10/02/12 17:58:25 1shts9FO
>作中で作者は「考えない読者は豚」等という記述をするのだが
>この言葉は「考える読者は優れている」という反意を有する
選民思考を植え付け、煽っているのだろう。
ここは冷ややかな目で見ればよいだろう。
何故なら、キチガイに何を言っても無駄であるからである。
>実際彼ら、信者達は「考えている自分達は優れている」と自称している
これもまた早すぎる一般化の詭弁であるため、この表現は適切ではないだろう。
>ここで信者と呼ばれる人間は「予想などという行為が無数に可能で、無為である」
>という事に気がつかない知能水準の人間であるという事を注目してもらいたい
>知能水準が低い人間は現実社会で低く見られる事が多いのは事実である
>そんな彼らにとって「考えている自分達は優れている」という優越感は魅力的なのであろう
>彼ら、信者達は考えるという無為な行為を行う形で優越感を満たしているのである
残念ながら我々も、この程度の作品を批評している時点で優越感を満たしている可能性があるため、
その中傷は適切ではない。
私だったら、『この程度の作品にしか出会ったことが無いのだろう。可哀想な人達だ。』と言う。
>前記のように、予想は無数にでき永延と続ける事が可能であり、永続性がある
予想を無数に永延と続ける事は可能ではない。
予想ならばそれを抽象化し区分すれば有限で扱えるだろう。
>そして作者は時が来たら、できるだけ予想されていない(その方が神たる作者の優位性が高まる)
>答えを、神託を告げるのである
その通り。この可能性を残しているのは作者の過失である。
解を絶対に変えない保障を示すべきだろう。
>信者達は自分達がしてきた、考えるという行為の正当性をそこに見いだし、それを崇める
>(勿論、無数の答えの中の一つには正当性などないのだが、彼らは気がつかない)
健全な論証であれば帰納的論証であろうと正当性はある。これは事実である。
そうでなければ、我々の科学はここまで進めなかったであろう。