10/06/21 21:42:57
今夜の一言
今日の護摩法会は、11時より大日如来護摩法会、午後2時より愛染明王護摩法会だった。
愛染明王の次第は、敬愛護摩次第が本来のようだが、私の寺では息災で修している。
何故なら、霊的障害で参詣される方が多いので、息災若しくは調伏なのが現実だ。
午前の護摩が、金剛界大日如来の息災護摩なので、午後は今後調伏護摩で修したいと考えている。
基本的には、部主段の仏様が変わるのだが、センジキャソワカからアビシャロキャウンハッタに
変わる事は、皆さん承知の事と思う。
私の寺では、病気などの体や対人関係円満と、対霊的防衛とを、午前と午後に配分するのが、
基本的考えなのだ。
2座を修する事で、参詣者(本州各地からも添え祈願護摩木が送られてくる)の要求を叶える方針は、
檀信徒に喜ばれ、支持されている。
愛染明王といえば、以前色々教わったが、その中でも心に残る事例があった。
”そなた、目の移植をしてもらった者が、以後どうなっているか知っているか”
という話かけを戴いた。
その内容は、提供した者の霊が成仏していなくて、移植され人に憑依し、霊障で大変なめにあっている。
霊的対策がキチントなされて居なければ、移植後の問題は解決できないということだ。
手術などで、ミスの話を多く聞くが、そのほとんどが技術不足ではなく、患者の憑依霊による障害と
思われるのだ。
私の寺の檀信徒は、手術前に、手術スタッフや手術室の浄化の為の添え護摩を書き、手術の息災を
祈るのだ。
信仰は、イワシの頭も、、、、というようなものではなく、具体的な考えを持って行われなければならない。