10/04/04 07:08:48 BCrgk+8/
>>589
> 本自体の造りには不満があるのだが、現時点における大乱歩作品の
> 普及版は光文社文庫を推すしかない状態だ。
小谷野敦『谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』(中央公論新社)のP.12~P.13より。
どんなに偉大な作家でも、他と区別する必要がない場合は、一般に「大」をつけたりはしない。
大芭蕉、大馬琴、大漱石、大?外などとは言わないのである。
「大トルストイ」というのも、アレクセイ・トルストイという別の作家がいたからだ。
そして谷崎が大谷崎と呼ばれるようになったのは、弟の精二も作家だったからである。
精二は早稲田の教授になり、英文学者として、ポオの全集翻訳で評価を固めたが、
戦後すぐの頃まで、現役の小説家だった。
だから、昭和戦前、まだ潤一郎が「文豪」の評価をほしいままにする前から、
精二との区別のために「大谷崎」と言われたと考えるべきなのである。
(中略)
アレクサンドル・デュマ父子を「大デュマ」「小デュマ」、
ピット父子を「大ピット」「小ピット」と呼ぶように、
潤一郎を大谷崎、精二を小谷崎と呼んだのであって、
だから本来は「だい谷崎」だったのだが、その起源が忘れられ、
偉大な作家だから大谷崎だと思われるようになったのである。