10/02/10 22:16:57 yrPE0GAa
※キャッチコピーの問題がなんで引っかかるかというと、以前指摘された通り、私の好きな「ゲーム」というジャンルは、
すべからく読者=プレイヤーに挑戦する形式で。謎解き・推理を要求するキャッチコピーに対して、勝手に本格の
様式を想像される、さらにそれを否定しても勝手に解釈される風土があるとすると、うみねこだけでなく、他の全ての
謎解きゲームが、自由にキャッチコピーを使えなくなってしまうんじゃないか、と懸念するのもある
>>327
>「この問題が解けるか?」と聞かれて
>「正解でなくでも自分なりの解でよい」と考えられる人間はなかなかいない
>というと「私が望むのは~」を持ち出してくるんだろうけど
>それこそまさに「あなたは正解を見つけられるだろうか?」的な煽りであるだろう
というか、煽られた、と思う前に、もう少し文章を文章通りに読んで良いんじゃないか?竜騎士は基本的に、
テキストにわかりづらい形であっても、ヒントを埋め込む作家なわけで。ひぐらしの「陰謀か。偶然か。それとも祟りか」も、
煽りだけではなく、真実を含んだ道標、思考のヒントであったと思うのだけれど。
>一般に「正解」とは一つであるのだからここでの「推理」は「一意の解を目指す思考運動」であるはず
>「一意の解でなくてもいいから可能性を並べる」では「正解」には至れない
かなりトリッキーな解釈に見えるけど(それは「正解に至る推理」の解釈で、「推理」自体の意味は変化しない)、
その解釈でも、「私が求めるのは~ではない」は「一意の解を目指す思考運動」を否定する文脈
(=推理はご自由に。ただ、そういう”推理”は求めていない)に、なっていると思うよ。
>まさに新本格の代表格で叙述トリックも使う館シリーズの人は
>自作について「がちがちの本格」とは自分では思っていない、というようなことをいっている
具体例が>>329から色々出ていてそれ自体は面白いのだけど(>>341のメル欄も読んだ)、そもそも叙述トリックが
「読者に対してトリックを仕掛ける」という趣向である以上、普通のミステリ作品よりも、作者と読者の駆け引きが
良く行われる「本格」というジャンルでこそ、新しい叙述トリックが生まれて、それがフェアであるかの問題に
ぶつかりやすいのでは、と思った。