08/08/23 03:40:27 DMRJVdXp
10年前といいますと、私は22歳。
パソコンはようやくウィンドウズ3.1が普及し始めたころでしょうか
まだインターネットは普通の人は誰もつかっていませんでした。
当時流行り始めていたのが、パソコン通信!
そしてその中で今もプロバイダとして続いている
ニフティが覇権をにぎりはじめた時期なのでした。
私は将棋を本格的にやっていた時期でその勉強のためもあって、
将棋フォーラムが盛んだったニフティに入会してみたのでした。
そして、しばらくして不特定多数の人が読む掲示板を発見し
そこでメール友達募集のメールをするようになっていったのです。
ニフティの(未読分 ○通)ってメッセージは本当にうれしいものでした。
いつも期待に胸をときめかせながら開いたものです。
私の最初の女性のメール友達は5歳くらい年上の彼氏のいる女性でした。
その人とはついに恋愛関係になることもなく、
そしてお会いすることもなかったのです。
(でも手紙で写真のやり取りをしましたね。当時は画像添付が難しかったのです)
でもその次に出会ったのは、5歳と7歳の娘がいるお父さん。
5歳と7歳の娘さん向けにはひらがなを使い、
お父さんには普通のメールをそれぞれに書いたのでした。
年賀状の交換などもしましたし、今もたまに交流があったりします。
さて、ここまではまだ恋愛はでてきませんね。
それはまた次の機会に譲りたいと思います。
3:名古屋の彼女
08/08/23 03:41:51 DMRJVdXp
当時のニフティ掲示板は実名表示でした。
今じゃ考えられないですね。
でもみんなが実名で掲示をだしていたんです。
それに検索をかけると同じ地域に住んでいる人の実名が
みんなでてきたんですよ。
今なら個人情報保護法違反ってところでしょうか。
おおらかな時代だったんですね。
自分は女性名の掲示に何度かメールをだしてみましたけど
やっぱり競争率が高かったようでなかなか返事はきませんでした。
でも当時のおおらかさで、自分が掲示を出して待っていると
そのうち女性からメールが届いたんですよね。
そのうちのひとりがまさこさん(仮名)。名古屋のほうの方でした。
なんか当時は遠くの方とばかりメールしていた気がします。
同じ年の大学生の方でした。
けっこう長文のメールを2,3日おきに交換して
まだ見ぬ彼女にずいぶんあこがれましたね。
わりと落ち着いた長いメールを送ってくれる彼女は
「お姉さん」ってイメージなのでした。
4:名古屋の彼女
08/08/23 03:43:21 ibHTswEm
2,3ヶ月のメール交換ののち、初めて会いに行きました。
女の子と会うときはいつも緊張するから
新幹線を降りて会う前にドリンク剤を飲んで気合を入れたのをよく覚えています。
当時はまだ携帯なんてもってなかったし、
写真も交換してなかったから服装が目印だったんだよね。
でも、すぐわかりました。不思議なものです。
長い髪とそばかす顔でしたが、おとなしいやさしい感じの彼女でした。
近くの喫茶店でおしゃべりしたあと、名古屋城とかを案内してもらいました。
そして栄のにんにく料理のお店でお食事してのお別れ。
まだ恋に免疫のないぼくは、すぐにあこがれましたけど
残念ながら向こうには彼氏がいました。
そんなことも知らないで会いにいったんですね。
まさこさんとはその後も結構長くメールが続きましたが
だんだん間隔が長くなっていきいつのまにか途絶えました。
友達を連れて沖縄に遊びにきてくれたこともありました。
それから一度名古屋方面に用事があったとき、
勝手におうちまで遊びに行ったこともありました。
うちの前で引き返しましたけどね。
今に続くストーカー気質が表れています。
彼女が教育大学を卒業して養護学校の先生になったところまではしっていますが
今はどうしているのかな?
もう結婚して、子どもがいるのかもしれないな・・・
5:めぐりん
08/08/23 03:44:55 ibHTswEm
次に出会ったのは「めぐりん」って名前の女の子でした。
当時たぶん20歳。
でも「いきなり、めぐりんだよっっ!!」って感じのメールをくれる女の子でした。
今ならこういう子はギャル系ってくくりになるのかもしれないけど
当時はとにかくびっくりしましたね。
会ってみてなおびっくり。
すっごい背は小さいし、ぽっちゃり、
ほおが赤くペコちゃんにそっくりなぶさいくちゃんでしたね。
家出して、30男と同棲していたみたいで、電話は一回かけて3回鳴らして
切ってもう一度かけると出る、みたいな感じでした。
今なら笑えるけど、携帯もないし男にばれないためには仕方ないんだよね。
めぐりんとはたぶん3回会ったと思う。
いつもカラオケとファミレスだったと思う。
ユーミンの「埠頭を渡る風」の「~私をそばにおいて~♪」の部分を
「~めぐりんをそばにおいて~♪」って歌うのも今なら寒いけど
当時は全然OKでしたね。
6:めぐりん
08/08/23 03:46:31 ibHTswEm
ぼくは中学高校を男子校ですごしたし、その後は将棋の世界にどっぷり。
いずれ書くことになると思うけど、高校生のとき初恋で手痛い失敗をしてしまったから、
好きになった女の子はひとりだけ。
女の子の話してくれること、してくれること、なんでもすごく新鮮でしたね。
女の子に興味津々だけど、シャイで、拒絶されるのがこわくて
いつも恐る恐る接していたと思う。
めぐりんは狭かったぼくの世界をまた少し広げてくれた女の子でした。
彼女の「私はブスだからファミレスで満足な女なの」って言った言葉よく覚えています。
当時そんな考え方したことなかったし、彼女は容姿のことで
ずいぶん辛い人生をあゆんできたんだろうなあって今なら思えます。
そしてめぐりんと最後に会ったときぼくは風邪気味でした。
今でもそうだけど、女の子に会える機会に飢えていたから
ちょっとぐらいコンディションが悪くても、会えるときは必ず会ったんだよね。
車の中でいきなり
「今日、道歩いていたらしらないおじさんが、ちんぽだしてきて、
なめろっていうからなめてやったんだ」
ってめぐりんが言うからびっくりしました。
当時は女の子がそんなことを口にするなんて思ってもみなかったから。
7:めぐりん
08/08/23 03:47:44 ibHTswEm
そして駅前の「きくや」っていう昔ながらの連れ込み宿の話とか
そんなことを聞かせてくれたのでした。
そんな話を聞いているうち、当時まだ未経験だったぼくはめぐりんにお願いしました。
「ねえ、ぼくとしてくれない?」って。
めぐりんは
「コンディション悪いんでしょ。やめたほうがいいよ」
ややあって
「あたしじゃ、もったいないと思うし」って言ったと記憶しています。
あのときはしたい一心だったから、なんでだめなんだと不機嫌になったと思うのだけど
今思えば彼女なりにやさしい言葉だったのかなあって思ったりします。
まじめなだけだった当時のぼくと、めぐりんは住む世界が違うって
彼女は感じていたんだろうなって思います。
当時のぼくには何もわからなかったのだけど・・・
その後彼女は男について仙台に行くというメールをくれて、いなくなりました。
今はどうしているのかな。。。
いい男とめぐりあって幸せになっているといいけど・・・
生まれて初めてセックスを求めた女の子
ぶさいくなめぐりん...
8:沖縄の風
08/08/23 03:49:14 ibHTswEm
次の物語のヒロインははるか南の島からやってきました。
10年前の夏の日の夜だったと思う。
ニフティの掲示板を何度もリロードしていたぼくは
「りか」って名前の女の子のメッセージを見つけました。
見た瞬間ぼくは猛然とメールを書いて、さっそく送ってみました。
今みたいにコピペなんて言葉もなかった時代
どうやらぼくは一番乗りだったらしくて彼女からのお返事がもらえました。
それは、そのときはそうとしってメールを出したわけではなかったけど
行ったこともない遠くの島、沖縄からのメッセージでした。
りかは大学生で卒業を迎える夏でした。
自分の進路や将来、そして実家に戻ること、いろいろなことで悩んでいたのだと思います。
そしてメールはうぶなぼくにもわかるぐらい、
まだ見ぬぼくへの憧れを感じているということが伝わってきたのでした。
沖縄の文化の話をいろいろ聞かせてくれました。
ウチナーグチや、ウチナータイムの話。ナイチャーという言葉。
沖縄の歴史の話や泡盛の話。
彼女が一度だけ東京にきてはとバスに乗って観光した話。
・・・いつしかぼくは沖縄に行ってみようと思ったのでした。
9:沖縄の風
08/08/23 03:52:29 DMRJVdXp
2ヶ月か3ヶ月くらいしたころ、自分は沖縄に行きたいって言うと
りかはとても喜んでくれました。
沖縄本島で泳ぐにはギリギリな10月のはじめだったと思います。
東京のおみやげを買って行こうか?と言ったら
きてくれるだけでとってもうれしいって彼女は言ったのでした。
生まれて初めて自分で旅行会社のパンフレットを調べ
単身でも行かれる沖縄ツアーを見つけました。
2泊3日で6万円以上して今ならちょっと高めと思うけど
早割などもなかった時代、当時ではまあまあだったと思います。
生まれて初めて、ひとりで飛行機に乗っていくと
今はなくなってしまった昔の那覇空港のターミナルでりかは待っていました。
写真も何もなくてぶっつけで行ったのでした。
おそるおそるだったけど、やっぱりちゃんとわかりました。
彼女は愛車の黒いギャランで沖縄を案内してくれました。
外を照らす光の強さや、街の建物の作りが違うことに
大きなカルチャーショックを受けました。
はじめてきたのにとっても懐かしい沖縄の町並み。
10:沖縄の風
08/08/23 03:53:16 DMRJVdXp
初日はひめゆりの塔から玉泉洞、
そしてその夜は沖縄都ホテルの回転レストランでディナーをご馳走してくれました。
彼女の友達がそこでアルバイトをしていて、サービスしてくれました。
きっと彼女もかなり期待して、いろいろ考えて待っていてくれたのだと思います。
当時、まだうぶだったぼくはそんな好意に器用に応えて上げられなかったのかなあ
って今なら思います。
そのころはまだ見ない遠くのメールフレンドを
みんな憧れの気持ちで待っていたんだなあって思います。
そして翌日、高速道路を一路飛ばして海洋博公園、
そして彼女が生まれ育った名護の町を見下ろす展望台にのぼり
万座毛などを見ながら、58号線を南へ。
メールで話したいた嘉手納基地を見下ろすお店で飲茶をいただいたのでした。
今思えばかなりの強行軍で、きっと彼女は自分が憧れていた
デートコースを全部回ってくれたんだなって思います。
11:沖縄の風
08/08/23 03:54:26 DMRJVdXp
途中、旅と緊張の疲れで帰り道うとうとしてしまった自分を見て
彼女はきっと失望してしまったんじゃないかなあ、なんて思います。
彼女もずっと運転して疲れていたし、がっかりしているオーラがぼくにも伝わってきて
ぼくもまたどうしたらいいかわからなくなってしまったのでした。
那覇に戻り、彼女の友達と合流して今はなくなってしまったバイパス沿いの
ちょっと高級な居酒屋さんで沖縄料理をいただきました。
そしてカラオケ。「島唄」や「安里屋ゆんた」を聞かせてくれたと思います。
そしてちょっと酔ってしまったぼくはホテルに送られて、
彼女は部屋のテレビにメッセージを送ってくれたのでした。
「気にしなくていいよ」って。
最後の日、彼女とはもう合わなかったと思います。
彼女が教えてくれたショッピングセンターで買い物。
国際通りをぶらついたあと、ひとりで帰りの飛行機に乗り込みました。
彼女の気持ちに応えられなかったあの日の自分。
幻想に恋していたぼくたちは会えば、傷つく運命だったのかもしれないです。
その後、ぼくがりかと再会することはついになかったのです。
でも沖縄の美しい風景とやさしかった女の子の記憶は残りました。
そのことが、後にぼくの人生の新しい転機につながっていくのでした。
12:近況など
08/08/23 03:57:05 DMRJVdXp
最近の激動の日々の話。
今日は事故った。
会社から車で出て、右にまがったとたん、信号無視のトラックに突っ込まれて接触。
向こうのおっさんはそっちが悪いと言い張っていたが無視。
ちょうど警官が見ていて、物損事故。
たぶん7:3か8:2。
あとは保険会社にお任せ。
首が少し違和感あるけどまあ平気でしょう。
別に自分は死んでも構わなかったのに、運だけはやたら強い。
おかしいのがそのへこんだ車を修理屋にもっていくまでの
ほんの200メートルばかりの道で止まっていたぼくの車に
目に障害のある老人が接触。ひとしきり文句言っていた。
自分は本当に終わっているなとひしひし感じた。
昨日はアマ名人戦の都大会。
予選でベテラン強豪滝源太さんにいい内容で勝ち。
そしたら抽選のいたずらであろうことか研究会仲間の知花くんと対戦になる。
彼は沖縄から出てきた子でメシをおごってやったりちょっと面倒見たことがある。
負けたことはなかったが味が悪くて嫌だった。
内容はまあまあだったのに、最終盤で1手パスの自滅手を放って敗れる。
自分で「ああ、そのうちやると思ったよ」と思っていたような自滅。
普通の手で勝てるのに。
そのあと道場に行って、閉店まで将棋を指し、
その後友達と食事して帰る。
13:近況など
08/08/23 03:58:30 DMRJVdXp
おととい。
会社の宴会に無断欠席したことで社長から叱責。
始末書を書けとのこと。
期限は来週まで出、書かないと首になるそうな。
その夜、大雨の降りしきる中、大好きな彼女のところへ。
彼女はくみと言って、22歳の芸大の学生さん。
クラリネットを吹きのたまご。
ぼくの片割れを探し続けた10年間の最後のひとりになるべきだった人。
人を好きになったこともあったし、人に惚れられたこともあった。
子どもを産んでくれた人も2人いた。
結婚した人も同棲した人もいた。
どの人もそれぞれにすてきだったけど
でも相思相愛になれたって感じられたのはこの人だけだった。
くみのことはまたおいおい書いていくと思う。
ぼくがこのブログを書き始めたのも、
また新たにメールで出会い探しをすることになったのも
この人とうまくいかない中で、見失ってしまった自分の居場所
自分の人生、やすらぎ、小さな幸せを見つけるため。
14:近況など
08/08/23 04:11:29 0Ym9PA/F
彼女の部屋の前でビール、日本酒、芋焼酎を飲みながら彼女を待つ。
会ってどうするの?
わからなかった。
でも他に行くところがなかった。
将棋道場では友達が待っているのも知っていた。
実家に帰れば母親が迎えてくれるのも知っていた。
ばあちゃんのところにいけば・・・
だけど、ぼくが心を寄せることができるのは彼女のところだけだった。
彼女の部屋で待つこと4時間。
ついに会えなかった。
あきらめて、帰る。
会えなくても彼女のことを近くに感じて、思うことができた。
ぼくなりにがんばって生きていると思う。
そんなここ数日でした。
15:モモさんとカウンセラーさん
08/08/23 04:12:29 0Ym9PA/F
昨日から今日にかけての雑記。
昨日は事故ったりしたこともあって、気分落ち着かず。
仕事が終わった後、例によってくみのところに行ってしまった。
でもくみはうちにいる気配なし。
んで、彼女の通う大学にいってみる。
上野の芸大は今日も芸術な雰囲気があふれていてすてき。
すれ違う男子学生が、オペラの曲を鼻歌で歌っていたり
マジ声で歌いながらあるく学生もいる。
もちろん普通にダベってる学生さんたちもすてきだし、
練習室を見てまわると、真剣に練習している学生たちもたくさんいて
あちらこちらから音楽の響き。
うーん、今日もすてき・・・・
「のだめカンタービレ」そのままの世界やんか。
こんな世界にくみはずっといて、自分の才能の狭間と進路、親のことなんて
悩んだりしながら学生生活を送ったんだなーって思ったりした。
ぼくもこんな世界に溶け込めたらなあって思った。
まあぼくはぼくで、大学にもいかしてもらったし
将棋の世界でも仲間と楽しみながら切磋琢磨させてもらったから
そういう意味では似たようなことさせてもらったし
でもなんかなくしてしまった懐かしいものがここにはたくさんあるなって思った。
16:モモさんとカウンセラーさん
08/08/23 04:13:43 0Ym9PA/F
でもついにくみを発見することはできなかった。
歌の試験の順番にもくみの名前はなくて、出ないことが判明。
うちに帰る気分にもなれず、実家に行く途中、モモさんからメールが。
モモさんはここ1ヶ月くらいメール交換した30歳の女性。
なんと「給食のおばさん」をやっている。
メールは苦手っぽくてあまり書いてくれないが
そういう人はけっこういるので、続いているならそんなに気にしない。
8月に会おうという方向で話していたのだけど
せっかくこんなときにメールをくれたので思い切って
「今日これから会えない??」と聞いてみると案外OK。
仕事で失敗したこととか書いたので、ちょっと心配してくれたのかも。
車を30分ほど飛ばして、八潮まで。
プロフィールにはぽっちゃりと書いてあったけど、まあ正直「デブ」の系統。
70キロ近くあるんじゃないかなって思った。
でも顔はかわいらしい感じで、やさしい目をしていたし、話し方もいい感じで
別に嫌いなタイプじゃないって思った。
ただ、特別にひかれた部分がなかったこともたしかかな・・・
自分の身も考えずにこんなこと言うのももうしわけないけど。
モモさんと別れた後、再度上野に向かってくみのうちの様子をうかがってしまった。
いる気配なし。彼女はもうここにはこないのかな。。。
17:モモさんとカウンセラーさん
08/08/23 04:16:08 0Ym9PA/F
今日。
今日はお休み。くみの歌の試験があれば聞きたいと思ってあけてあった。
でもくみは試験にはでない。。。
うちからでる気にもなれず、ビデオをまとめてみる。
「ER」からはじまって「行列のできる法律相談所」
「NHK将棋講座」「エンタの神様」など次々。
このところの過食傾向はおさまらず、朝にスパ王たらスパとピザ。
ピザは冷凍ものに、少しトッピングを加えてトースターで焼く。
昼はカップめんと枝豆。太るばかり。
性欲過剰傾向もおさまらず。ネットをみたり、くみのことを考えながら3回する。
部屋の掃除や洗濯までする気力がわかず、放置。
眠くなって2時間ほど昼寝。
18:モモさんとカウンセラーさん
08/08/23 04:17:17 0Ym9PA/F
今日これからどうしようかということと、今後のことなど考えて
インターネットをいろいろ見ていたらカウンセリングの会社を発見。
大阪のほうの会社だがわりと良心的な感じのところで
しかも初回は無料ということでちょっと悩んだが電話してみた。
そうしたら、即日カウンセリングの予約をいれてくれた。
何かきっかけが見つかったというだけで少し気持ちが明るくなり洗濯に挑戦。
ゴミの片付けも少しだけやった。
スーパーに買出しに行き、タイムサービス1個100円のキャベツ(安!)をゲット。
豚肉も半額シールのを仕入れて、焼きそばを作る。
野菜、肉たっぷりで超ウマ!
しかし、過食傾向は相変わらず。
ほかに楽しいこともないからね。。。
カウンセラーさんはだめもとだったが、すごく親身になって聞いてくれてびっくり。
大阪弁のやさしいイントネーションで、プロはやっぱりすごいと思った。
くみのこと、仕事のことなどいろいろ話て、正直、少し楽になった気がする。
ちょっと不思議。
今度は有料だけど、この人とまた話してみたい気もした。
この人が最後にくれたアドバイスが
「彼女との良かったことを、出さない手紙に書いてまとめていくといいよ」
とのことで、手紙ではないけれども、このブログでいろいろ書ければと思った。
10年前からの話とも平行しながら、いまのこと、
くみとのこともいろいろ書いていければいいんじゃないかなって思う。
19:雪国からのメール
08/08/23 04:25:40 0Ym9PA/F
再び10年前の世界に戻っていこうと思う。
次のヒロインは特別な女の子。
なぜかといえば、ぼくが初体験をした女の子だからだ。
名前はゆみと言った。
雪深い新潟の山の中から都会を夢見てメールをくれた女の子。
その日は1996年の元日。
ぼくは今年こそすばらしい一年にしよう、と心に誓っていたと思う。
当時は実家に住み、将棋連盟でアルバイトをしながら
将棋の修行を続けていたが、レベルの高い関東のほうでは県代表にまだ遠く
このまま続けて行くことがいいことなのか迷っている時期だった。
それにまだ一度も女の子と恋愛をしたことがなかったので
すてきな恋愛をして、初体験を果たすことは人生の大きな目標になっていた。
沖縄のりかとは、会った後メールは途絶えてしまっていて
彼女が好きという気持ちはあったけれども
もう仕方がないことという感じもあった。
新しい出会い見つけて運命を切り開きたいという気持ちで
「新しい一年に、新しいお友達を見つけたいです」
というタイトルで掲示を例のニフティ掲示板に出したのだった。
一人の女の子がそれに応じてくれた。
新潟の魚沼というところに住んでいる同じ歳(23歳)の女の子。
その子もまた自分の運命を切り開きたい、運命を変えたいって
強く願っている女の子なのでした。
20:雪国からのメール
08/08/23 04:26:57 0Ym9PA/F
ぼくもそうだけど、自分の力に自信のない人は
みんな出会いによって運命が変わってほしいと思っている。
女性がすてきな王子様との出会いを願い、
ぼくはすてきなお姫様が自分を助けてくれると信じていた。
もちろん助けてくれるというのは主に精神的な意味だけど。
ある意味では他力本願だし、人生の問題に対する逃げなのかもしれないけど
すてきな出会いが運命を変えてくれるという願いは
誰しもある程度もっているんじゃないだろうか。
ゆみという女の子は農協で事務員をしている女の子だった。
平凡な毎日。お正月のころには雪に閉ざされる魚沼の盆地に住んでいた。
日本一のお米が取れるその地域はたんぼだらけで
きっと出会いなんて全然なかったんだと思う。
それに彼女は血小板減少性紫斑病という血液の治らない病気を抱えていて、
薬が手放せなかった。
何か自分の運命から開放されたかったんだろうなって思う。
21:雪国からのメール
08/08/23 04:27:46 0Ym9PA/F
メールで知り合った2,3日後電話で話したりもした。
お互いのことをメールでたくさん話して、彼女とはチャットもやるようなった。
東京と新潟で電話代が高かったので、チャットのほうが安かったのだ。
でもチャットだって、1分10円のニフティ接続料のほか
電話代も別途掛かる時代だったのだから今から思えば、決して安くはなかった。
でも少しでも話がしたくて、いつも何時間も話をしていた。
最初はふとしたことで、ちょっとHな話がはじまり、
お互いの体のこととか、Hな経験のことを話すようになった。
ぼくも彼女も未経験だった。
チャットでHをするようになった。
「ぬれてきたよ」とか「今、入っていくね」とかタイプしながら。
しながらぼくはいっていたし、彼女もきっとそうだったと思う。
元旦に出会った彼女とは2月についに合うことになった。
新幹線にのって彼女はやってきてくれた。
写真も交換しないであったけど、色の白い女の子だった。
彼女はあまり自信なかったようだし、世間的な意味で美人ではなかったのだろうけど
ぼくはけっこう好きな顔だった。普通にかわいいなって思えた。
ディズニーランドに行き、ホーンテッドマンションの中で始めてキスをした。
実は女の子とのファーストキスだったかもしれない。
エレクトロリカルパレードの電飾を見ながら何もいわずに手をつないだ。
パレードを写真に撮ろうとしたら、彼女は「いいの、心にやきつけるから」って言った。
22:雪国からのメール
08/08/23 04:29:14 0Ym9PA/F
その夜、松戸のラブホテルで初体験をした。
今なら、せっかく東京に来てくれたのだから、
ちゃんといいホテルを取ってあげればよかったと思うのだけど
当時はそんなところまで気が回らなかった。
でもホテルの大きなベッドで何もわからないまま、
彼女の体にキスしまくって、体を触り続けた。
彼女はすごく敏感で、すごくぬれる女の子だったし、声もとても大きかった。
そのときは初めてだったから、それが普通だと思っていたけどね。
お互い初めてだったからなかなか上手にすることができなかった。
でも彼女は「あせらなくても大丈夫」ってやさしくしてくれた。
それで、ようやく結ばれることができた。
あまりにも興奮したせいか、天井がぐるぐる回っているみたいな錯覚にとらわれた。
一緒のお布団でそのまま寝て、朝もまた抱き合った。
そして、ぼくの故郷を案内したり、柴又の帝釈様をみたりして
あっという間に帰る時間がきた。
再開を誓って、彼女は新幹線に乗った。
二人で泣いてしまった。
23:雪国からのメール
08/08/23 04:31:10 0Ym9PA/F
ぼくはこの年の4月に東京を離れ沖縄に進学することにしたのだけど
もし、進学しないで、仕事して稼げるようになれば結婚という話に
なったのかもしれないなって思う。
でも当時のぼくはまだあまりにも幼くて、
将棋も続けたかったし大学にも行ってみたかった。
ぼくが沖縄に行くことをつげたときに、
ゆみの悲しそうな感じは覚えている。
ゆみとのことはもう少し書くことがあるのだけど、
それはまたの機会にしようと思う。
ゆみとはもう5年以上あっていない。
今はどうしているのだろう。
地震の被害を受けてないだろうか?
新潟の地震のとき、この人の名前をテレビで探したものだった。
どうか、幸せになっていてほしい。
元気でいてほしい。
ぼくが初めてつきあったと言える女の子だと思う。
それはネットで出会った遠距離の恋。
ぼくのことを生まれて初めて男性として愛してくれた女の子。
ぼくに抱かれてくれた女の子。
大好きだったゆみ。
24:ネットの出会いの世界の移り変わり
08/08/23 20:59:25 l4osN1b5
連休ということもあって、いろいろ忙しく、また思うこともあって更新が遅れていた。
また少しづつ書いていきたいと思っている。
さて、ここ10年ぐらいでのメールでの出会い環境についての話をしよう。
ぼくがメールはじめた10年前はメル友という言葉はまだなかった。
携帯電話はまだ一般的ではなくポケットベルが全盛を迎えようとしていた。
そのころメールでの出会いを描いた映画があった。
「ハル」という映画で森田芳光監督作品で深津絵里さんらが出演していた。
この手の映画ではメグライアン主演の「ユーガットメール」が有名だが
それよりも前の映画である。
この映画ではニフティとおぼしきパソコン通信で知り合った二人が
出会うまでの紆余曲折が描かれ、最後に東京駅で目印のフロッピーディスクを
手にして実際に会ったところで映画は終わる。
当時は、やはり見知らぬ遠いところの出会いというものに憧れがあった。
それに今のように誰もがパソコンを使う時代ではなかったから
ネットでの出会いの世界に住んでいる人もわりと知的レベルが高いというか
コンピュータの世界に興味を持っている人が多かったように思う。
25:ネットの出会いの世界の移り変わり
08/08/23 21:00:09 l4osN1b5
その後インターネットと携帯電話の急速な普及に伴って出会いの環境も
すっかり変わっていった。
メル友という言葉ができ、ついで出会い系という言葉ができた。
パソコンは普通の人が誰でも使う、普通の道具になった。
携帯電話のメールのユーザーとして従来パソコンでの世界にはほとんどいなかった
女子高生や社会のアウトサイドに住んでいる人間たちが大勢流れ込んできた。
普通の人の大量の流入と、またニートや2ちゃんねらーのような
ネットの世界だけの住人が現れ始めた。
結果、出会い系に伴う事件や、援助交際という名の売春が横行した。
あるいはいかがわしい出会い系業者が詐欺や迷惑メールを乱発した。
ネットでの出会いそのものが危険やいかがわしさを感じさせるものになっていった。
ネットでの出会いは憧れ、というよりも、むしろもてない人のための最後の手段、
といったイメージさえ感じられるようになってきた。
実際、自分があってきた中でも世間的に美人だとかかわいいとかいえる人は
少なかったんではないかと思う。
まあしかし、それは男性の側も同じことで、
自分も容姿ではがっかりさせたことも何度もあると思うし、
美人や美男子はもともと世間にそんなに多くないのだ。
でも美人でなくても、魅力的な人はたくさんいるし、
広い範囲の異性を対象に容姿以外の面から話ができるメールは
自分にとってはやはり貴重な出会いの場だと思っている。
26:ネットの出会いの世界の移り変わり
08/08/23 21:01:55 l4osN1b5
ネット環境もパソコン通信がインターネットにとってかわられる中で
匿名性というものが重視されるようになってきた。
本名を知らないままに会う、住所はもちろん教えない。
正直、昔の夢があった時代を知っているものからするとさびしい時代になった。
現在、インターネットの出会い系サイトと呼ばれるサイトは数百、あるいは数千近くあるようだが
実際に出会えるという意味で機能しているものは10に満たないのではないだろうか?
いろいろな出会いがあっていいとぼくは思っている。
いかがわしさや、危険もあっていいと思うし、だからこそ夢も希望もあるわけだし。
何でも規制してほしくはないと思う。
しかし、規制のない世界はいずれ荒れ果ててしまうというのも人間の本性を垣間見るようだ。
自分ももうメールでの出会いを終わりにしたいと考えていた。
年齢的にも上記の理由によってもネットによる出会いは難しくなってきていると思っていたからだ。
だから「くみ」とであったとき、この人を最後にしよう!って心から思えた。
他の方とのメールを全て断って、新たにメールを出すことも、もうやめた。
しかし、またこの世界に戻ってきてしまった。そして今もこの世界に住んでいる。
27:ネットの出会いの世界の移り変わり
08/08/23 21:04:47 l4osN1b5
自分は今は身分証明書などの提示が義務付けられている有料サイトで主に活動している。
そういうところでないと普通の女性、というのはまずいなくなってしまったからだ。
自分自身の年齢が上がってきたこともあって、
近い年代の女性は恋愛と結婚をあわせて考えている人が多いし
自分自身も結婚ということを意識した交際を考えている。
心から好きだと思える女性と一生かけた恋愛をしたいと思っているし
それが結婚という形をとるのでもいいのではないか、と思い始めている。
今一度、この人こそ!と思える人と出会えるのだろうか?
今も思い続けている「くみ」のことが忘れられるような出会いを見つけられるのだろうか?
運命を変えるかもしれないメールをもらうために、今もメールを出し続けている。
28:小さな出会いの話
08/08/23 21:06:49 l4osN1b5
ゴキブリは1匹見つけたら30匹はいるという話がある。
これはかなりひどい例えではあるけれど、それに似たような感じで
ひとつの大きな出会いに隠れて小さないくつもの出会いがある。
メールが一度来ただけなんていうのは山ほどある。
これだってたいしたことないようだけど、かなり低い確率をクリアしてメールがきたのだ。
現在なら10~30通くらいこちらからメールをして、1通お返事がくるなら普通だ。
10年前のころは掲示を出して、向こうからメールがくることのほうが多かったけど。。。
(その代わり何日も待つことになって、掲示が沈まないように上げ作業を何度も行った)
何通かメールを交換した後に途切れてしまうのもよくあることだ。
写真を交換したとたんに途切れたことだって珍しくはない。
電話で話してやめてしまうこともある。チャットしただけの人もいる。
実際に会えるところまで行くのは、
最初のメールを交換した人10人に対して1人くらいと思っている。
そして最初にリアルに会って、そこで終わってしまう確率もけっこうある。
友達という関係になってしまった人もいる。
そんなわけで、今のぼくの体感的なイメージでは会うところまでいくだけで
200人にひとりの相性のよさ。
セックスをすることになれば千人にひとりの相性のよさなんだろうなあって思ったりする。
ぼくがもっと器用だったり、やせていたり、イケメンなら
もうちょっと確率が上がってるだろうなあと思う局面は何回かあった。
29:小さな出会いの話
08/08/23 21:08:19 l4osN1b5
ある街頭ナンパの達人が「100人声かければひとりくらいひっかかるよ」
みたいな話をしていたのを聞いたことがあるけど、それと較べるとどうなんだろう。
一人ぐらいひっかかる、といっても会うだけってこともあるだろうから、
どっちが高確率か?なんて考えてしまったりする。
いずれにしろメールのほうがぼくにはあったやり方だろうとは思う。
大きな出会いの影にあったいくつもの小さな出会いは記録にも残っていなかったりするが
短くても心に残っている出会いはいくつかあった。
この10年前のころのそういう出会いのひとつが愛知の春日井に住むさとみとの出会いだ。
時期的には沖縄のりかと、新潟のゆみとのあいだの空白期になる。
りかとのことがダメになったあと彼女とは知り合った。
たぶん、ぼくの掲示に対してさとみがメールをくれたのだと思う。
さとみは女子大生だった。
写真も残っていないので、顔ももう忘れてしまった。
名字も覚えていない。
でも彼女が始めてチャットをした女性だっていうのはよく覚えている。
しかも当時は一般的なチャットルームを知らなくて
当時良く出入りしていたニフティサーブ将棋フォーラムの
リアルタイム会議室(RT)というところが逢引の場所だった。
そこは2つしかチャンネルがなかったが誰もいないほうのチャンネルを使って話をしたのだ。
チャットでもHなトークができることを教えてくれたのも彼女だった。
30:小さな出会いの話
08/08/23 21:10:09 l4osN1b5
当時のまだ見ぬ人への憧れで、彼女もたぶんぼくにあこがれていたと思う。
彼女の言った「しげくんは、期待を裏切らない人だから、好き」って言葉を真に受けた。
まだ見ない相手だから期待を裏切らないってことにも気づかずに・・・
彼女は初めてぼくに会いにきてくれた女性だった。
私立大学がわりと早めの冬休みに入ったばかりのころに東京まででてきてくれた。
遠く名古屋から新幹線に乗って会いに着てくれた。
学生さんだったので学割乗車券でやってきてくれた。
当時できたばかりの「のぞみ」には乗らないで「ひかり」でやってきてくれた。
携帯もなかった当時なのに、どうしてか会える日ぼくは時間に遅れてしまった。
ベンチでぽつねんと座っていた彼女はボーイッシュなかわいさの女の子だったって記憶している。
ぼくに待たされたとき、彼女はどんな気持ちだったのだろう?
今ももしかするとそうなのかもしれないけど、当時のぼくは女の子をエスコートするのは苦手だった。
苦手、というか経験自体がほとんどなかったのだ。
いろいろ調べて、銀座のケーキバイキングに行ったりしたのは覚えているが
おいしいご飯を食べさせて上げられたのか、少しお酒も飲めるいい感じのお店で
彼女がリラックスできるような会話ができたのかは実はまったく覚えていない。
たぶん、できなかったのだと思う。
31:小さな出会いの話
08/08/23 21:14:38 XWpxbLCM
今思うと彼女は泊まって行くつもりでいたように思う。
帰りのチケットも買わないでやってきたし、
バージンだった彼女はすてきな王子さまとの一夜を願っていたのだと思う。
たぶんぼくはまたも女の子の期待を裏切ったのだ。
彼女を上手に誘うことはできなかったし、
彼女も会っているときからぼくが王子さまでなかったことを感じていたのだと思う。
彼女は最終便の新幹線で帰ることになり、
見送るぼくは彼女の悲しそうな顔の意味がわからないでいた。
今なら雰囲気でお別れを察する事ができるけど、当時のぼくにはわからなかった。
たぶん「今度はこっちが行くからね」というような話をしていたと思う。
そして、その次の日から彼女からのメールはこなくなった。
ぼくはしばらくして、彼女に会いに行った。
会えないことが悲しかったし、一生懸命愛していればわかってくれると当時はまだ信じていた。
春日井に着いたとき、すでに夕方だったと思うからたぶんその日に思い立って訪ねたのだろう。
ぼくのストーカー的性格は今もあまり変わっていない。
自分がされたらうれしいだろうな、って基本的に思っているので悪いとはあまり思わないのだ。
逆にやられたりして、そこまで嫌いになった女性ってまだいないし。
32:小さな出会いの話
08/08/23 21:15:35 XWpxbLCM
さとみのうちは知らなかったけど、
彼女の父親がやっていてさとみがアルバイトしているゴルフ練習場を訪ねていったのだ。
場所も名前もは知らなかったけど、見当をつけて、春日井の駅から、バスに乗って、
さらに30分ほども歩いて訪ねた。
さとみは居た。気がついた。
でもぼくと話をしてくれることはなくて、営業が終わったとたん、
車で猛スピードで去っていき、山の中の何もない道沿いにぼくは残された。
ぼくは歩き疲れてタクシーに乗り、すでに終電もなかったので
近くのサウナにタクシーで行って1泊したのだった。
ひとつの小さな恋がまた終わった。
思えば、さとみのような女の子が普通の女の子だったのかな、って思う。
好きなときはラブラブだけど、嫌いとなったら手のひらを返したようにする。
当時は女って冷たいと思った。
男なら、ぼくなら、自分を好きと思ってくれる人をどうしてそんな風にあしらうのか・・・
当時のぼくは自分が好意をもたれたことなんてなかったから
自分を好きになってくれる人なら、誰でもいいからその人を愛してあげようって思っていたのだ。
33:小さな出会いの話
08/08/23 21:18:35 XWpxbLCM
自分は高校生のころの初恋の失敗から、そういう考え方を少しづつ強めていったけど
考え方が固まっていったのが、りかやさとみなどとの経験を経てのものだった。
またこの考え方は祖母や母、女の子兄弟にばかり囲まれて、
その好意を一身に受け愛とは与えられるもので
それを受けることが当たり前と思っていた自分の幼少期の生育とも関係があると思う。
この考え方が、メールで出会いを求めた10年間の半分くらいを占めていると思う。
とにかく誰でもいいから自分のところに現れてくれた人を受け入れよう。
自分を愛してくれた人の気持ちに応えよう。
自分に体を開いてくれる人をみんな抱きしめよう。
そんな風にあのころは考えていた。
こんな気持ちが次のゆみとの大きな出会い(前述)につながっていき
ゆみとの初めての女の子との恋愛、そしてセックス、別れ(恋愛の終わり)につながっていく。
当時のぼくは自分のことを愛してくれた女の子のことを本当に好きだと思っていたし
その気持ちが「好き」ってことだということを疑っていなかった。
この考え方が何人かの女性を傷つけてしまったようにも思うけど
彼女たちもそういうぼくのことを選んでくれたわけで50/50なのかな、とも思う。
その後の何人かの女性たちがぼくの考え方に変更を加えていったのは
もっと何年もあと、何十人もの人と出会い、結婚し、こどもを授かったりそんな後のことになる。
34:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:21:14 XWpxbLCM
連休は将棋漬けだった。ただ15日の日だけ女の子と会った。
午前中仕事をして、午後から仕事で必要な危険物の保安講習というのを秋葉原で受けた。
そのあと夕方から御徒町の将棋道場に行った。
正直、このところ、元気がでなくて、将棋をやる気もあまりなかったのだが
退屈な講習中、暇を見てメールを打ちまくっていたら
1年半前にメールで知り合って今は友達になっている女の子から
三鷹で飲もうってメールをもらったのだ。
で、彼女の仕事が終わるまでのあいだ、将棋道場で将棋を指しながら待つことにした。
彼女の名前はこっちゃん(28)と言って、すごく仕事のできる女性。
IT関係の技術がすごくて、いくつもの有名なホームページにかかわってる。
花火や写真が好きで花火写真を撮ったりしてる。
鉄道にも詳しいから、どこにいくのも電車。
35:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:22:35 XWpxbLCM
ぼくはこの人をけっこう好きなんだけど、告白してはふられること5回くらい
でもいつも気軽に会ってくれるし、うちに遊びに来てくれたこともある。
ちょっとボーイッシュな性格でもあるので、ベタベタするのが苦手だったり
男女関係が少し苦手なのかも。
根が優しい子なので、つきあいすぎて疲れちゃうときもあったりする。
でもいつもとても元気で明るく、お酒も歌(カラオケ)もいける。
自分の力で生きている!って感じで、同時に田舎の親の面倒や友達の面倒もみたりする。
だから、女性として魅力的であるけど、それ以上に人間として魅力的だなあって思って友達つきあいさせてもらっている。
今も彼女と男女としてのお付き合いしたい気持ちもあるのだけど
友達としての彼女を失いたくない気持ちが強いのであまり強く迫れないのだ。
ただこっちゃんの欠点は忙しすぎること。
この日も将棋を指していると、忙しくて遅くなりそう、との続報。
そうこうしているうちに別の女性(さえちゃん 32歳)からメールがきて、
そちらの方と会うことになり、こっちゃんのほうはキャンセル。
夜の9時半くらいになりそうとかいわれては待ってられない。
一緒にお泊りできるならいくら遅くてもどってことはないが。
36:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:25:37 XWpxbLCM
さえちゃんは近所の人だけど、やはりネットで知り合った。
ネットで写真を見たときはすごくかわいい!と思ったが会ってみると全然別の雰囲気。
正直、好きとは思えなかった。
でも彼女は向こうから積極的につきあってほしい、って言ってくれてうれしかった。
女の子からこんなストレートな告白をされたのは初めてだったし
その気持ちに応えてみようかなと思えた。おつきあいをはじめた。
でも正直3,4度会ってみて、性格的にも合わないしダメかも、って感じはじめている。
彼女はいろいろ考え込んでしまうタイプのようで、
しかも自分の行きたい店しか行ってくれないし自分の望む形でのデートしかしてくれない。
ぼくはうちに来てもらって、ご飯を作ってあげて、Hもしたいのに
彼女は自分の知っているいくつかのお店以外には行ってくれない。
夜のお茶だけやランチやドライブもカラオケも行きたいのに、すぐ「それはヤだ!」
すごく決め付けが激しい。
ふたことめには、今度の給料が出たらペアリングを買おう。
まあ、彼女はデートも割り勘だし、ペアリングも自分の分は自分で買うつもりのようだから
ぼくも絶対にイヤというわけではないけど・・・
むしろ彼女を好きという気持ちにさせてくれたら、こちらからプレゼントしたいし
デートもおごりでも全然かまわないのだけどなあ・・・
結局彼女とはお互いが大切と思うポイントがずれているのかもしれない。
37:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:27:56 XWpxbLCM
せっかく熱心にアタックしてきてくれて、時間にもゆとりがあり、
ご近所住みと好条件のさえちゃんだけど
彼女のことを好きになっていきたくてもこれじゃ好きになりようがないよ。
ジャニーズの追いかけをしていることも、いい年して親に家賃を見てもらっての一人暮らしも
タバコを吸うことも、肩こりがひどくて病院通いをしていることも、みんな許せるけど
でも自分も彼女に望んでいるデートの形があるし、そういうことも考えてくれればなって思う。
錦糸町の駅で抱き合ってから別れたけど、でも彼女と会ったあといつもがっかりしてしまう。
もう彼女とは会わないかもしれない。
38:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:30:23 XWpxbLCM
16日の土曜日は昼まで洗濯と掃除。
洗濯や掃除は別に嫌いではないけど、やはりその気になれないときもあって1週間ためてしまった。
休みの日の午前中はけっこう家事をこなす。
午後から御徒町の道場に行って将棋。けっこう好調だった。
終わってから、友達と3人で、友達行きつけのハンバーグ屋に行く。
友達は注文しなくてもおばちゃんが
「サーロイン、ミディアム、和風セット、大盛り」と言って注文を通した。
終バスを逃してしまい、駅から30分歩いて帰った。
17日も将棋。御徒町のトーナメントで優勝し、5千円ゲット。
終わったあとラーメン屋へ。やはり終バスを逃す。
終電終バスとかあまり考えないで、遊んでから考える性格のようだ。
そんなことだから、ダメなんだなと思いながらも、歩く事はきらいじゃない。
駅からの道には親水公園があって、いろいろなことを考えながら歩く。
いつもくみのことを考えてしまう。
彼女を好きでいたときの一途でまっすぐな気持ちでいられたら、と思いながらうちについた。
39:将棋漬けだった連休
08/08/23 21:31:39 XWpxbLCM
18日は休日出勤。
仕事をして、夜から家族で食事会。ロイヤルパークホテルのバイキング。美味。
水天宮のすぐそばにあるのだが、ここは安産の神様。
元妻が子どもを産んでくれたときここにお参りに行ったことを思い出したりする。
妻もこどももいい子だったのに、もっと大切にして上げればよかった。
自分はその瞬間、その瞬間、最善の選択をしてきたつもりだけど、
やはりこの世界で幸せになれないのではないかなって思ったりした。
連休最後の夜、連休中に対局した将棋の棋譜をパソコンに入力して検討したあと
そんなさびしい気持ちで連休を終えた。
40:やっぱドタキャン
08/08/23 21:33:25 XWpxbLCM
近ごろ、メールをときどきくれるひなこさんは
12日に28歳の誕生日を迎えたばかりの人妻さん。
Hなお話などしばしばしたりして、明日はじめて会う予定だった。
・・・が、2,3日前からメールが急にこなくなり、今日
「ごめん、体調が悪くなって入院してた」とキャンセル。
こっちは1週間前から午後半休を入れて待っていたのだが
まあここは怒っても仕方がない。
「早く元気になってね。ぼくのことは気にしなくていいから(^^)」
はっきり言って、女性の約束なんていうのはあてにしちゃいけない。
最初から破られるものだと思っていれば腹が立たない。
営業のお仕事なんかをやっている人ならお客さんの約束なんかも
そういうものだと思っていることだろう。
と、いうと女性に文句を言っているだけのようだが
逆にネットの恋愛掲示板で女性の話を聞いていると、
男はウソばっかりでプロフィールなんかもみんなでたらめで
調子のいいことばかり言ってるそうで、それもそうなんだろうな、って思う。
41:やっぱドタキャン
08/08/23 21:35:03 XWpxbLCM
誰でも自分がやられたことは大きく感じるし
自分がやることは「これぐらいならいいか」って思うものだから
結局そういうことになるのだ。
(しかし、女性の男性に対する批判は書かれているのをよく見かけるが
男性のそういう意見は迫害される傾向にあるなあ。
これも自分の被害が大きく感じる妄想?!)
競争的共存、なんて言葉がある。
例えば自然界は競争によって成り立っているが、全ての現象を競争では説明できない。
全ての生物は奪い合っているといえるし、助け合っているともいえる。
種としても競い合う中で共生というような関係もあるし、
食物連鎖の環の中で他の種を助けている事になる。
また種の中の個を見ても、助け合いながら、しかし自分の優位をもとめて奪い合っている。
経済の世界をみてもどんな大企業といえども完全な独占はできるものではなく
競争と共存を織り交ぜながらその中での少しでも優位を目指して争っている。
42:やっぱドタキャン
08/08/23 21:36:37 XWpxbLCM
男女の仲もやはりそういう風に見ることができる。
男女は愛し合い、お互いを求めながらも、お互いを選びあい、奪いあっている。
お互いに安らぎと信頼を求めながら、やはり少しでもいい相手を探そうとしている。
そして、いい相手を見つけると、人はほれてしまう。
ほれてしまうというのは理性を超えた働きで、つまり人を好きになり
好きな人と抱き合いたくなり、その人の遺伝子をこの世に残そうとするのは
人の本能に組み込まれていて、人は意識しなくても競争的な共存をしているのだ。
我々もそうやって生まれてきたし、これからもそうしていくのだろう。
男と女は互いに不信感を抱きながら、しかし、お互い求め合っている。
男と女は愛し合いながら裏切り合い、助け合いながら奪い合う。
誰が作ったのか、非情なこのシステムが我々を自然界の進化の競争で勝ち抜かせてきた。
だから、女は(というか、異性は)約束は守らない。
間違いない!(長井秀和の口調で)
今度とお化けには会ったことがない、なんて言葉もあるが出会いはいつも一期一会。
一回限りの勝負なのだ。やれるときは多少強引でもやっとけ!
43:やっぱドタキャン
08/08/23 21:37:59 XWpxbLCM
・・・でも、だけど、って誰も思う。
世界にひとりぐらい自分にぴったりの人がいるのでは?
完全に愛して、信じていい人がいるのでは?って。
それもまた、本能に組み込まれたシステム。
だから、そういう愛を信じて生きていけるのもまた人間の生き方だし
そういう人に出会えたのなら、それが錯覚かどうかなんて思っても仕方ない。
我々はシステムを知っているからって、そのシステムから逃れられるわけじゃない。
だからその中で自分でいいと思うほうに進んでいくしかないのだ。
だから、愛を信じたいなら信じてみろ!っていいたい。
正直、おれも信じたい!
ぼくにとってくみって女の子はそんな人だった。
今はまた、そんな風に思わせてくれる人を探すためにさまよっている。
信じれば、裏切られるのだが、また信じたくなるときがくると思ってる。
44:沖縄生活の始まりと、ゆみとの別れ
08/08/23 21:40:49 XWpxbLCM
10年前の話に戻る。
沖縄のりかとの出会いと別れのあと、自分は沖縄への憧れが膨らんでいった。
もちろん、これには自分の将棋がひとつの壁にぶつかり、
このままアルバイトをしながら修行を続けていっていいのかな?という迷いがあって
何か変化を求めていたということもあった。
たまたま、りかの行っていた大学の入学試験が東京でも受けられることを知った。
そんなに真剣に考えもせず、願書を取り寄せ、誰にも言わずに受けてみた。
合格だった。
親に話してみたら、親は別に反対しなかった。
こうして、22歳で大学生活をスタートすることにしたのだ。
偶然、つかんだりかとの出会いが、ぼくを沖縄に導いた。
りかはちょうど入れ違いに卒業。
りかが住んでいたアパートから50メートルくらいのところに部屋を借りた。
全然知らない場所での生活だったが、難しいことは何もなかった。
大学の生協の人がいろいろ助けてくれたし、
将棋という趣味があったから、そのつてで友達もすぐにできた。
行ってすぐの県大会で準優勝をしたら、研究会などにもお呼びが掛かるようになった。
45:沖縄生活の始まりと、ゆみとの別れ
08/08/23 21:42:15 XWpxbLCM
そのあいだもお正月に知り合ったゆみとの関係はずっと続いていた。
沖縄に行く直前3月の終わりごろ、東京にでてきてくれて、
一緒に房総半島のほうをドライブした。
5月の連休には実家に帰り、そして、新潟まで遊びに行った。
魚沼にはまだところどころ雪が残っていて、田んぼは緑だったが
ちょっと山のほうに行けば雪がいっぱいだった。
沖縄からも当時ようやく自由化されはじめた第二電電などの回線を使って安く電話をかけた。
毎月1万円以上はしゃべっていたと思う。
夏休みに実家に帰り、沖縄に戻るときにあわせてゆみに東京にでてきてもらい
一緒に沖縄に行った。
好きな女の子との旅行がこんなに楽しいものだって初めて知った。
一緒に乗った飛行機はこのままどこまでも連れて行ってくれるような気がした。
46:沖縄生活の始まりと、ゆみとの別れ
08/08/23 21:43:50 XWpxbLCM
沖縄ではアパートにもきてもらったけど、せっかくだからということで
旅行をかねて北部のリゾートのほうに行った。
海で泳いで、彼女が水着を着てくれるのがたまらなくうれしかった。
色のとても白いゆみの体は沖縄には似合わないくらいだった。
あっという間に死んでしまう真夏のセミのように、朝晩抱き合った。
3泊4日の予定だったけど、最後の日にはゆみは帰りたくないって言ってくれた。
それでもう1泊延長して、最後に空港で別れた。
帰りの飛行機の中で彼女はきっと泣いていたのだと思う。
ぼくも空港で飛行機を見送りながら泣いていたから。。。
沖縄での時間が長くなり、勉強も充実していたし、将棋も楽しくなった。
東京と違って強い人は少なかったし、どこでももてはやされた。
大学には女の子がいっぱい居て、そのうち何人かの子とは友達になった。
ひとりぼくに興味をもってくれた女の子も現れた。
一緒の講義のとき、いつもそばに座ってくれる女の子。
このときはまだただのお友達だったのだけど・・・
実家に帰るのも正月ぐらいになってしまった。
正月に帰ったときに新潟を訪ね、ゆみに会った。
ゆみの友達も一緒に3人で、弥彦神社にお参りにいったり
柏崎のほうまでドライブを
それが彼女の笑顔を見た最後になった。
47:沖縄生活の始まりと、ゆみとの別れ
08/08/23 21:45:57 XWpxbLCM
ゆみとは結局1年半つきあったことになる。
遠距離を続けて行くなか、ゆみとは少しづつ距離が遠くなっていったのかもしれない。
大学生活も二年目を迎えメールがだんたん遠くなっていき、
ぼくが落ち込んだ話をしたときに「そんなにグチグチ言われたら、たまらない」といわれてしまった。
彼女も遠くて、なかなか会えないことでストレスがたまっていたみたいだった。
ぼくもまだこどもだった。
「それじゃあしばらく、メールも電話もやめよう」と言ってしまった。
そのまま、メールも電話も途切れた。
3ヶ月くらいして夏休み前、ぼくがメールをしたときには彼女はすでに吹っ切っていたようだった。
もう会えないと言った。電話もかけないで、と言われた。
自分も悪かったとも思う。早く自分から謝ればよかったのに、何もしなかった。
沖縄で気になる女の子もできた。
でも、別れてしまうことには納得できなかった。
48:沖縄生活の始まりと、ゆみとの別れ
08/08/24 12:33:52 BBtxtJ0+
夏に実家に帰ったとき、新潟を訪ねることにした。
深夜、東京から新潟に車で向かった。
夜明け前の関越トンネルを出たところで、
大雨でタイヤがスピンして死にそうになったりもした。
朝の魚沼で車を止めて仮眠をして、彼女のうちを訪ねた。
彼女は電話をかけたが、ついに会ってくれることはなかった。
ああ、別れってこんな風にくるんだ、って初めて知った。
今までやさしかった女の子が急に冷たくなることってあるんだ、って知った。
人生で初めて恋人と別れてしまった。
それから先のことは彼女の友達から、少しだけ聞くぐらいになった。
その友達ともメールが途絶えてしまい、それ以後彼女のことは何もわからない。
でも初めてぼくを愛してくれた、この雪国の女の子のことをぼくは忘れない。
雪を見ると、色白だった彼女のことを思い出す。
メールで知り合って、顔を見ることもなく別れてしまったゆみ。
今は元気で暮らしているのだろうか?
ネットで知り合った彼女だけど、
インターネットで彼女の名前を検索しても、ネットはもう彼女のことを何も教えてくれない。
人生でもう一度彼女に会うことはもうないかもしれないけど
今度もし出会うことがあるなら「ありがとう」と伝えたいと思っている。
49:地震と台風 そして台風一過
08/08/24 12:35:18 BBtxtJ0+
少し更新が滞りました。
最近、地震と台風が次々きました。
地震のときはうちの会社の非常停止が働いて、全部ストップ。
安全点検をしたのちに、再起動ということで20分ほどロスしました。
さらに地震の影響で製油所も停止して、発注していたタンクローリーが到着せず。
品切れ寸前となり、会社で待機残業となった。
さらにうちに帰ってみれば、エレベーターが停止中。
6Fまで階段で登る羽目に。
6Fなのでまだよかったが高層マンションなんて住んでる人はどうなるんだろうか?
60Fなんてのもあるが、ホテルなどで1日2日泊まるならともかく
ずっと住むにはどうなんだろう?とか思ったりする。
台風は直撃に近い形になったのでどうなるかと思ったが、こちらはそれほどでもなかった。
機械が水をかぶらないように覆いをしたり、防水シートをかぶせたのだがそれほどでもなし。
昼間、台風の準備で疲れてうちに帰って寝たら、
起きたときにはもう行ってしまっていた。
50:地震と台風 そして台風一過
08/08/24 12:36:33 BBtxtJ0+
翌日は台風一過の夏空が広がった。
こういう真っ青な青空が大好きだ。
仕事をさぼって海に行きたかった。
何よりも一緒に海にいける、大好きな彼女がほしかった。
ぼくが彼女に求めるものはほんの少し。
こんなときに、会いたいときに、一緒にいてくれる人。
一緒にいることを望んでくれる人。
別に美人じゃなくても、特別な才能がなくても、貧乏でも、
ちょっとくらい欠点があっても、なんでもない。
家事も料理も特にできなくてもいい。
遊んでいたってかまわない。
ただ、ぼくと一緒にいることを望んでくれるやさしい人。
ぼくが会いたいと思うときにあってくれて、
一緒に遊んでくれる人。
ぼくが抱きたいと思うときに抱かれてくれて、
それを望んでくれる人。
51:地震と台風 そして台風一過
08/08/24 12:37:38 BBtxtJ0+
そんな人のために一生懸命働いて、一緒にたくさん遊んで、
幸せな時間をすごしたい。
そして世界のすみっこのほうに、
ささやかでも確かな幸せがある小さな家族をもちたい。
きっとそんな女の子がどこかにいるはず。
だから今日もメールを出す。
くみもわかってくれる日がくるんじゃないか、って祈っている。
52:しばらく更新もしてなかったのに
08/08/24 12:39:14 BBtxtJ0+
久しぶりに自分のブログをみてみたら
はじめて(営業ではない)コメントがついてうれしく思いました。
それにレポートを参照すると何で検索してくるのか
訪れてくれている人もいるようです。
自分がここで何を表現したいのかよくわからないながらも
誰かが見ていてくれるということに感謝する気持ちはあります。
ありがとう。
それで近況などを少しまとめてみようかと思います。
現在の自分の世界を大きく4つにわけると
くみのこと、くみ以外の出会いのこと、将棋のこと、
そして仕事やそれ以外の日常のことって感じになると思います。
書きやすい順に書いていきます。
53:しばらく更新もしてなかったのに
08/08/24 12:40:27 BBtxtJ0+
仕事はまずまず。暮れのボーナスもある程度期待できそうです。
それ以外に趣味でやっている外貨取引が堅調。
地道にやってるんでたいしたことはないにしても
ここ2年ほど年利換算で8%以上なんでいいんじゃないでしょうか?
将棋は低調。
9月にうちの師匠の昇段記念将棋大会で優勝したあたりまでは好調だったが、
その後目を覆うばかりの惨状になっています。
いや、マジ弱くなった。まあ勉強不足だからしゃあないかあ。
来週は重要な朝日アマの東京大会があるので
ここはがんばりたいと思っている。
それから団体戦で全勝をキープしていてそれが
その次の週の大会にかかってるので、そこが肝。
チームが昇級し、自分が全勝なら金字塔だ。
54:しばらく更新もしてなかったのに
08/08/24 12:41:32 BBtxtJ0+
出会いの方面ではいろいろなことがあった。
ネットでの出会いとしては、
以前書いたぽちゃのモモさんとはステディな関係になった。
以前はデブに近いとか書いたが
気合入れてダイエットしたようでかなりやせた!
温泉旅行に行ったり、うちに来てくれたり、
かなりH方面も開発中という感じで、本人も積極的になってきた。
彼女は結構本気みたいでなんか申し訳ない気持ちになって
自分はこんな人間のくずで君を傷つけるかもしれないよ、
という話もしたりしたけど、それでも構わないとのこと。
自分も申し訳ないと思いながらもさびしいのでついつい
連絡とってしまい、一緒の時をすごしてしまう。
女の子と抱き合っていれば、嫌なことを忘れられるからね。
つくづくダメな自分だなあと思いながら。。。
55:しばらく更新もしてなかったのに
08/08/24 12:42:59 BBtxtJ0+
ほかにもドタキャンされたHな人妻さんとは結局会えた。
車で2時間かけて入間まで会いにいったが
遠いとはいえ行ったかいがあった。
1日休みをとって朝から夕方までずっとホテルですごす。
半日で4回もシテしまった・・・
いや、別にヤバい薬とか使ってないですよ。
生まれつきそっち方面の体力はあるみたい。。。
しかしさすがにやりすぎたのが、その日でメールが途切れた。
人生は一期一会。止む無し。
他にはお茶女の学生さんとは3回ほどデート。
こちらはスレンダーで中国語ペラペラだけど、
キャラがイマイチぱっとしなくて萌えない。
大山にあるでかい女子寮に住んでいるのだが、
夜の12時すぎるとセンサーがセットされて、
帰れないし、住人でも外出できないそうだ。
週に1度くらいネコがセンサーにひっかかって
夜中に「侵入者あり」の警報が部屋に鳴り響くそうな。
さすがお嬢さま学校とは思ったが、
どう考えてもやりすぎだし・・・(笑)
56:異邦人さん
08/08/24 12:43:56 bIPkuiZ7
一人でID変えてるような気がしてるのは漏れだけ?
57:しばらく更新もしてなかったのに
08/08/24 12:44:39 BBtxtJ0+
他にはご近所住みの元ヤンキーの派遣社員(27)と1回お会いした。
地元のファミレスにゴスロリちっくな服装に
フリフリのついた傘さして自転車で現れ
「きたーーーー!(笑)」って感じでした。
IT関連の仕事していて専門知識はすごかった。
趣味も車にマンガにしかも通信で法学の勉強していたり
田舎の秋田の話やら会話はなかなかおもしろかった。
モーターショーに誘われたが忙しくて時間がとれずいかれなかった。
キャラは好み、容姿はややぽちゃだがどことなくくみに似ている
今後どうなることやら。。。微妙な情勢。
さらにネットで知り合ったあった人が2件、
リアルでの出会いが1件あった。
それから一番重要な、くみとのことでもいろいろあったけど
あまりにも長くなってきたのでここでいったん終わろう。
最後の更新をしてからまもなく4ヶ月だけど
やっぱりけっこういろいろなことがあるものだなあ。
58:いとしのマイミーオ
08/08/24 12:46:23 BBtxtJ0+
マイミーオ(MyMio)というブラザー工業の
薄型デジタル複合機のブランドがある。
ブラザー工業はもともとミシンなどのメーカーだったが
小型印刷機方面に進出し一時期はそこそこのシェアを持っていたが
パソコン用プリンタなどではキャノンやエプソン、
また外国メーカーにやられ苦戦中である。
しかしFAX分野では家庭用、業務用含めて
一定のシェアを確保しているようで会社も力を入れているようだ。
なんでそんな話をしたかというと自分がたまたま会社で
FAXの買い替えを担当していろいろ検討したときに
ちょうど弥生(みお=仮名としておく)という
名前の女の子とのつきあいがあったからだ。
今年の8月から10月にかけて、
短い時間だったが心に残っている女の子だ。
将棋をやる女性で26歳。
将棋の腕前は女性のアマチュアとしては
日本でベスト10に入るくらいだと思う。
59:異邦人さん
08/08/25 12:08:04 bQEB857U
完全にどん詰まりになってしまった。
家賃の督促を何度もされて今週末までには
なんとかしないといけないし、駐車場代も払っていない。
10日の支払いができないからカードもとめられるし
来週からは食っていくのも困難になる。
借金して急場をしのいでも、
今度は借金地獄が待っているだけだろう。
もう親もギリギリだし、これ以上頼りたくない。
あなたの「シゲ/山田茂樹」より
# by shigeshogi | 2008-08-07 08:25 | チャム | Trackback | Comments(4)
事件・事故:交際女性を刺した男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕 /広島
広島署は7日、東京都江戸川区、アルバイトの山田茂樹容疑者(35)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
山田容疑者は同日午後6時半ごろ、呉市川尻町のマンション前路上で、
交際中の同町の女性会社員(25)の右肩などをいきなり所持していた文化包丁で数回切りつけ、
約3カ月の重傷を負わせた疑い。
山田容疑者自らが「人を刺した」と110番通報し、駆けつけた署員に逮捕された。
頭はおかしいけど
心神喪失も耗弱もないよな
生活苦しいから心中はかったんでしょ?
この35歳アルバイト
60:異邦人さん
08/08/25 12:20:41 GttCkvZB
コピペ元はここ
URLリンク(shigeshogi.exblog.jp)
以下関連スレ
アマ強豪が殺人未遂で現行犯逮捕される
スレリンク(bgame板)
将棋板でアマ強豪の山田茂樹容疑者(35)が殺人未遂で逮捕
スレリンク(news板)
61:異邦人さん
08/08/25 12:43:09 UHmb73/0
海外旅行板とかあったんだw
62:いとしのマイミーオ
08/08/25 13:47:45 HP0eEP04
みおとは元妻との裁判の帰りに立ち寄った御徒町の道場で
対局の手合いが偶然ついて知り合った。
初めての対局、遊んであげるつもりで指したら
なかなかきらめくような手を指してくるので
思わず本気になってしまった。
帰りに食事に誘ってみたらついてきた。
東大に2回も入学している(卒業は1回)という変わった経歴。
東大将棋部で将棋を覚え、すっかりはまって
今は将棋の修行をしつつフリーターという
男ならこの世界ではありがちなパターンだ。
お決まりで日が昇ってから寝る超夜型生活を送り、
夜はいつもネット将棋に行けば彼女を見つけられるだろう。
63:いとしのマイミーオ
08/08/25 13:48:58 HP0eEP04
余談だが自分は東大を侮れないと思っている。
偏差値がどうとかはあまり何とも思わない自分だが
学生の団体戦リーグとかで東大がいつも強いのをみたり
また東大将棋部の連中とは数々の戦いをしたし
手ごわく感じる人が多かった。
自分の中学高校からたくさんの人が東大に行き
部活で一番仲のよかった友達も東大に行って、
彼の研究の話とか聞くと「なかなかやりますねー」と思ったし
話せば「さすが」と思わせる知識や知性の持ち主が多くて
当然かもしれないが中身のないブランドではないと実感してる。
しかし!しかしだ、いとしのマイミーオは違った。
はっきり言う。彼女はおバカ!
最初は能ある鷹は爪隠すで、謙虚な人柄なのかな~と
思ったりしたがそうでもなくて
なかなかものが覚えられない。
自分に自信がなくて、物事をうまく表現できない。
知能は低くないという意味で頭は悪くないんだろうけど、
とにかく要領が悪く直感がにぶいのだ。
人付き合いが苦手でバイトを転々。
64:いとしのマイミーオ
08/08/25 13:49:50 HP0eEP04
男女問わず、将棋指しにはそういう人が多くて、
(私もご多分にもれないほうかもしれないが)
将棋は必ず手番が回ってきて、
そこで自己主張する権利が与えられるし
そこで相手より良い手を指せば必ず勝つことができる。
一方、社会では地位とか立場やお金で発言力がかわるし
何を言っても普段がダメなら誰も認めてはくれない。
だから、将棋指しには盤上のみで自分を表現する事に
プライドの全てをかけているような連中が結構多いのだ。
将棋が強いから自分は偉いと本気で信じているような連中が多い。
そういうのは社会では通用しないから強豪の中には
ニートやフリーター、ごろつき系の人がけっこういたりもする。
閑話休題。
65:いとしのマイミーオ
08/08/25 13:51:04 HP0eEP04
みおとはそのあとときどき将棋を指すようになった。
個室居酒屋で将棋盤を広げ
閉店までいて駒を動かし続けるヤバイカップルの話を聞いたら
それは自分らのことだ。
会えないときもインターネットの将棋で
週に2,3回対局したり、チャットをしたりして、
久しぶりにいいな、って思えるようになってきていた。
顔は美人じゃなかったし、
キャラもちょっと難しいところはあるけど
でもそういう癖のあるところはむしろ好みだった。
ちょっと好きになりかけていたと思う。
しかし意外な事実が判明。
超ミニのジーンズのスカートをはいて
うちに将棋を指しに来たときに迫ったら、どうしても濡れない。
なんというか、そういう病気?なんだそうで
医者にかかろうか悩んでいるそうだ。
そのくせバイト中に意味もなく濡れだしたりして
それは自分の気持ちとは関係なくそうなるんだそうだ。
(別にHな気分ではなくてもなんかのはずみで勝手に濡れる
しかし肝心なときには濡れない)
66:いとしのマイミーオ
08/08/25 13:52:21 HP0eEP04
性はデリケートでいろいろな人がいるのはたしかだが
そういうのははじめてだった。
みおにもキスをしたり、形がいびつな乳首をしゃぶったり
感じやすいという背中やそのものやら
いろいろ触らせてもらってがんばってみたけど
結局彼女は濡れることがなく
すまたでこすったりで終わってしまった。
こっちは全然気持ちよくない・・・とは言わないが
かなり不満足。
その後
「チャットでいつも話している会ったことがない好きな人がいる」
という話をされたり
「自分は今、将棋を極めたりと思っているから
将棋をする以外のつきあいは控えたい」
と言われたりしてさすがにぼくもあきらめた。
お別れは自分とみおらしく、ネット将棋サイトの対局後。
「今までありがとう」「幸せになってね」「強くなってね」
と言ってきれいに別れた。
その後、ちょっとネットで見かけるときもあるけど
チャットなどで話しかけたことはない。
ちょっと好きになった、いとしのマイミーオ。
そのうちまたどこかの大会か道場で、偶然会えたらいいな!
67:キャノンの御手洗社長の話
08/08/25 13:59:29 cgZfxfTI
今回は前回の記事に関連した余談。
前の記事でブラザーの複合機の話をしたが、
結局導入したFAXはブラザー製にしたのだった。
もちろんマイミーオではない。
モノクロレーザーFAXの単機能機だ。
業務用だとやはりインクジェットでは辛い。
ちなみに家庭用インクジェット機は近年めざましい性能アップだ。
写真画質と銘打つほどの印字品質に加え
デジカメからのダイレクト印刷やスキャナ機能、
カードリーダー機能、フィルム読み込み機能、
さらにはFAX送信機能などいろいろ盛りだくさんで
しかも驚くぐらい安くなった。
この分野ずっとエプソン(カラリオ)の独壇場だったが
数年前からめきめきとキャノン(ピクサス)が頭角を現し
ついに逆転したと聞く。
68:キャノンの御手洗社長の話
08/08/25 14:00:32 cgZfxfTI
一時期業績の悪かったキャノンが反転攻勢に出たのは
御手洗富士夫社長が就任してからといわれている。
この社長なかなか切れ者で、徹底した現場主義を掲げ
何かの雑誌で日本の経営者ランキング1位になったり
日本経団連の次期会長にも内定しているという。
この御手洗さんなんと将棋指しなのだ。
私は吉祥寺の将棋道場でこの人と指したことがある。
対局するときに手合いをつけてくれた道場の席主から
「この人は偉い人なんだよ」といわれたが
当時はキャノンの社長になる前のこと
「へえ。そうなの・・・」くらいにしか思わなかった。
棋力は道場の並四段くらい。
普通のアマチュアとしてはなかなかの腕前だ。
あとから、テレビや雑誌でたびたび目にするようになり
ああ、あのときの・・・と思うようになった。
この人が将棋指し出世ナンバーワンではないだろうか?
将棋指しで有名人といえばほかには
プロ野球の古田選手(今度から監督)などが有名で
あとはタレントや作家や音楽家などにいくらかいるが
昔はけっこう大物がいたようだが、
今活躍している人ではそれほどの人はいない。
まあ将棋なんかやりながら偉くなれるようなご時世ではないのだ。
69:キャノンの御手洗社長の話
08/08/25 14:01:51 cgZfxfTI
オレンジ共済で捕まった友部議員の長男(主犯格)が
だました金で熱帯魚のほか、
数百万円ほどの将棋盤駒などを買い占めていたり、
青森で着服したお金をみんなチリ人妻に貢いでしまった
元県代表がいたり、まあろくでもないほうが多い。
小悪党なら山ほどいるって感じだ。
いや、私もどっちかというと(いや、明らかに)
ろくでもないほうの部類で
いつか「チンピラ将棋指し列伝」に
名前を載せることになるやもしれないが。
70:沖縄時代の話
08/08/25 14:03:25 cgZfxfTI
沖縄のメールフレンドとの出会いに影響を受け
実家を離れ沖縄に行ったのは9年前のことだ。
自分にとっては沖縄時代は
楽しくもほろ苦い青春の1ページとなった。
沖縄での生活の幕開けは明るい光に満ちたものだった。
一人暮らしだったが、沖縄は物価が安く
東京感覚で仕送りをもらえた自分は裕福だった。
まあ、もともと質素な生活をするたちだったし
ぜいたくといえば新車を買ったぐらい。
今もそうだが、お金で買えるものでほしいものが
あまりないという性格なのだ。
沖縄での生活は楽しくて、
車を買ってからは島中を探索してまわったと思う。
美しい景色の中で新しい友達がどんどんでき
人生がいっぺんに開けてきたような感じがした。
将棋も沖縄に行ってはじめての大会
竜王戦県大会で準優勝をして一躍有名になり、
沖縄では強い人があまりいなかったのでちやほやされた。
実際将棋の勉強もして一段レベルアップをして強くなり、
何度も県代表になることができた。
いくと必ずごちそうしてくれるだんな筋ができたり
新聞の観戦記なども担当させてもらったりもした。
71:沖縄時代の話
08/08/25 14:04:41 cgZfxfTI
大学生活も楽しかった。
中学高校と詰襟学ラン(今どき!)の男子校だったから
女の子のいっぱいいる大学は華やかに感じた。
エリートっぽい学校からきていたこともあって
普通にしていれば好成績が取れて、奨学金ももらえた。
大学の先生のこどもさんの家庭教師を頼まれたり
塾講師のバイトをしたり、毎日は充実していた。
いつしか講義のときに一緒に座ってくれる女の子も現れた。
彼女の名前は晴美(仮名)。
沖縄の大宜味という本当の田舎からでてきて貧乏だった。
ボーイッシュでさわやかな印象で自分も好きになった。
シャツとジーンズの似合うスマートな
いかにも女子大生って感じの女の子だった。
ウチナンチュ(沖縄人)らしく、
小麦色だけど若くて弾力にあふれた肌だった。
でも貧乏なのでバイトは忙しいし、
携帯もポケベルもなかったから
連絡を取るのが難しかった。
72:沖縄時代の話
08/08/25 14:07:26 cgZfxfTI
一方、将棋のほうで将棋をやる34歳の女の人とであった。
まりこ、という。
彼女は三重県から沖縄にやってきて、
沖縄の音楽の勉強にしにきたのだという。
浦添の将棋道場で将棋を指していたら
当時の将棋仲間たちが、那覇の道場に女のお客がきているらしい
という話を聞いて、わざわざ見に行ったのだった。
彼女は沖縄にきたばかりで住む場所も決まってなく
格安の宿泊所に日払いで泊まっていた。
それでぼくは彼女が住むところが見つかるまでみたいな感じで、
うちにこさせたりした。
その後彼女は自分のアパートを見つけたが
お互いに部屋を行ったりきたりするような関係になった。
今思えば2人の女性の好意を得たわけだけど
当時の自分は本当ににぶくて女の子の好意ってものに
まず気がつかなかったし
(それは今もそうで、言葉にしてくれないとイマイチわからない)
どっちもくるものは拒まずみたいな感じで
やりまくってしまった。
73:沖縄時代の話
08/08/25 14:10:33 cgZfxfTI
今思えば18歳の晴美を大事にしそうなものなのに
将棋という趣味を持ち、
時間が暇でこっちが都合いいときに遊びに行くことができ
携帯もポンコツ車ももっていて
(今思えば自分とのつきあいのために準備したのだ)
積極的で圧倒的に便利だったまりこと会う機会が多くなって
それを察した晴美にはふられてしまった。
普通の男女交際ってことをしたことがなかった自分は
特定の人と付き合うってことが
よくわかっていなかったのだ。
自分は本当に女性の気持ちのわからない人間で
この辺で気がつけばもう少しマシな人生だったかも、とも思う。
まりこのほうとは結局東京に帰るまでの長い付き合いになった。
3年生の中ごろには一緒に住むようになっていた。
そして東京に戻る前の歳に彼女はぼくのこどもを宿した。
彼女は34という年齢もあってこどもがほしかったのだ。
自分が「こどもって好きだよ」って言ったのを
こどもを作ってもいいという意味だと考えて
(わざとそうしたのかもしれないが)
危険日に「大丈夫」といわれて、したら、娘が生まれた。
74:沖縄時代の話
08/08/25 14:14:43 Le1nUUdg
いろいろ考えて結婚して育てようと思ったときもあったが
しかし学生だった自分は稼ぎもないし
まだ人生を決める覚悟はなかった。
実家に逃げ帰ったり、沖縄に戻ったりを繰り返すうちに
まりこは、まりこなりの覚悟の見せ方をした。
彼女は少し体の弱い中年の軍用地主
(沖縄の米軍基地の中に土地をもっているのでそこから地代が入る
沖縄にはけっこういる人種で働かないで暮らしてる人も多い)
の彼氏をみつけ、その彼と結婚したのだ。
こどもも彼にひきとってもらった。
それを知ってあわてた自分に
まりこは半日だけこどもを預からせてくれた。
こどもはかわいかったが子育てをやってなかった自分は
育児の大変さを思い知るとともに
今の自分には無理だと悟った。
75:沖縄時代の話
08/08/25 14:15:57 Le1nUUdg
またある将棋指しの奥さんにちょっと手を出したりして
将棋関係者にも疎まれるようになるなど
最後のほうは支離滅裂になってきた。
そして沖縄の荷物を車に積めるだけつんでフェリーで送り
東京に逃げ帰ってきたのである。
まりこと娘にはもう5年以上もあっていない。
元気にしているのだろうか?
心が弱ったときに、尋ねていきたい気持ちになることがある。
沖縄ですごした4年間はいろいろなことがあった。
しかしここでも生来の怠け者気質と
本当に愛する人を探すという気持ちにかけていたために
幸せをつかむことはできず、
逆に周りの人を不幸にしてしまったように思う。
しかし今でも美しい沖縄を愛する気持ちはやまず
いつの日か心から愛する人と結ばれて
一緒に沖縄を旅するのがぼくの変わらぬ願いである。
76:沖縄時代のネット、メール、出会い事情など
08/08/25 14:17:31 Le1nUUdg
自分が沖縄にいた、今から9年前から5年ほどまえのころの
メールでの事情を少し書いておこう。
この時期の一番大きかったできごとは
なんと言っても携帯電話の普及だろう。
それまであったポケベルはまだまだ一部の人の使うものだったが
携帯はあっという間に普通の人の使うものになっていった。
携帯は人との付き合い方をどんどん変えていった。
とはいえ、当時の携帯はまだ通話メイン。
メールもまだまだだったし、ましてやiモードなどの
携帯のインターネットサービスなどもまだだった。
携帯の影響が出会いの形を完全に変えていくのはもう少し先のことだ。
自分といえばつきあいのあったまりこや
将棋仲間の友達が携帯を持ち始めるのを横目に
学生時代はついに携帯を買わなかった。
77:沖縄時代のネット、メール、出会い事情など
08/08/25 14:19:01 Le1nUUdg
その次に影響を与えたのはWindows95の登場だろう。
それまでもWindows3.1ではまだまだMS-DOSとの併用という状態で
ブラウザでインターネットを閲覧するにはまだまだ重かった。
それが95の登場で一気にインターネットが身近になったのだ。
それまでのテキスト中心のパソコン通信から
ブラウザでグラフィックですべてを表現できるインターネットは
圧倒的な印象を与えた。
「ホームページを作っています」みたいなのが
ちょっとした流行みたいになっていた。
と言ってもまだまだ現在のような状況とは違う。
ダイヤルアップでの接続が普通であって通信速度も遅い。
課金も従量課金が主流だったので
今のようにうちでネット見放題というわけでもなかった。
自分はというと大学のパソコンでインターネット見てはいたが
まだまだ今のようにあふれるほどのコンテンツがあるというわけではなくて
まだまだパソコン通信(NIFTY)を中心に使っていた。
相変わらずNIFTYの掲示板に募集を出したり、
逆に女性の掲示にメールを出してみたり。
ただ沖縄時代はリアルでの出会いなどが充実していたために
それほど積極的にメールでの出会いを探していたわけではなかった。
78:沖縄時代のネット、メール、出会い事情など
08/08/25 14:20:13 Le1nUUdg
だからメールで知り合った沖縄県内の人に
1,2人会った記憶はあるけれども発展した人はいなかったし
それほどの思い出も残っていない。
沖縄から撤退した自分は東京に戻り少しの実家ぐらしのあと
一人暮らしをはじめた。
そこで新しい出会いを探すべく、
再び本格的にメールでの出会い探しをはじめるようになる。
その話はまたそのうちに・・・
79:クリスマスのすごしかた
08/08/26 00:45:14 YofioJgD
昨日は元妻との慰謝料裁判。
和解は難しかったようで、本格的に争う事になりそう。
今まで自分で準備書面やら、答弁書、証拠提出などしてきたが
どうやら素人だけでは難しいかも。
とりあえず1審は自分の力でやってみるつもりだが
2審以降のこともあるし、
弁護士ドットコムというサイトで見積もりを請求してみた。
費用対効果を考えるとどんなものなんだろう?
しかし、裁判で負けようとも死んでも金を払うつもりはなく
有り金を全部現金に換え、住所も替え
仕事もやめて日払いの仕事にかえて徹底抗戦のつもりだ。
(そうすれば簡単に差し押さえはできないはず)
絶対負けるもんか。
人生は戦いだ!、と思っている。
その後、髪の毛を切って気分転換をして御徒町で将棋。
将棋も戦いだ!
80:クリスマスのすごしかた
08/08/26 00:47:40 YofioJgD
今日は土曜出勤だったが、会社の電話を受けたら
うちの会社の系列元売会社の担当が
「おたくの会社で従業員の女の子にメイドの格好をさせて
接客やチラシ配りさせているという情報があるんですが」
とあわてた声。
ちょっと~、うちはガソリンスタンドですよ(笑)
思わず笑ってしまったが、案外いいアイデアかも。
静電気防止コーティングに、
安全靴を履いたメイドさんのいるガソリンスタンド。
「ご主人様。ガソリンだけじゃダメ。
オイルもいれてー。お車も洗いたいの!」
って女の子に言わせようか?!
うちの社員やバイトの女の子がメイド服を着ている姿を
想像したところで、妄想はやめておいた(笑)
81:クリスマスのすごしかた
08/08/26 00:49:21 YofioJgD
クリスマスは前述(7/20)のこっちゃんと
モモさん(7/12初出)と1日づつ
すごすことになりそうな気配。
くみにはこれからアプローチしてみるつもりだが望み薄。
本当はくみと一緒にいられたらどんなに幸せだろうと思うけど
一人で過ごすことにならなくて済みそうだ、
と安堵する気持ちもあるのが正直なところ。
自分の場合、一人になるのが嫌でたくさんの女の子に
アプローチしてしまうのだけど、
やっぱり寂しさに耐えて本当に好きな人だけを
待っているほうが幸せの近道なんだろうか・・・
自分はあふれるエネルギーをじっとしておくことができないし
一人で泣いているより行動するように生きてきたが
きっとそのあたりうまくバランスを取りながら
幸せをつかめる人もいるんだろうなあ・・・
82:異邦人さん
08/08/26 00:57:08 ZzDH/zRF
これで何月何日まで進んだの?
83:異邦人さん
08/08/26 01:53:04 8ujjtpyu
日付も入れてよ
84:異邦人さん
08/08/26 09:22:07 LiyUEar1
誰か続き
85:異邦人さん
08/08/26 13:47:20 Koi9drPR
誰かまとめ
86:Finepix Z2
08/08/26 14:14:54 wKxRgk5Q
2005年 11月 29日
デジタルカメラを買い換えた。
今までは5年物のFinepix4800Zという機種を使ってきたが
今月11日に発売になったばかりのFinepix Z2という機種を買った。
きっかけはモモさんがデジカメを買うのにつきあっていろいろ調べているうちに
高感度のデジカメがいいなと思うようになったからだ。
今までの4800Zは買った当時は小さくて高機能なデジカメで
ポルシェデザインがかっこよくて愛着はあるのだが
起動も遅いし、最近では携帯のカメラで取ることがおおかった。
携帯はいつももってるしとても手軽なんだけど
手ぶれしやすく、特に室内など光が弱いところでは
なかなか思うような写真がとれなかった。
しかし高感度ならその心配は少なく
室内ならフラッシュなしでもそこそこの写真が取れる。
そして買うことを決定づけたのが11月13日にあったくみのコンサートだ。
ここで撮影するのに、演奏の邪魔にならないように
フラッシュを使わないでバシバシ撮れるカメラがどうしてもほしかった。
それでその2日前に発売になったばかりのz2を購入したのだ。
その写真が11月17日にアップした写真だが、
あれはわざと画質を落としているのであしからず。
87:Finepix Z2
08/08/26 14:16:20 wKxRgk5Q
その後モモさんとハメ撮りをしてみたり悪い使い方もした。
(こういうときにも高感度は超便利。
フラッシュ使うとムードが壊れちゃうからね)
今回アップしたのはもちろんそれではなく(笑)
日曜日の社会人団体リーグで優勝した記念写真。
屋内でノーフラッシュで素人さんがとってこれだけ取れれば満足!
社会人団体リーグ戦優勝したのはよかったが
自分は15戦全勝を逃し、14勝1敗。
もちろんチームが勝ったのでうれしいが、
しょうもない弱い相手に負けてがっかりだった。
最近はいつも大事なところでミスしてしまう。
ずっと運が悪いので、こうなるんじゃないかと思っていた。
大会の打ち上げでは2時間の飲み放題で8杯は飲んだと思う。
酒は特に飲みたいと思うことはないし普段もあまり飲まない。
でも、飲んでもあまり酔わないし、翌日に残ることもない。
今回もけっこう飲んだはずだが、なんともなかったなあ。
恋愛に酔いやすく、酒に酔いにくい。
ちなみに大会会場にはマイミーオ(11月18日参照)もきていたが
声はかけなかった。
88:北海道のかほのこと
08/08/26 14:18:11 wKxRgk5Q
2005年 11月 30日
自分は北海道が好きだ。
今までに訪れた回数は10回ほどだが
いつ行ってもいいなあと思う。
沖縄が好きで北海道が好き・・・対極のようだがそうでもない。
どちらにも基地がごろごろあり(沖縄は主に米軍、北海道は自衛隊)
また差別を受けてきた歴史もある。
そして、失業率の高さや所得の低さではワーストを争っている。
日本の中央に対する辺境という意味で両者は共通なのだ。
沖縄では左翼勢力の影響が強いこともあって
少数民族権利保護運動などを展開する大学の先生などもいて
アイヌやイヌイット、アメリカ原住民など
迫害された歴史をもつ人々と
連帯しようみたいな主張もしばしば見受けられる。
今や参議院議員となった沖縄音楽界の重鎮
喜納昌吉さんもアイヌについての音楽なども作ったりしていて
それもなかなかすばらしい。
(特に「森の人」という曲は私のお気に入りだ。)
北海道と沖縄はそういう意味では近い部分があるし
自分も都会があまり好きではないということもあって
沖縄と北海道の両方にひかれるのかもしれない。
89:北海道のかほのこと
08/08/26 14:19:33 wKxRgk5Q
北海道になぜかご縁があり数々の思い出がある私だが
今回はその中で一番古いご縁、かほ、という女の子の話をしよう。
彼女は半年ほどの付き合いで会ったのは2回だけ。
最後までさせてもらったこともなかったけど、とても心に残っている。
ぼくの大切なヒロインの一人なのだ。
かほとは例によってニフティの掲示板で知り合った。
彼女が出していた掲示にこちらが申し込んだのが
きっかけだと記憶している。
時代は今から9年前から8年前、沖縄に住んで最初の冬のころだ。
新潟のゆみと別れて、沖縄のはるみやまりこと仲良くなる
少し前くらいの時期だったと思う。
かほは当時20歳で、専門学校生だった。
メールはそれほどまめではなくちょっとメールを交換して、
途切れたと思ったらまた復活して、
みたいな感じで半年くらいはメールをした。
手紙のやり取りも2,3回したと記憶している。
そしてバレンタインには自分で焼いたチョコクッキーを
沖縄まで宅配便で届けてくれたことがあり
自分はどうしてもこの子と会ってみたいと思うようになった。
それで大学の長い春休みに実家に帰った際、
北海道を訪ねてみることにした。
90:北海道のかほのこと
08/08/26 14:21:01 wKxRgk5Q
時は3月、私にとってははじめての北海道。
その年はわりと雪の多かった年で
知識としては3月ではまだまだ雪が多いことを知ってはいたが
実際、新千歳空港に入るために室蘭あたりから
飛行機が陸上に入っていったとき、
一面雪景色が広がっているのを目の当たりにしたときの
真っ白な大地の記憶は今でも心に残っている。
かほは折りしもちょうど専門学校を卒業し
4月からの就職の前の準備の時期。
ラーメン屋さんをやっている実家を抜け出して
部屋を借りたところだったのだ。
実家の近くに部屋を借りて数日目でまだ電話もなかった。
かほの部屋のそばのボーリング場で待ち合わせ。
でも結局おなかがすいたということで
ボーリングはやめにして「びっくりドンキー」で食事をした。
びっくりドンキーは沖縄はもちろん、東京にも当時はまだ見かけなくて
北海道の地元のチェーンなのかと思った。
木でできた大きなメニューはおもしろいと思ったし
ハンバーグもおいしいと思った。
のちに東京に進出してきたときにはちょっとうれしかった。
91:北海道のかほのこと
08/08/26 14:24:06 p1Bm+GQv
「今日、泊まるところはあるの?」と聞かれたけど
「とりあえず君のうちでお酒を飲もうよ」と言って
沖縄からもってきた泡盛「菊の露・サザンバレル」(当時のお気に入り)
を飲むという口実で、
かほの住み始めたばかりのお部屋に上げてもらった。
4畳半二間の2Kで古びた部屋だった。
部屋備え付けのガス暖房が北海道らしさを感じた。
お酒を飲みながら音楽を聴いたり、
パソコンをいじったりおしゃべりをした。
彼女はパソコンで札幌のおいしいジンギスカンのお店など
調べてくれてプリントアウトしたりしていた。
「明日から登別のほうに旅行に行こう」
ということで話がまとまってその日は寝ることになった。
添い寝して、ぼくは彼女を求めた。
キスをしたり、胸をさわったり、
でも下を強引に脱がそうとしたら
彼女は涙を流してしまい、それであきらめた。
しばらくないていたけど、耳元でささやくように
いろいろな歌を歌ってあげた。
沖縄の歌や、流行歌、子どものころの懐かしい歌。
彼女もリクエストしたり、一緒に口ずさんでくれているうち
気持ちがおさまっていった。
いつしか寝てしまった。
話はまだまだ長いので今回はこの辺で。
後半に続く(・・・はず)
92:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:25:47 p1Bm+GQv
前回の続き。
北海道の女の子、かほとの物語です。
札幌に住む20歳の女の子、かほを訪ねていった自分は
一緒に登別に旅に出ることになった。
かほのお部屋から地下鉄南北線の駅までは歩いて5分くらい。
とりあえず地下鉄でJR札幌駅にでることにした。
札幌の街は先進的な街で当時すでに、
共通化されたプリペイドカードによってバスや地下鉄に
乗れたことが印象に残っている。
そのころ東京ではまだイオカードがでたかぐらいの時期。
パスネットは当然まだで
JR、私鉄、地下鉄、バスみんなバラバラのカード。
この状況は10年近くがすぎた今もたいして改善されていない。
だから、札幌の先進性はすばらしいと思った。
当然カードを購入して使ってみたが
たしか千円で1100円分使えるという
プレミアまでついていたように記憶している。
さて、かほと一緒に札幌駅についてJTBの窓口に行って
早速登別までの切符と登別の宿を手配してもらった。
登別までの切符はS切符4という4枚つづりの割引切符があって、
それが二人旅にいかにもぴったりなのがうれしかった。
そして、宿は全然わからないのでJTB窓口担当さんお勧めの
「第一滝本館」というところにした。
今考えるとふたりで2万円以上は取られたはずと思うけど
そのへんは全然覚えていない。
93:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:27:06 p1Bm+GQv
午後3時くらいの列車を予約して
かほに札幌市内を案内してもらった。
旧道庁の建物や北大植物園などをみてきた。
かほとの写真は沖縄から引き上げたときのドタバタで
ほとんど散逸してしまっていて
雪の残るすてきな旧道庁庁舎の前で
ツーショットで撮った写真は
とっても大切な記念になった。
さて札幌から登別までは室蘭本線の特急を利用することになる。
スーパー北斗という特急に乗るのだが、
お弁当でも食べながらのらくらく電車旅を期待したら
この特急が意外にも満員御礼、
通勤ラッシュ並みの混み具合だったのだ。
緊張や、前日の夜それほど眠れなかったことや、
満員電車に慣れていないことが重なったのか
かほは「少し気分が悪い」と言った。
自分は少しでもかほが楽なようにスペースを確保しようとしたけど
それも混んでいる車内では限界があった。
車内は蒸し暑くて不快だった。
94:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:28:41 p1Bm+GQv
そうこうしているうちに特急は南千歳駅に停車。
ドアが開いてふと見ると
ドアから15メートルほど先のホームに自動販売機があった。
自分はかほに「何か冷たいものでも買ってこようか?」
というとかほはうなずいたので電車を降りてホームに走った。
・・・しかし、しかしだ。
自販機で飲み物をかって、電車に戻ろうと振り向いた刹那
ドアは無情にも閉じてしまったのだ。
あのとき、ドアが閉まるベルが鳴っていたのだろうか?
自分が気がつかなかっただけなのか?
それとも北海道ではそんなものはないのか?
とにかくドアは閉まってしまった。
かほのいるドアのところに駆け寄って走り出す特急に向かい
「次ので行くから登別駅で待っていて!」
と叫んだが果たしてそれは聞こえたのかどうか・・・
携帯のない当時、こうなってしまうと
もう連絡する手段は何もなかった。
南千歳駅は新千歳空港が程近く、
目の前には大きな国道が走っていたが
ホームにはすでに人影はなく
急にさびしい気分になったのをよく覚えている。
気を取りなおして駅員がいて時刻表を調べられる改札に行った。
95:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:44:37 9VJHyAoC
北海道をなめていたことに気がついた。
特急を逃してしまい、次のはと見ると1時間近くも先。
その間上野行きの寝台特急北斗星があって、
これは早くてしかも登別にも止まるのだが
規則でこれにはどうしても乗せるわけにはいかないと
駅員に言われてしまい、ホームで見送る羽目に。
時間がとても長く感じた。
結局次の特急、しかも特急の各駅停車とも言うべき
L特急すずらんに乗って登別に向かった。
かほに遅れること1時間半以上だったと思う。
しかし、連絡もつかないしともあれ行くよりないのだ。
北海道の大地の広さを実感する最初になった。
特急すずらんは古臭い車両で懸命に走っているのだろうが
とにかくまどろっこしく感じた。
かほは待っていてくれるだろうか?
怒ってはいないだろうか?
96:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:45:58 9VJHyAoC
登別駅の木造の駅舎の木でできたベンチに
かほはほつねんと一人座って待っていてくれた。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね」何度も繰り返し
かほはだまってついてきてくれた。
時間が遅くなったので二人でタクシーでホテルに向かった。
登別温泉街に入ると、すでに硫黄のにおいがするようだった。
第一滝本館は予想に反し、立派な大きな温泉ホテルで
20いくつもの種類のお風呂がある
巨大な大浴場が自慢の高級ホテルだった。
温泉は乳白色でとてもやさしいお湯だと記憶している。
かほとわかれお風呂に入って温まってもどってくると
お部屋にはとっても立派なかに御膳が用意されていて
どうやらかほとの仲も険悪にならないですんだみたいだった。
1本だけビールをもらって二人で乾杯した。
かほはお部屋に備え付けの緑色の浴衣を着てくれた。
温泉でほてった顔にとても似合っていると思った。
97:かほとの思い出(その2)
08/08/26 14:46:54 9VJHyAoC
布団に寝っころがりながらテレビをつけると
北海道のローカルの番組やCMはおもしろくて
そんな話をかほといろいろおしゃべりをした。
印象に残っているのはかほが通っていた
丘珠高校のマスコットがたまねぎだったこととか
二人がいた「第一滝本館」がテレビCMをやってるとか
そんなような話。
かほとは一緒の布団で寝て
いろいろ触ったり抱きしめたり、
求めたけど結局かほは応じてくれなかった。
でも前の日泣かれてしまったので
それでもしょうがないかな?って思って
あきらめたように思う。
今の自分ならもう少し強引に求めて
・・・・・そして嫌われてしまうのかな
なんて思ったりする。
正直、惜しかった、と思うときもあるけど
かほとはこれでよかったのかも、と思ったりもする。
かほとの話はまだまだ続きますが今回はこのへんで。。。
自分でもこんなに長くなるとは思わなかったです(笑)
▲ # by shigeshogi | 2005-12-01 16:12
98:かほとの思い出(その3)
08/08/26 14:48:09 9VJHyAoC
かほの物語の最終話になります。
メールで知り合った、北海道札幌に住む20歳の女の子
かほと登別への旅にでる。
ハプニングに見舞われながらも楽しい旅を続けていき
今回はその3日目からお別れまでのお話。
登別の第一滝本館を出発した2人はタクシーで
「登別マリンパークニクス」というところに向かった。
登別といえば熊牧場が有名だが、
かほが「水族館が見たい、イルカが見たい」
と言ったのでこちらに向かったのだと記憶している。
マリンパークニクスはお城の形をした水族館を中心に
イルカやアシカ、アザラシなどの海の動物たちがいる
けっこう素敵なスポットだった。
ショーの時間を確かめ、水族館に向かったが
水槽の中を潜り抜けるエスカレータに乗ったとき
頭をしこたまぶつけたのを覚えている。
おかしい頭がますますおかしくなった。
北の海の水槽と、南の海の水槽があった。
かほに沖縄の魚の話などした。
99:かほとの思い出(その3)
08/08/26 14:49:38 9VJHyAoC
ショーはアシカのショーだったと思う。
アシカがボールを突いたり、勢ぞろいして歩いたり。
かほのご希望イルカのショーも見られたと思うが
ちょっと記憶があやふやだ。
個性的なおみやげ屋さんがいくつかあって
かほがアヒルの帽子をかぶってくれて
その写真を撮ったのだけど、散逸してしまった。
アップで笑顔がとてもかわいいだったのに、残念。
結局熊牧場に寄る時間はなく、駅に向かい特急に乗ることに。
登別駅前の赤鬼の人形の前で写真を撮ったりしながらも
今度は無事に特急スーパー北斗に乗ることができた。
あまり混んでもなく、無事に札幌まで帰ることができた。
札幌ではサッポロファクトリーやテレビ塔を見た。
サッポロファクトリーはサッポロビールの工場跡地を
ショッピングモールにしたところで、
サッポロビールの前身が北海道開拓団麦酒醸造所だったことを知る。
サッポロファクトリーからテレビ塔に向かう途中、
一緒に歩いていたかほがやおら走り出したのは
なんだったのかなあと思ったりする。
100:かほとの思い出(その3)
08/08/26 14:55:21 3AjG+uZk
テレビ塔の上からは碁盤 将棋盤のように整然とした
札幌の街並みが眺められ、かほが
「ここが札幌の真ん中。1の1場所なのよ」と教えてくれた。
札幌の街ができ始めた最初のころの景色はどんなふうだったのだろう?
見てみたいなあなんて思ったりした。
ラーメン屋などが有名なたぬき小路を通り、
大通り公園を通って、時計台に向かった。
時計台は札幌の象徴のような場所だけど、
今は高いビルに囲まれてちょっと窮屈そう。
そのときはまさに改修工事が始まった直後で
回りに足場など組まれて十分に見ることができなかった。
そして、案の定というかハプニングが起こった。
二人でかほのうちまで帰って一息ついたときにドアのチャイムがなった。
・・・・・かほのお母さんが見えたのだった。
101:かほとの思い出(その3)
08/08/26 14:56:22 3AjG+uZk
昨夜かほの部屋を訪れたのに、娘がいなかったので
どうしたのだろうと心配して訪ねてきたのだった。
かほのお母さんの前で正座をさせられて自己紹介させられた。
かほも叱られた。
その日の夜は泊まって行くことができなくなった。
女の子のお母さんの前でしかられたのは、これが最初のような気がする。
かほのうちでごはんを食べて帰ることになった。
お米がまだないというので、近くのスーパーでお米を買ってきた。
北海道特産「きらら397」だった。
それからパックに入ったジンギスカンの肉を買った。
それを焼いて、ご飯とあと味噌汁があっただろうか?
ちょっと質素だけど、おいしいごはんだなあって思った。
そしてかほとのお別れのときがやってきた。
かほの部屋の戸口のところで普通にさよならを言った。
特別に盛り上がらない、静かなお別れだった。
自分はまたきっと会えると信じていたけど、
かほはどう思っていたのだろうか?
102:かほとの思い出(その3)
08/08/26 14:57:25 3AjG+uZk
その日は結局札幌駅前のホテルに泊まり。
翌日は昼間札幌将棋センターで対局をして
(このときに実は後に親友になる人と大きな出会いを
経験しているのだけどこの時点ではそれに気がつくことはなかった)
夕方からニフティの将棋フォーラムの皆さんが開いてくれた
歓迎オフ会に参加させてもらった。
札幌グランドホテルで開かれたその会では
地元代表の高野明富元アマ名人と記念対局をして勝つことができた。
すすきの初体験もした。
結局その日はすすきのに連れて行ってくれた
初めてお会いした人がうちに泊めてくれるということになって
おじゃまさせてもらった。
翌日、麻生の駅から直行リムジンバスで新千歳空港に行き
すてきだった初めての北海道の旅は終わった。
こののち、かほとは一度会うことがあった。
ちょっぴり大人になったかほのお話は
またそのうちに書くかもしれない。
物静かで細くて、やさしかった北国の女の子かほ。
たった2回しか会っていなくても、
何度でも思いだせるすてきな思い出をくれた。
▲ # by shigeshogi | 2005-12-02 14:10
103:FinePix Z2の写真を紹介
08/08/26 15:03:29 3AjG+uZk
シリーズものが一応完結したので今回は少し休憩。
今回は軽めに新しく買った Finepix Z2 で撮った写真を紹介。
新しいのを買ったのでうれしくなって撮りまくってます(笑)
まずはクリスマスイルミネーションを見に行ったときの写真。
モモさんが案内してくれるイルミネーションのスポットをドライブして回った。
URLリンク(pds.exblog.jp)
URLリンク(www2.uploda.org)
ナチュラルモードでの撮影。
ナチュラルモードではフラッシュは使わずに
暗いところの撮影は感度で調整してくれる。
自分は基本的にこのモードで撮っているが、便利だ!
104:FinePix Z2の写真を紹介
08/08/26 15:06:59 3AjG+uZk
次はデザート&ゆうみさん。
本日(すでに前日だが)撮れたてのほやほやだ。
ゆうみさんは以前に書いた元ヤンキーさん(11月17日参照)。
キャラクターは微妙なところもあるが、
顔は好きなタイプで、ちょいぽちゃも大好きなので気になってる。
二人してデザートをいただくときに
デザート撮っておこうといいつつ、カメラになれてもらい
ゆうみさんの写真もGET。流れが大事。
一眼レフなんて構えた日には女の子にわれにかえられてしまうが
この優れたカメラは流れを壊さない。
URLリンク(pds.exblog.jp)
URLリンク(www.uploda.org)
この写真も少し明るさを抑えたちょっと上品なレストランで
フラッシュを使わないで撮ったものとしてはいかがでしょうか?
ナチュラルモードのISO800で撮影されたもの。
あくまで4分の1に縮小された画像なので、
そのつもりでご覧ください。
105:FinePix Z2の写真を紹介
08/08/26 15:09:07 SZeSiNok
今週は水曜は親友(男)と将棋仲間の写真を使ったオリジナルカレンダー作り。
昨日(木曜)はモモさんとクリスマスイルミネーションめぐり。
今日(金曜)はゆうみさんとお食事。
明日は前述(11月17日)のお茶女のなつかさんと映画。
ハリーポッターを見てくる。
毎日仕事も忙しいのによくやるなあ。
止まってしまうと倒れてしまう自転車人間なので、
いつも力尽きるまで行動しているのかも、とも思う。
ひとりでさびしくしているのが嫌なだけなのだ。
心から愛しているくみがそばにいてくれたら
こんな風にさびしさを紛らわせるなくてもいいのに・・・と思ったりもするが、
人のせいにしてはいけない、とも思う。
でも一日に何度となく心の中のくみに呼びかけ、
くみの名前を検索して、今、どこにいるんだろう?
と思う自分がいるのもまた現実で、
救いを求めながら日々さまよっている。
▲ # by shigeshogi | 2005-12-03 00:50 |
106:この日記の正体
08/08/26 15:10:10 SZeSiNok
最近自分にしてはわりとまめに更新しているせいか
このページを読んで下さる方が少し増えたようだ。
今まで女の子に少なくとも1万通を越えるメールを書いてきたが
自分の書く文章は常に読み手のことを意識してのものだった。
相手によって文体はもちろん内容も自然に変わってしまうし
メールでいろいろ書いてもそれは結局会うための手段にすぎなかった。
自分のことを相手に知らせ、
相手のことを教えてほしいと思うのがぼくのメールだった。
いったん会ってしまえば関係が続くにせよ、
終わりになるにせよメールはもうお役御免。
連絡を取るための携帯メールをすることはあっても
メールでのおしゃべりというのはあまりしなくなる。
となると、こんなふうに意味、目的がないとも言える文章を
書き散らしている理由はなんなのかな?と考えてみると
結局のところ、一種の自己顕示欲か、共感を求めているのかな
と思ったりもしないではない。
もしそういった邪な(?)気持ちがまったくない人なら
こんなブログは書かないで
心の中にそっと思いを秘めているんじゃないかなと思ったりもする。
107:この日記の正体
08/08/26 15:11:08 SZeSiNok
実際、他の人のブログを見ると程度の差こそあれ
自己満足風味、自慢風味を感じてしまい
それを超えて読みたいと思わせてくれるものに
出会うことはめったになくて、
きっと自分も同じなんだろうなあと思うときもある。
特に自分が男だからそう思うのかもしれないが、
男のセキララは醜い。
このブログを読んでいる女の人がいるかどうかわからないが
少なくとも共感はできないだろう。
まあ普通は「何言ってんだ、このキチガイ」って思うんじゃないか?
男の人はどう思うのだろう?
もしまっすぐに生きている人が見たら
「女を泣かせてばかりいて、甘えるのもたいがいにしろ」と思うんじゃないか?
自分の力で生きてこなかった駄々っ子が駄々こねて
ママの代わりになってくれる女の子を探してきた記憶と記録が
この日記の正体なんじゃないかなあと思ったりもする。
▲ # by shigeshogi | 2005-12-05 01:22
108:このあいだのウィークエンド
08/08/26 17:18:39 SZeSiNok
仕事の手が20分ほど空いたので軽く近況を。
土曜日はヒルズで映画「ハリーポッターと炎のゴブレット」を見た。
ヒルズにもあるヴァージンTOHOシネマズはお気に入りの映画館で
(いつもは市川コルトンプラザのほうを利用しているのだが)
映画を6本見ると1本無料になるほか
映画の時間数(分数)をシネマイレージとしてカウントして
その時間に応じて景品をくれたりする。
自分はこのマイレージをがんばって集めて、
プレミアシートのペアチケットをいただいて
メールで知り合って初めて知り合った女の子と
ヒルズで「ハウルの動く城」を見たこともある。
がんばった割には会った直後に音信不通になったのだが・・・(笑)
ちなみに以前市川のコルトンで「ホーンテッドマンション」
という映画を見たときの話。
映画が始まる前にまず映画館の注意が入り、ついで広告が入り、
ついで他の映画の予告編が始まるのだが、
「キルビル2」という映画の予告が始まった。
・・・・・と思ったらなかなか終わらない。
109:このあいだのウィークエンド
08/08/26 17:19:42 SZeSiNok
・・・・・って入るべきスクリーンを間違えていたんだよね。
最近流行のシネコンなので、いくつもスクリーンがあるんです。
って「キルビル」もかなりおもしろかったので良かったけど、、、
ま、ハプニングは楽しむ主義なのでいい思い出です。
結局「ホーンテッドマンション」(意外に悪くない映画だった)
も後日見たし。
「ハリーポッター」はまずまずのできだったと思う。
しかし、原作が巻を追うごとに長くなってきてるので
正直ストーリーを追うだけで映画では手一杯になりつつあるような。
原作にあるような脇道の話やちょっとしたエピソードなどもかなり省略。
「ハリーポッター」は原作も映画も全部見てきているが
映画は3から監督が変わって、音楽も変わり、
ちょっとシリアスな作りになって、自分的はちょっと残念。
原作には原作のよさがあり、映画には魔法を視覚的に楽しめる
(クディッチのシーンや、ホグワーツの城の中など)よさがあり
けっこうおもしろいシリーズだと思っている。
特に1と2はかなりまとまっていて映画も原作も
とても楽しませてもらったと思う。
これからもハリーポッターシリーズは続いて行くが
あまりシリアスになりすぎず、学園ものの明るい楽しさも残しつつ
ストーリーがきれいにまとまることを期待している。
110:このあいだのウィークエンド
08/08/26 17:20:43 SZeSiNok
映画はお茶女の女の子とみたのだが
終わったあと物価高のヒルズで一番安いレストラン(たぶん)で食事をして、
(でもとてもおいしいし、よい店だと思うのだけど。。。)
ヒルズの中を散歩して帰った。
彼女からプレゼントをもらったりして、まずまずな進展。
次あたりにはうちに呼びたいところかな。
日曜日はマグロ名人戦という賞品にマグロがもらえる大会があって
ぜひ行きたかったのだが、遠距離と疲労に負けて挫折した。
目覚ましかけずに起きたら早朝11時45分だったのだ(爆)
結局お歳暮のお礼も兼ねて地元の将棋道場に行って
賞金トーナメント戦に参加したのだが、
案の定決勝で弱い相手にやられる。
このところの画竜点睛を欠く症候群は
とどまるところをしらないようだ。
くみを逃して以来、いつもいつもあと一歩が届かない状態が
続いているような気がするのは気のせい?!
結局、準優勝のわずかな賞金を握り締め、
安上がりなハンバーガーを買っておうちに帰ったのでした。
そんなどうってことのないウィークエンドの報告。
20分をオーバーしてしまったので今日はこのへんで・・・
▲ # by shigeshogi | 2005-12-06 16:42