10/01/01 00:25:07
本門佛立宗 良風寺
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951:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 07:18:38
というか、あけおめ
952:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 09:29:31
2010新年
霊験あらたかな、故にお罰被るに、お任せした心算であろうが、
「来世に作仏するを得ん」、が目的だから乗り越えねば為らぬ難関であった。
素人にでも、分かる。
当事者が当時その瞬間、試験の手応えのようにハッキリ落第を感じたはずだ。
本庁側は流石、極悪は壺を外さずの鉄則を遵守?の迅速さだ。本山が預かる
鑑札?(寺営権)を盾にして、遁走した事をあげつらい非協力を迫った。
その上で結束の間を与えぬ手段に、金を撒き右翼(朝○人)を駆る。人知れず消されかねない恐怖を体験してみたいか?。凶暴で執拗な攻撃の繰り返しで孤立に囲い込みの、手際のよさは、孔明も肯くかと思う程お見事、これで勝負が決。
堕落に染まらぬ本流の松影寺を、組織に背く異端児に仕立てて追い出した事が、功を奏して、檄文の内容も無視し得ると錯覚させたんだよな。
953:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 10:59:01
というか、大変だねぇ
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954:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 11:00:27
おやまー!大変
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955:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 13:51:54
尤も断を決した者は、召された如く逝った。・・・・
残された2・3番には最早ドウでもいいことで、躊躇う事無く遺産の座を心太式に収める。その上騒ぐ信者を懸命に宥め賺した。盆暗なのか、へナマズルイのか。←(検索)
自分らは金言を護るどころか、摘み取られる自分を欺いた。
ひとたび打ち壊したものを、幾ら立て直しても、形骸化したものしか残らないのが、歴史の語るところでは無いだろうか。一堂会しての懺悔がないと、元に戻らんし無理だろし。
宗本庁は形骸化した事を、他宗合同法要強行、既成事実を重ねる事で、宣言を画策か?
真実教の顔は重過ぎて出来ない。気付かれぬように、看板掛け替えを図る心算か・・・
956:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 15:28:52
>>955
いっつも、奥歯に物が挟まったようなわかりにくい文章ですね。
古代日本語じゃなくて、現代日本語で文章を書き込んでほしい。
ようするに、いま宥○寺で住職やってる人のこと言いたいの?
それとも、いま宥○寺で住職やってるひとが悪い人の一味だっ
てこと言いたいわけ?
わかりにくい書き込みは、読む人に不親切で、結局書き込んだ
人間の言いたいことは読む側には意味不明で理解できないから、
それは単なる書き込んだ人間のオ○ニーにすぎず、書き込んだ
人間の言いたいことを正確に伝えない。だから、それは本来伝
達したい内容が読み手側に伝わらないから、やめた方がいいと
思う。それがいやなら、もっとわかりやすい書き込みをするべ
きじゃないかな?
957:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 22:03:52
合同法要がどうのこうのというけれどぉ・・・
宥清寺の正月はご宝蔵の開帳があるんだが
仏像本尊を拝んでたことは確かだし
日扇上人も読経してたことも確かな事実
それを適当な言い逃れしてきたことはどうするんだ?
958:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 22:26:38
過去を穿り出したら収拾が付かなくなるに決まっている。
開導聖人といえども試行錯誤状態だったんだからw
教講一体という言葉自体、実態は空洞化している。
宗門が存続するためには未来志向で行くしかないのである。
959:名無しさん@京都板じゃないよ
10/01/01 22:43:03
正月のご宝蔵の開帳、あれは旧宥清寺のご宝前でしょ。なんで、今の宥清寺のご宝前の内陣とは違うの?
また、法華経読誦については妙講一座ご制定前とご制定後の記録を見て、ご制定後も妙講一座にあるお経
文以外の読誦をされていたかどうかがポイントだと思うよ。
もう少し、開導聖人の改良前と改良後の足跡を勉強したほうがいいんじゃないかな?
ちなみに法華経の方便品と寿量品は日蓮系の宗派ではどこも必修科目。特に寿量品の
「じがげ」などは日蓮宗、法華宗系統の宗派だったら獅子吼会も含めて、一般の信者
でも読めるのが普通。
それを開導聖人がご存じなかったはずがない。にも関わらず、この重要な、お祖師様
も門祖聖人も必ず読みなさいよ。と仰せの経文を佛立宗の唯一の勤行式である妙講一
座から排除して、口唱専一に改められたところに佛立宗の佛立宗たる由縁、他宗と一
線を課した違いがある。
ただし、それは佛立宗では、お経を敢えて読まないのであって、今のバカ教務のよう
に勉強しないから読めない。また勉強して覚えようとの気もない坊主とは違うことは
言うまでもないが。
佛立講時代の教務さんは、全員当時の本門法華宗の僧侶も兼ねていたので、法華経の
八品要品くらいは誰でも読めたし、読んでいた。今の教務はただ単に忙しいを言い訳
にして、手抜きして読めないだけ。だから、日蓮宗系でも法華宗系でもまともに相手
してもらえない。そして、お導師と呼ばれることとよその宗派では権大僧正でもの、
本山クラスの貫首、住職、宗派の管長、それらの役職の経験者以外は恥ずかしくて使
用しない「日号」を権僧正になった途端に名刺に印刷して喜んでいる。お経一つまとも
に読めない坊主がいくら緋の衣を着て日号を名乗ったところで、相手にされるどころか
バカにされていることも分からないバカ教務があふれているのが今の佛立宗の坊主の姿。
まあ、最近は一等講師や二等講師程度の沙弥が住職になると自分をお導師と呼ばせて、
いい気になっているようだが、自分たちが他宗派の僧侶からどのくらいバカにされてい
るのか、もう少し認識する必要があるだろう。ねえ、お導師ー (ぷっ)