10/05/14 06:07:26
今朝の一言 寺子屋 東密 VS 台密
これからお話しすることは、あくまでも私の感性で捉えた、一般的に言われている事とは場合により
大きくズレている事があるとは思いますが、それは読者の方の経験などを通して咀嚼して
取り入れるようお願いします。
平安時代に最澄師が日本の天台宗を開いたのは周知の事実ですが、この流れが良くも
悪くも日本の歴史に大きく影響を及ぼした事には間違いの無い事実と思います。
最澄師より7歳年下の空海師は讃岐の今で言う知事のような家柄の子として生まれ、
15歳で上京し大学の明経科に入学したが仏門に帰し、一沙門から「虚空蔵求聞持法」を聞き、
たのがきっかけで、官吏の道から離れて放浪の僧として四国の霊地で修行した。
804年最澄師らと共に入唐し青竜寺の恵果和尚から密教の奥義を伝授された。
最澄師は、道邃らに学び翌年帰国後、唐で学んだ円(天台の教理)・密・禅・戒律の四つを統一し
日本天台宗を開き、国家の宗教として公認されたのである。
最澄師は法華経を教義とし、全ての人は悟れるという天台法華一乗を展開し、その後の鎌倉新
仏教の開祖たちにも大きな影響を与えた。
この事は後世の宗教の有り様を考えた時に、大きな誤りであったように私は思う。
最澄師の密教は空海師の密教とは大きくかけ離れたものであり、密教に入り口に過ぎないと思う。
空海師は帰国後に高雄山寺に住し、816年高野山に金剛峯寺を開き、次いで823年に京都の東寺
を与えられて真言密教を広めりに至った。
空海師は大日如来の言葉すなわち真言を直接きき、身(体)・口(言葉)・意(心)のすべにおいて仏と
一体化することで、現世における成仏(即身成仏)が可能となると説いた。
この即身成仏の考え方が現在の2chの密教僧と私との理解の仕方がことなり、数年来の
アンチとの抗争へと発展して言ったのである。
それは、自分が学んだ高野山真言宗をはじめ、他派真言宗の僧侶との抗争へと進展して行ったのである。