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今朝の一言 寺子屋 東密 VS 台密 虚空蔵菩薩求聞持法
虚空蔵菩薩求聞持法は、弘法大師空海の一生を決定し密教が完成した大きな要因だったのです。
この法の修法とは、中国密教の善無畏訳の経典を根拠とし、虚空蔵菩薩の真言 ノウボウ アキャシャギャラバヤ オンアリ キャマリボリ ソワカ を毎回一万遍唱えることが組み入れられたお参りを百座五十日でするのです。
一回真言を唱えるのに一秒長くかかったとしたら、一日に二万遍唱えるので二万秒すなわち五時
間半多くかかるわけで、しかも五十日の間五穀を断ち、私の場合は蕎麦がきも断って精進し、
集中が続くわけである。
五十日で百万遍の真言を唱えるということは、想像を絶する状態が行者を襲うことが容易に想像がつくことでしょう。
ゆえに死に至った行者も数多くいたのでしょう。
そして、この究極の密教の修行は、諸願を満足せしめ、仏陀の教えの神髄を体得することができるとあります。
この基礎の修業があって空海師は東密の大きな花を開かせる事が出来たのでしょう。
唐の青龍寺の恵果和尚が修行僧の中から迷わず空海師を見出したのは、その時身につけていた
空海師の法力のオーラを見たためか感じ取った為で、もし空海師に法力が無かったなら今の真言宗も無かったであろう。
空海師のオーラを見て法力を有している事が分り、それがその理由であったに他ならない。
伝法の基準は「法力」にあると言いたいらしい。
同じ文章の恵果和尚自身の付法に至る経過の記事でも「法力」「霊験」が強調されているところからも、まず間違いない。
空海師に霊験があったこと、説明するまでもない。
すると恵果和尚は、一目で空海師の法力を感じ取ったというのだろうか。どうもそういうことになりそうである。
この辺の事情は、凡夫には理解の外である。何にせよ、空海師自身に法力を認めていたのは疑いないようだ。