10/05/19 07:44:25
ランボー法師、今日の解説 仏、調伏、念、生霊、死霊、霊視、法力
調伏
調伏は仏が関ってなされるもの、仏が動かなければ、どの様な高度な次第にのっとり修されようが、
その結果生じるものは、修行者の念の力に他ならない。
念の力によってはじきだされたエネルギーは生霊と呼ばれる。
生霊が発生するのは、主に恨みを深く持った時であり、呪いと呼ばれるエネルギーに他ならない。
すなわち、仏が動かない修法は呪いに他ならないのである。
その呪いのエネルギーから身を守るには、心の鏡を用いて来た所に返せばいいだけのことで、
造作の無いことである。
しかしながら、その方法は此処では披露する事を避けることにする、企業秘密だから。
もっとも、くだらないアンチが居ないのであれば、乞われたならば喜んで披露する。
一般的に生霊が始末悪いのは、生霊を作る保菌者が生きてるかぎり何度でも発生し、それらの
生霊はそれぞれの霊格で生き続けるから、霊界は不浄に染まるのだ。
文化が進み、より多くの財を求め、我が強くなった今日、どの国に於いても霊界は汚れてきている。
また、死霊も効果のある引導供養がなされないため、不成仏霊が膨大に増えてきている。
生霊も死霊も共に我が強い霊体となってきている為に、霊界のストレスが我々生きている人間にも
大きな影響を与えている。
そのため、常識では計り知れない犯罪が起き、心理学者がその犯罪者を観察しようとすると、
ストレスを与えていた霊体は離れてしまい、元の精神状態の本人に戻ってしまう。
たまには居ついている霊体もいて、それら霊体が入れ替わる事があり、医者は二重人格とか
多重人格とか表現しているようだが、解決の手段は見出せない。
なぜなら、この分野は僧侶の力量に依存せねばならないからだ。
しかし今の僧侶の力量は、ほとんどがそれら霊的現象を解決できる能力を持ち合わせていない。
それだけではなく、自分の家族すら霊的障害に見舞われていることすら感じ取っていない。
修行を重ねなくては、念のちから以外は付かず、仏が動いてくれない事に気が付いていないからだ。
世の中の不条理が起きる一端は霊体を成仏させる事が出来ない僧侶がほとんどだからと思う。