10/02/12 17:27:39 HeBl3+Sk
>>356
うみねこ信者の考察
「うみねこのなく頃に」という作品を擁護し続ける信者と呼ばれる人間について考えてみたい
この信者と呼ばれる人種はなぜ、あそこまで盲目的に賞賛をする事ができるのだろう?
そこにこの作品の持つ構造的な特異性があるのではないだろうか?
まずこの作品は推理を主題として掲げてはいるが実際に(論理的な)推理をする事は不可能である
しかし彼らは「予想と同じ意味での推理は可能」と詭弁のような反論をする
予想と同じ意味での推理などいくらでも可能であり、通常その行為は無為なものである
けれども彼らはその無為な予想をし続けるのである
作中で作者は「考えない読者は豚」等という記述をするのだが
この言葉は「考える読者は優れている」という反意を有する
実際彼ら、信者達は「考えている自分達は優れている」と自称している
ここで信者と呼ばれる人間は「予想などという行為が無数に可能で、無為である」
という事に気がつかない知能水準の人間であるという事を注目してもらいたい
知能水準が低い人間は現実社会で低く見られる事が多いのは事実である
そんな彼らにとって「考えている自分達は優れている」という優越感は魅力的なのであろう
彼ら、信者達は考えるという無為な行為を行う形で優越感を満たしているのである
前記のように、予想は無数にでき永延と続ける事が可能であり、永続性がある
そして作者は時が来たら、できるだけ予想されていない(その方が神たる作者の優位性が高まる)
答えを、神託を告げるのである
信者達は自分達がしてきた、考えるという行為の正当性をそこに見いだし、それを崇める
(勿論、無数の答えの中の一つには正当性などないのだが、彼らは気がつかない)
このような経緯を持って信者と呼ばれる人間(実際には考えているつもりの豚だが)が作られるのである