10/04/19 23:14:43
さらにわしの推理を言えば、竜ノ口で日蓮は、処刑の寸前まで行ったが、幕府はそもそも、日蓮を
処刑するつもりはなかったのではないか?
ちょっと、煽動的なカルト坊主に、お灸を据える意味で、首の座に座らせたのではないか?
幕府は、何だかんだ言って、最終的には日蓮の布教を認めたのである。
日蓮に対し、さほど冷たい感情を持っていたわけではあるまい。
日蓮がカルトの方向に行かぬよう、さまざまな配慮をしたように思える。
日蓮側の主張だけを読めば、鎌倉幕府は魔に魅了されている事になるが、客観的に見れば、
鎌倉幕府は、日蓮に対し、大人の配慮を見せていたように感じられる。
鎌倉幕府は、どの宗教を認め、どの宗教を認めないという態度ではなかった。
民衆が求めるものならば、どの宗教でも認めよう、という態度だったのである。
いわゆる、現代と同じ、「信教の自由」の立場だった。
だからこそ、日蓮の、「他宗を廃すべし」の主張には、賛成できなかったのだ。
同様に、阿弥陀一仏主義で、他の思想を認めない法然もまた、鎌倉幕府によって、流罪されて
いる。
これは、創価学会員はあまり聞かされていない事実である。
法然や、法然の弟子は流罪になっている。
法然の弟子で、処刑に遭った者もいる。
法然の一派も、激しく幕府に対処されているのだ。
日蓮は、弾圧を受けている事が、自分が正法を実践している証拠だと言うが、それならば法然
はどうなるのか?
法然も、日蓮も、自分の宗派しか認めぬ「カルト」的傾向があったから弾圧されたのである。