09/10/28 07:38:16
朝の一言
信仰は心から入るもの。
形式にこだわっていては、どのような修法をしても、それは演劇でしかない。
荒野での教育は、心の教育をキチンとなされてから、形式を教えるべきではないだろうか。
昔は、心が出来ているものが荒野に修行しに来ていたのだが、幼児期からの躾が全くと
云っていいほどなされておらず、各本山は僧侶になるための教育の有り様の再検討を
しなくてはならない時期に来ているように思う。
不適切な者まで、加行を受けさせ、末寺を継がせる事は、かえって密教の衰退に繋がる
事をよく考えねばならないと思う。
本山での教育の有り様の弊害が、昨夜も僧侶らしからぬ書き込みをしており、お〆やぞね親父、
また一部の宗教学校で学んだ実践の無い者、某国の厚生省の医者みたいなのが、現実を知らずに、
間違った方向に世論を誘導するのは、憂いられるだけでなく、今後の密教に大きな暗い影を落とす
要因となるようだ。
衆生のニーズを考えた僧侶の育成教育が、本山においてなされてこなかったつけが廻ってき始め
ている事に、本山関係者は気が付き、トップをはじめ関係者僧侶一人一人が、本来持つべき密教の
力を、衆生の要望に応え使えるよう、精進しなくてはならない。