10/06/24 08:00:57
【 此れが真言宗僧侶の有り様なのか? 】
一部の僧侶ではないかと、思いたいのだが、、、、、
葬儀の引導において、導師の引導か的確に行われていないように私は思う。
弘法大師は衆生救済の誓願を立て、南無大師遍照金剛という言葉を残された。
この南無大師遍照金剛を唱える事で、霊界において弘法大師がその人のもとにおもむき救済
しようというものなのだが。
修行と縁の無い衆生が、自分たちと同じ波動の霊界のステージに居られる弘法大師に救済を
求める事は心が通じやすく、それ自体問題とは思わぬが、しかし仏との仲立ちをするはずの
僧侶が、葬式に於いても、供養に於いても霊界の弘法大師に丸投げしていると思う。
それは、真言宗でありながら、引導供養に関わる真言を唱えていない導師 僧侶が目に付く
からである。
仏と衆生霊との仲立ちが出来る法力を得るには、途方も無い修行が必要だが、それがなされず、
安易に弘法大師に丸投げしているとしか思えないのだ。
途方も無い辛い修行でも、その方法は弘法大師が残されており、実行すれば出来るようになる。
医者で云えば、基礎的な勉強をして社会に出て、メスを持った事も無い医者が、堂々と手術す
るようなもの、僧侶は霊的なこと故、一部の衆生にしかその効果は分からないのだ。
それをよい事にして、とまでは云わないが、供養の空売りをしているように思う。
一般の方々が其れを見抜くには
葬儀、供養の時に 大日如来や不動明王
といった供養に関わる仏様の真言を、その僧侶が唱えているか否で判断できる。