10/02/10 05:16:10 7K9d2HYw
>>320
>君は何を言っているんだ。金蔵は”生きてる”し、遺言書などありゃしないよ。
>遺言の話が議論にのぼるのは、常に”金蔵が死んだ時”の想定にかかってくる話だ。
だからその想定で何らかの議論を行う際
>なぜならそこに「愛人」がいないのだし、遺言書にそれが明記されているわけでもないのだから
>「愛人がいるかもしれないから遺産の取り分が変わるかもしれない」ってのはただの空論に過ぎない
といってるわけで、要するに「悪魔の証明」とは関係のない話だということだ
>作品内では、愛人が「居た」と主張するものが居る以上、それに対して反論しようとしても、
>反論が悪魔の証明になってしまう、居ないことを否定できない、という問題が主に取り上げられてるんじゃないかね。
それは立証責任にかかわる問題であって、要するに「悪魔の証明」とは関係のない話だということだ
「悪魔の証明」=「否定命題の論証不能性」と誤解してるとこういう局面でも使っちゃうんだけどねw
>作品内では基本的に、悪魔の証明をやれ、と言ってるんじゃなくて、相手の反論に対し、それが悪魔の証明に当たる、
>という使われ方をしてると思うんだが。
その使い方がおかしいわけだよ。上記のごとく
でそういったへんな使い方を前提にして(すなわち作品独自の定義づけの上で)
→>“悪魔の証明”がある限り、私たちも探偵も、常に未発見の証拠Xを否定できません。
という珍文が生まれるわけだ
>>321
>そうすると、人間の勝利、敗北は示されていて、魔女の勝利と敗北条件は示されていない、と。
「魔女と人間の戦い」ならば「人間の勝利=魔女の敗北」なのではないだろうか、ふつー
ドローがあるのかも知らんがw
>・「キャッチコピー自体に問題があるかないか」というのと
>・「キャッチコピーから本格ミステリと間違えた人が、どこで気づくか」
>というのはまったく別の問題。
前者の話をしていたのにまったく別の問題を持ち出した、とw