10/05/18 07:05:36
烏枢沙摩明王護摩法会の本尊段では、当然の事ながら背の腕が感じ取れたり、正面を向きながら左右
を見ることが出来る感覚をうる事が出来るのである。
余談だが、大型の自動二輪で不動明王とタンデムでドライブを楽しんだ事があった。
普段重力が影響しない世界におられるので、蛇のように曲がりくねった道をドライブする事で、横G
を味わっていただけないかと考えたのだった。
車重300kgバイクの乗り心地にとても喜んでいただいたのを今でも鮮烈に思い出す。
護摩が短期的即効的な入我我入であるのに対して、じっくりとその境地に入ってゆくのが虚空蔵菩薩
求聞持法である。
護摩と共に必要な修業のようだ。
この修法は東密の力量を向上させるのに大きな役割を果たしたと思う。
もし空海師が求聞持法に遭遇していなかったら、歴史は大きく変っていただろう。
仏に遭遇し入我我入し仏の悟りに近づく事が出来る唯一の宗教である密教の開花が日本でおこなわれ
ないから、絵に描いたぼた餅的仏教に塗り固められていたのではないだろうか。
密教僧でありながら、絵に描いたぼた餅の部分の教学を学ぶだけで満足し、体解大道を単なる四文字
熟語で終わらせている、霊界を感じ取る事を避けるだけでなく、オカルトと称し、修業の道をあゆも
うとしないのは愚かとしか思えないのである。
空海師の宗派を引き継ぎながら、その指導者達は空海師が生涯6回もされた虚空蔵菩薩求聞持法を修
していないのはどういうことなのか?
それはさておき今日は、大日如来と薬師如来の護摩を修する、神秘の境地を味わえる日なのだ。