10/03/08 01:00:27
>>97
仏教ってほとんど原理主義的な発想がなくて、時代や世相や思想の流行、
伝わった先の文化などに合わせて変化していってるから、それはそれでいい
って感じじゃないかな。
元々お釈迦様が生きてた時代の宗教とか文化には、偶像を作って崇拝する
っていう発想そのものがなかったようだから。
そもそも今の大半の仏像っていうのはお釈迦様ご自身の像というよりももっと
概念的な存在を具現化したモノが多い。
形而上のものを形而下に持って来てわかりやすくする一手段とでもいうか。
土着信仰とも混ざってるしね。
戒律はどうでもいいんじゃなくて、悟りを開くための方法論だから、悟りを開き
たいのなら戒律を守れって言うだろうね。そうじゃないんならあまり難しいこと
は言わないだろう。ちなみに戒律はうっかり破ってしまった場合、反省したらOK。
別にそれで損するの自分なだけだし。
それを悪用して何度も意図的に破って遊んでると破門されたりするけど。
仏像を拝んだり真言を唱えたり、ってのも、いわば後世にアップデートされた
悟りを開くための方法論の一つだったりする。つまりより早くスムーズに深い
瞑想状態に入ったり精神を落ち着けたりするための手段とかね。
だから「それがその文化で悟りに近づく、あるいは在家なら心が安らぐ、有効な
方法なんだったら」お釈迦様も特に反対はしないんじゃないかな?