04/10/06 02:41:36 znCov9GT
さて>>334
「単なる好き嫌いを垂れ流したらダメ」だというのは③とは矛盾しません。
プロの評論家なら(褒めるにせよ貶すにせよ)ある程度は客観的な根拠を示すべきだと言っているだけで、その上で新本格を批判するのは当然自由です。
関口の解説が不当だと言われるのは単に誤読したからだけではありません。
まず批判対象の名を伏せた事で、限られた読者にしか反論できないようになっています。
それに仮に本当に綾辻が「違法でないからいいんだ」と言い訳していた(=誤読ではなかった)としても、それは綾辻の人格の問題であって作品の瑕ではありません(作品と人格は別だからね)。
結局、根拠を示さずに「新本格作家はリアリティの無い作品を書く上に、しょうもない言い訳をする連中だ」というイメージだけを垂れ流したことにしかならないのです。
また関口は、この新本格批判を解説文の後ろの方で「これだけは言わせてもらいたい」とわざわざ印象に残る場所にかきながら、「理由は色々あるが長くなるので書かない」という誠意の無いことを言っています(それなら別の場所で書けばいい)。
さらに解説自体が「個人的ファンレター」という言い訳がましいタイトルです。
以上のようなことを総合して、「関口の『斜め屋敷』解説はやり口が卑劣だ」と結論付けました。
そして確証はありませんが確信犯だと思っています(わざとじゃないとしたらあまりにバカ過ぎるので)
そして関口の「根拠を示さない誠意の無さ」の傍証として本業(?)のハードボイルドの解説ですら好き嫌いの印象評しか出来てない事を挙げました(>>331)
これは「一人の人の仕事をまとめてすべてクソと決め付けている」ことに当然なりますよ(>>335)。俺は「個人的にそう思っているから」そう言うのは自由でしょう。
関口のまともな仕事を一つでも読めばこの考えは覆ります。それでも「斜め屋敷」の解説がクソだという考えは覆りませんが。