総 持 寺 (第五巻)at KYOTO
総 持 寺 (第五巻) - 暇つぶし2ch627:名無しさん@京都板じゃないよ
09/12/26 00:27:38
>>607
真宗は親鸞の血脈を受け継ぐもの(本願寺派・大谷派)と親鸞の面授の弟子つまり
法脈を受け継ぐもの(高田派・佛光寺派・木辺派など)の間で分派。

臨済宗は中国でまず黄竜慧南を祖とする黄竜派と楊岐方会を祖とする楊岐派に分かれ
建仁寺の栄西は黄龍派に属しその他13派は楊岐派に属する。

>>606
永平寺は道元禅師のあと2世孤雲懐奘、3世徹通義介が継ぐが三代相論という内部対立が
起こり開祖道元の遺風を遵守する保守派と民衆教化を重視した改革派の間で論争が起こる。
3世義介は改革派に属するが論争に敗れ永平寺から下山、加賀大乗寺移り義介を慕う弟子たち
もそちらに移り道元の法系は永平寺と加賀大乗寺に分かれる。
義介なきあと永平寺の住職には4世義演が継ぐ。
論争による寺内の疲弊は甚だしく、また義演が開基波多野氏の信頼を得られなかったこともあって
寺勢は急速に衰え永平寺は一時期無住状態に陥る。
一方加賀大乗寺に移った義介の弟子の中には瑩山紹瑾がおり義介入寂後彼が大乗寺二世となる。
瑩山は師僧義介の遺志を受け継ぎ民衆教化に奔走することになるが、道元以来の出家主義に加えて
密教的な加持祈祷、祭礼などを取り入れ禅修業人口を増やしていった。
能登の総持寺(現在の総持寺祖院)を開山したのがこの瑩山紹瑾でありここを拠点にさらに禅人口を
増やしていった。
よって永平寺開山高祖道元と総持寺開山太祖瑩山は両輪に喩えられどちらを欠いても曹洞宗は成り
立たないといわれている。


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