10/02/09 19:05:47 nZDzxy0l
>>304
>それは定義でなくて悪魔の証明の用法だけれども、
いや用法じゃないよw 悪魔の証明、という言葉に独自の意味を与えてるわけだからさ
>論点が議論の中で明確でないときの方が、
>悪魔の証明という言葉が使われることが多い。
逆だな。論点が明確でないと、なにが悪魔の証明に当たるか、がいえないからな
>愛人がもし居たとしたら、自分たちに入ってくる遺産の取り分が変わるわけだから「それは悪魔の証明だ。そうだね」
>といって無視出来るはずがない(だから、親族会議でも問題になるわけで)。
どうも君も悪魔の証明って言葉をよく理解してないようだ・・・w
「愛人がいないことの証明」はたしかに悪魔の証明だが
それと遺産の取り分の話は関係ない
なぜならそこに「愛人」がいないのだし、遺言書にそれが明記されているわけでもないのだから
「愛人がいるかもしれないから遺産の取り分が変わるかもしれない」ってのはただの空論に過ぎない
>もっと極端なのは、19人目が島にいるか、その人物が犯人に当たるかどうかで、これは自分がどこで殺されるかどうか、
>という問題に関わってくるわけだから、「そうだね。悪魔の証明だね。だから考えるのを止めよう」となるはずが無い。
考えるのは止めていいんだよw
未知の敵にたいする自衛策を講じるのに未知の敵の存在を証明する必要はない
悪魔の証明とは基本的に「議論における禁則」にかかわる言葉だ
>魔女への勝利条件はいくつか考えられる(どういう可能性も含まれる)けど、解決に至る情報を
>全て与えないシステムである以上、客観的な基準を構築出来ないなら、相手を”負かして”勝利するには
>事前に合意を得ようが得まいが、対戦相手を納得させた形での勝利しかあり得ない、ということも示唆されない?
されないw
「維持できるか?」という課題への「正答」は「維持できた事実」で十分