09/12/06 03:14:03
>>563 講有解任によって当宗の正当性が失われたことにご意見は無いようなので、
この点は認めていただいたとして、
>他宗との合同法要を認めるという理論的根拠は?
講有解任までは当宗の正当性は保たれていましたので、
離脱した諸宗派は本流ではありませんでした。
解任以後は離脱宗派と同じ立場になってしまいました。
この法要は宥清寺固有のことですが、
先師の大恩報謝だけなら、日蓮系全てで合同法要ができます。
離脱したことを反省させる根拠を持たずして何ができましょう。
この様にふわふわと主流でなくなったことを証明するからです。
一方ご信者は、教えを忠実に守り、導師たる御住職に師事の誠を尽くし
随伴参詣に、広宣流布の志し厚くなさっていることでしょう。
この御信者のご奉公は期待できます。
>信心からはずれた僧侶とはどんな行動をしている者を指すのですか。
因果の道理をわきまえない僧侶のことです。
先日ご子息の僧侶が自殺なさった僧侶は、裁判中宥清寺に於いて、
解任側の指導的立場で説明していたものです。
(信者の批判を受けながら)
妻子ある僧侶は、青年会の女子と結婚しました。
彼は解任側の立場で立ち振る舞いました。
私は講有解任が間違っていたと言う反省を
僧侶から聞いたことがありません。
講有解任を正当視する僧侶も含まれます。
もはや正当性を求めるのは、僧侶の独壇場ではありません。
求めるのは、正しい御信心に与えられる、正当性の証明です。
宥清寺を守らずして、解決の糸口はありません。
開宗者の門流こぞって、
正しさの証明を見つけ出しましょう。