてしまった。
138:けがれなき真琴さん
08/09/28 13:18:50 iCDwR3Uj
彼女はちょっと緊張したようだったけど
サンシャインシティに行って一緒にメキシコ料理を食べて、
いろいろお話をして、イギリスの写真を見せてくれたりした。
そして、帰りの高速バスの時間ぎりぎりまで粘ってしまったので
二人でバス停まで走ったのだった。
間に合った。
そして今も彼女とのメールは続く。
ドイツにいるあいだもメールを交換した(日本語入力ができないのに!)し、
絵はがきも送った。
遠い異国の地で彼女のメールはとってもはげみになったし
今のように楽しいことがほとんどない毎日の中で
彼女からのメールがどれだけうれしいことかと思う。
自分にとって真琴さんはなんかまぶしく感じる存在だ。
もちろん好きかと聞かれれば、好きだし、
限りなくかわいいと感じるし、色気も感じる。
会いたい、って思うときもある。
こんな彼女がいてくれたら、すげ~、いい!!とか思う。
でもなんていうか、彼女は汚してはいけないちょっと神聖な人
みたいな感じも自分はもってしまっている。
自分みたいな汚れた人間が、汚れた手で触ろうなんて失礼だし、
ちょっと違うんじゃないかなって感じたりする。
彼女みたいな素敵な人が間違ってもぼくを愛してくれるわけない
というふうに思ったりもする。
そこが公美とは全然違う感じがする。
139:けがれなき真琴さん
08/09/28 13:19:27 iCDwR3Uj
公美は、自分と同じ、あるいは自分と近い人だ、って感じさせてくれた。
もちろんひとつひとつを見れば公美にも尊敬すべき
すばらしいところがたくさんあるし
また演奏家としての実力だってかなりのものなんだけど
それでも人間の本質的なところで近しいものを感じる。
真琴さんはもちろんすばらしい女の子。
こんな人に、もし愛してもらえるならそれこそ男子一生の誉れと思う。
だけど実際に自分が愛してしまう、惹かれてしまう。
離れがたい、近づきたいって感じさせてくれる人は、やっぱり公美なのだ。
ぼくがこんなふうに感じているってことが
公美はわかってくれているのだろうか?
公美はぼくにとっては特別な離れがたい、必要な女の子。
彼女がドイツでがんばるというなら、ぼくもドイツに住みたい。
どんな場所でも何か仕事を見つけてそばにいたい。
忙しくてたまにしかあえなくても、心がいつもそばにいればいい。
ぼくだけのかわいい公美、愛してる!
▲ # by shigeshogi | 2007-03-02 00:25
140:異邦人さん
08/09/28 17:15:58 95ENgVt0
>>112に地獄のような33歳とあるけれど、
地獄のようだったのは山田よりもむしろ彼の周りの人間のほうなんだよね
それに本当の地獄は35歳のときにやってくるわけで
ドイツでは公美にはあえなかったものの本人が言う用に何とか帰ってこられたってのはよかったんだろうか
もともと帰れないだろうという覚悟だったようだけに直接会えなかったのはその時としては結果的にはよかったんだろうけれどね
141:異邦人さん
08/09/28 18:09:13 VHAa7HwN
うpお疲れサマですっ!
いつも、ドキドキしながら読んでます。
すごい被害者意識&好意の押し付け…。
粘着質な人って、心の中でこんな風に考えているんですね~。
ネタじゃないところが恐ろしい!
早く続きが読みた~いw
142:異邦人さん
08/09/28 18:57:53 GvkM2p4o
山田かつて無い茂樹的なスレでつね
143:結婚話をした日
08/09/29 10:55:59 8tPvgRvQ
2007年 03月 03日
一度は公美に別れを告げられてしまったけれども復活した日の話。
別れてしまって辛い日々を迎えてしまった自分だけど
きっと公美は自分のことが好きなはずと信じていたし
辛抱していれば必ず復活できると思っていた。
そして、その日はやってきた。
初めて別れてから10日ほど過ぎたのち、
携帯を新しく変えたことにかこつけて
公美にメールしてみたのだった。
公美はごきげんで返事をくれた。
(^-^)お疲れさま 元気そうでよかった(^^)
携帯変えたんですね メールしてくれてありがとうございます
私も頑張ってますよ(^^ヾ 今月は休みもなく頑張り時です
しげさんも体を壊さないように
こんなやさしい言葉をかけてくれて
夢のようにうれしかったことを覚えている。
よかった、うれしかった、信じていてよかった。
144:結婚話をした日
08/09/29 10:56:54 8tPvgRvQ
最近のこととかいろいろ話しているうちに
電話で話そうということになって、
さらに電話で話しているうちに、
会おうという話になって結局会うことができたのだった。
夜からのデートだったので道はすいていたし
ちょっとドライブして隅田川を越えて、
亀戸の辺りを通り南砂のほうまでいき、
自分がちょっと気に入っているイタリアンのファミレスにした。
途中、亀戸の近くにある、
すごくおいしいステーキ屋さんの前を通ったときに
「一度だけ行ったことあるけど、最低5千円からなんだよ」
と言ったら
「一度本物を味わっちゃうと、ニセモノはダメでしょう?」
と公美が答えた。
ぼくは公美は本物に囲まれて生きているからな~って思ったけど
「安いものには安いものの良さがあるさ」
って話をしたのをよく覚えている。
禁煙席がいっぱいで喫煙席に回ってしまったけど
話は弾んでとっても楽しい時間だった。
このときは将来のこととか結婚のことを話したのだった。
145:結婚話をした日
08/09/29 10:58:05 8tPvgRvQ
ぼくが公美に「演奏家になりたいんでしょう?」というと
「うーん、けっこう微妙かも・・・」という返事なのだった。
「音楽は好きだけど、クラシックを聞くと仕事の頭になって」
とかそんなことも言っていた。
教育実習に行くというから、「それじゃあ、先生になるの?」
と聞いたら「そうでもない」という返事だった。
公美がいろいろ迷っているんだなあという感じが伝わってきた。
「結婚とかは?」と聞くと
「自分はすごく結婚願望ある!」と公美は即答した。
「理想とかは?」って聞くと
「自分はすごい現実的に考えているの」という答えだった。
ものすごく熱い恋愛をして、唯一の人と結ばれるのじゃなくても
自分のことをちゃんと愛して大切にしてくれる人ならそれでいい
というのだった。
「じゃあ、ぼくでもいいの?」と冗談っぽくきいたら
笑顔で「考えておきます~」って言ってくれるのだった。
ぼくはとってもうれしくなって
「じゃあ、こどもができたら、ぼくと公美の名前を1字づつとって
男の子だったら公樹、女の子だったら美樹、っていうのはどう?」
って言ったら、けっこううけて笑ってくれるのだった。
とってもうれしかった。
146:結婚話をした日
08/09/29 10:59:36 8tPvgRvQ
その後、雪の降る日に仕事で雪かきをして、かじかむ手を見つめながら
公美と結婚したときのことを思ったりしたことがあった。
こうやって、一生懸命仕事して、
うちに帰ったら公美がピアノを弾く音が聞こえてきて、
のんびり聞きながら休んでいたら
公美が気がついて笑顔で迎えてくれて、ごはんを作ってくれる。
早くそんな日がきたらいいなと思った。
特別なものやぜいたくなものはなにもなくても
二人で一緒に誰にも邪魔されず、のんびりささやかに楽しく暮らして
きっと幸せになれると思ったものだった。
公美となら、きっとかなうと思った。
その日のデートは、キスもHもなかったけど、
とっても楽しい幸せなデートだった。
公美のかわいさを実感して、愛をたくさん感じた一日だった。
▲ # by shigeshogi | 2007-03-03 07:20
147:3月に入った
08/09/29 11:03:54 A2vzQwwU
2007年 03月 06日
このところ、やはり体調がよくなく
ずっと微熱が続いているような感じ。
気分が沈んで、昼夜逆転生活が甚だしい。
昨日など、昼の10時に寝て、夜の8時前に起きた。
しかも食事をして、風邪薬を飲んで
少し将棋の勉強をしたりしていたら
また眠くなって夜の11時くらいまでうとうとしてしまった。
まあ薬のせいもあるのかもしれないけど、
最近へんな眠り方をするときが多い。
うとうとしているときに、公美の夢を見た。
公美が今は実家をでていて、水戸市内で一人暮らしをしてるという夢。
そんなわけはないと思うのだけど、
なんでこんな夢を見てしまったのだろう。
近況を少し。
28日は憂鬱でうごけなかったこともあってうちから一歩もでなかった。
ピザを頼んで、誕生日プレゼントの申し込みをしたら
とくながさんというメガネのかわいい女の子がきて、プレゼントをくれて
お誕生日おめでとうございます、を言ってくれた。
こんなかわいい彼女がいてくれたらどんなに幸せかと思った。
2年前には公美と一緒に夢のような誕生日をすごしたのに今はひとりぼっちだ。
148:3月に入った
08/09/29 11:05:07 A2vzQwwU
1日はばあちゃんと会う。
誕生日のケーキをもらい、うちに帰って一人そのローソクに火をつけたら
むしょうに何かに火をつけたくなって、紙袋を燃やす。
最初は見ていたら、そのうち火が大きくなってきて我に返って火を消した。
幸い、少し灰が飛んだくらいで大事に至らなかった。
2日金曜日は「将棋界の一番長い日」。
夕方のBSを見てから研究会に行った。
溝上3級を倒すも中学生のこどもにやられ、2勝1敗。
パッとしない。
夜から知花君、溝部さんらがうちにきて、テレビを見てそれから将棋。
マイミーオが記録係でテレビに映りまくり。
スーツを着ていることもあって、いつもと全然感じが違う。
彼女ががんばっていることはもちろん知っているが
女というだけで将棋の世界では仕事がもらえてうらやましい。
テレビのあと徹夜で朝10時近くまで将棋をやって、
さらに仮眠をとって道場の土曜夕方トーナメントにでる。
五段と香落ち3連発で3つめでついにつかまる。調子が悪い。
その日の夜は、前日ほとんど寝ていないからすぐ眠れそうなものなのに
ちっとも眠れずひどい。
ようやく寝たのが明け方で起きたら夕方だった。
大切な日曜日をムダにしてしまった。
日曜日、夜からはこっちゃんと横浜中華街でお食事。
その後、中華街を少しぶらぶらしたり、お茶しておしゃべり。
公美を探しにドイツまで行ったことをこっちゃんは
「小説みたいで、ロマンチックだね」って言ってくれた。
ぼくは「現実はそんなにきれいなものじゃないよ」と言ったけど
心の中では少しうれしかった。
149:3月に入った
08/09/29 11:06:57 A2vzQwwU
本当は彼女につきあってほしいといいたかったけど
彼女が少し風邪気味だったのと、
ドイツの話をしているうちにいいそびれてしまった。
彼女への気持ちは複雑で、尊敬と、友情と、
女性としてすてきだと思う気持ちが混ざっている感じ。
好きだけど、愛してるとまでは言えないと思っている。
でもすごく魅力的な女性だし、そのへんも含めて複雑な気持ちを
メールに書いて送ってみた。
こんなことをしても仕方ないことはわかっているのだけど。
どうしたら、ぼくは希望をもって毎日をすごせるんだろう。
公美と話がしたい。
公美の顔をみて、公美の声をきいて、
今まであったこと感じたこと、思ったことを話したい。
公美の気持ち、公美のこと、なんでも聞いてみたい。
希望をもって、もう一度人生をがんばってみたい。
公美と仲直りして、仕事をがんばって、将棋もがんばって
きっと一緒に幸せになりたい。
助けてほしい、公美。
君の力で、やさしさで、絶望の縁にいるぼくに光を与えてほしい。
公美がいてくれるだけで、ぼくは救われる。
3月24日は公美の誕生日。
この日には、会いに行こうと思う。
最後に公美の写真を3枚。
栗本さんのレポートに使われていたもの。
小さくて残念だけど、公美らしい表情をしているなあって思った。
▲ # by shigeshogi | 2007-03-06 08:11
150:春暁
08/09/29 11:18:05 L29vfSVb
2007年 03月 06日
昨夜は春の嵐で、風雨激しく、ときには雷鳴も聞こえた。
寒く、陰鬱な一日だった。
今日は一転嵐は去って、柔らかい春の陽射しが訪れている。
昨夜から一睡もしていないけど、うちをでて
近くの商店まで買い物に行ってきた。
ベランダの扉を開けると風が入ってくるがちっとも寒くない。
もうすぐ桜もさくだろう。
ベランダに出てみると、近くには西蓮寺のお墓や
少し離れて中川の河川敷や船堀の景色がゆったり広がる。
公美も眺めたこの景色がぼくは大好きで
都内なのにとってものんびりした空気をもっている。
151:春暁
08/09/29 11:18:45 L29vfSVb
ぼくはこんなのんびりした穏やかな一日が大好きだ。
特別なものなんてひとつもいらない。
お金も地位も名誉も、そんなに興味がない。
こんな穏やかな一日と、おいしいごはんと
愛する人がそばにいてくれたら、
それだけで人間は幸せなんだと思う。
きっといつかぼくにも小さな幸せがきてくれるって信じている。
大好きな人と一緒にのんびりとした一日をすごそう。
ささやかでも、確かな幸せ。
公美がきっと運んできてくれると、信じている。
▲ # by shigeshogi | 2007-03-06 13:49
152:天使が降りてきた夜 前編
08/09/29 12:25:24 L29vfSVb
2007年 03月 08日
2005年2月18日(土)は天使が降りてきた夜だ。
この日は東京芸大のチェンバーオーケストラの公演があった。
そう、公美のステージがあったのだ。
メールで本番ということを聞いていて、
ネットで芸大のホームページを見ていたら
この公演があることを知って、聞きにいきたいと思った。
土曜日は仕事だったけど、夜からなので聞きにいけるのだった。
もしかして、聞きにいくと嫌がられるかも・・・
とちょっと心配したけれども、でも聞きたい誘惑には勝てなかった。
公美のピアノは聞いたことあったけど、
クラリネットはまだだったのだ。
仕事が終わってバスと電車を乗り継ぎ、鶯谷からは歩きだ。
駅から、意外に遠い。
時間ギリギリ、なんとか間に合うことができた。
受付の学生さんに1500円払ったらパンフレットをくれた。
演目は「スイス」という曲とバッハの数曲、
そしてメンデルスゾーンの「イタリア」だった。
奏楽堂はとても新しく立派なホールで
着席で500人は余裕で入れそうだと思った。
奥のパイプオルガンが立派で高そうなのと、
いすがとてもいいやつだと思った。
あとで公美に聞いたらイタリアから取り寄せた
とても高価な椅子なのだという。