10/01/31 13:46:47 r8YzfEs1
デリダの脱構築というのがあってな。
そこからイェール学派と言われる文学研究者たちが出た。
簡単に言うと、話は話し手の意図通りには伝わらないということなんだが、
それまで了解されていた作品の意味を解体して、新たな意味を見いだす、
脱構築的なテクスト解釈ということを行った。
彼らによって文学は作者の意図を推察する学問から、
作品自体が何を意味するかを解釈する学問へと変貌した。
この立場に立てば、「この作品は斯く斯く然々と意味する!!」というのは勝手なんだが、
それが他人の共感を得られるかは全く別の話。
解釈にきちんとした根拠があり、その解釈を用いて作品全体を見直すときに新たな意味が
発見できることが最低条件となる。
さて、886によると、ななせは傷しか残っていないと言うことだが、
それもまた人格の成長過程で欠かせない糧となる事を見落としていないか?
嫌なことから目を背けるばかりではいけないのだというのは、心葉も言っているが、伝わらなかったか?