08/05/24 18:16:29 pTj8E8l0
>>154
お返事ありがとうございます。すこし長文になりますが…
>「好きだ」と言ったら、誰も「自ら趣味趣向(嗜好)の多様さを拒絶する」なんて言わないでしょう。
>「嫌いだ」と言うと、なんで「自ら趣味趣向(嗜好)の多様さを拒絶する」ことになるの。
たしかにおっしゃるとおりなんですが、藤岡氏の文章を読むと
「「好きだ」と言うことが「趣味趣向(嗜好)の多様さを拒絶する」こと」だと藤岡氏が主張しているように、私には読めてしまうのですよ
「国民的歌手」「あらゆる世代に支持された」とかいう文章を
「全体主義」「ファンじゃなきゃ人に非ず状態」だといっているのですから。
しかし俺には「耳障りだと思わない人間が存在すること自体が不思議である。」という文章も
「全体主義」「アンチじゃなきゃ人に非ず」と読めてしまう。
「国民的歌手」という言葉が全体主義的で「ファンじゃなきゃ人に非ず」という意味合いを持つのは、
「国民ならばすべての人が、彼を愛している筈だ」というニュアンスを持っているからだと思うのですが
しかし、「~~と思わない人間が存在すること自体が不思議である。」という言葉にも、
「普通の感性を持つ人間ならば、すべての人が彼を~~だと思うはずだ」という意味合いを含んでいるようにも見える。
だから、「国民的歌手」という言葉が全体主義だと非難されるなら
「~~と思わない人間が存在すること自体が不思議」という言葉もまた全体主義だと非難すべきではないかと俺には思えたのです。
ただ、確かに「~~だと思わない人間が存在すること自体が不思議である。」は
ただ単に「桑田が嫌い」程度の意味しか指さないのであって、他の人の趣味を否定しているわけでもなんでもないし
「国民的歌手」という言葉が持つような「ファンじゃなきゃ人に非ず」という意味合いを持っていない
ということもいえるかもしれません。これについてはよく考えてみたいと思います。
もし、上から目線で物を言っているように聞こえ、お気を悪くされたなら申し訳なく思います。