07/12/18 16:55:08 7evSPhGx
>>660
日露戦争に日本が勝利したことにほとんど植民地化されていたアジアの人々は皆狂喜した。
西太后の反動政策により中国の革命派 孫文や変法派(改革派)の梁啓超・康有為は日本に亡命した。
同時代、完全にフランスに植民地化されてしまっていたベトナムから、密出国、密入国 してきたベトナム人 ファン ボイ チャウ
は、梁啓超の思想に傾聴し、彼から大隈重信、犬養毅といった人物を紹介してもらう。
さらに、東遊運動 ドンズー運動 東(日本)に学べ!を主張・展開し、ベトナムから日本へ留学生を多数送り込み日本を独立運動の基地とした。
これを中国の革命運動を支持、支援してきた日本人がファンボイチャウの運動をも支援していた証拠が出てきた。
今後の研究が待たれるところである。
その後日本政府の対応にファンボイチャウは失望したりもするのだが、同時に日本政府はフランス政府から要求されても
グエン朝のクオンデー候の引渡しは拒否している。
なお、ホーチミンは同郷のファンボイチャウから直接の薫陶を受けている。