09/06/08 08:23:49
>>475-476
それは多分、トレッキングポールの使い方ではなくて
登山行為の、基本的な価値観の対立だな。
近代登山は、ヨーロッパの貴族が始めた、自分の限界を試す修行。
その行為は、日本の伝統的な登山目的に近かったから、
ステータスシンボル的な格好良さと相まって、大ブームになったわけだ。
と、俺は歴史を理解している。
近代登山感覚の人は、お散歩感覚の山歩きの人を
生ぬるいと、バカにするかもだし
山歩き派の人は、近代登山家を、古くさいとバカにするかもだ。
しかし、山へはいろんな目的で人が来ている。
遊びで山頂を踏む事や、道中の生きものを観察することが目的の人も
業務で来ている人も、居るんだ。
それに低山の山歩きは決して生ぬるいとは限らない。
俺は目に入る全ての木や植物の名前が分かるようになりつつある。
腐った倒木ですら、樹皮や枝振りで識別出来る場合もある。
同様に、野草、野鳥、昆虫、は虫類、両生類、きのこを
目、耳、触感、時には味覚や嗅覚を使って、全て識別しなければいけない。
ようするに自分の識別能力の限界を試しているわけだ。
近代登山で、自分の限界を試すのとは違う難しさや、奥深さがある世界だ。
俺は山歩き派だが、達観しているから自分と価値観が違うだけで
他人を見下すことはないよ。
だけど、他人がやっていることの奥深さを知らずに、
軽はずみに相手のことを見下すような人は、見下すけどね。