10/05/11 08:14:06
寺子屋 ランボー法師 如何なる学問も、現象の理由付けにすぎない。
空海師 三
成仏―仏と同じ境涯に達すること―を真に遂げられるのは密教のみである、ということになる。前半と同じ内容をマンダラシンボリズムを通して見ている訳である。
法身の説法の様子、盧遮那仏が陀羅尼を述べたこと、そして法身が常に説法していることである。
この三つが則ち密教の基盤であることは、第一点は仏=内証智の実在と密教的世界観の証拠に外ならず、第二点は密教の行法の根拠を、第三点は即身成仏の必要条件が満たされている証明を示していることからも分る。
第一点が否定されれば密教の教理はすべて崩れ去るし、第二点が承認されねば密教の内容をなす特色ある行法は全く意味を失い、密教は単なる形而上学に終わってしまう。
加えて成仏への道も失うことになる訳だから、そうなっては最早仏教ですらない。
第三点について見れば、法身が常在し、真理が常に表出され感得可能な状態になっていなければ、「仏」からの「加持」はそうそう期待出来ない訳であり、従って「即身」―いつでもどこでも可能、という訳には参らぬことになる。
「即身成仏」が密教に於てどれ程重要か、今更述べるまでもあるまい。この三点、どれ程強調してもしすぎるということはないのである。
寺子屋 ランボー法師 如何なる学問も、現象の理由付けにすぎない。