09/12/31 12:58:52
「来世に作仏するを得ん」、が目的だから乗り越えねば為らぬ難関であった。素人でも分かる。
当事者が当時その瞬間、試験の手応えのようにハッキリ落第を感じたはずだ。
関東西、共にヤケクソ様な行いが目に付くのは、その証明か
講有まで戴いた現証利益の乗泉寺が、「恫喝に遁走」この一報でそれ迄の御威光が一瞬で色褪せ、たんだよね。
輝くばかりに刻まれた乗泉寺史への畏敬の念がその分、逆比例の衝撃波に変わった。
それでもまだ一般には訳知らず、関係者も仰天のさなか対応に迷っていた。
本庁側は流石、極悪は壺を外さずの鉄則を遵守?の迅速さだ。追い込まれた水谷師が出す協力要請より早く、
本山が預かる鑑札?(寺営権)を盾にして、遁走した事をあげつらい非協力を強要した。
その上で結束の間を与えぬ手段に、金を撒き右翼(朝○人)を駆る。人知れず消されかねない恐怖を経験してみる?。凶暴で執拗な攻撃の繰り返しで孤立に囲い込みの、手際のよさは、孔明も肯くかと思う程お見事、これで勝負ついたんだよね。
松影寺の檄文に即対応できた事が、水谷師の孤立追い込みを容易にした。堕落に染まらぬ本流を、組織に背く異端児に仕立てて追い出した事が、一般的には檄文の内容も無視し得ると錯覚させたんだよな。