09/07/06 06:19:45
朝の一言 真実の霊界を認めたくない愚かな者たち
僧侶であるが故に、本当の事を伝えずして、霊界と衆生の間を取り持つ事が出来るのか。
現在の霊界の有り様を知ったなら、衆生は僧侶もどきに愛想をつかし、宗教離れ、寺離れ
するか、本当の僧侶を探そうとするでしょう。
檀家や信者に心地よい言葉を発し、成仏出来ていないのに成仏していますとか、豪華な
寺で集客する。
私のところには、それらの擬似仏教から目覚めた人達がほとんどで、仏教界の縮図と
思われる状態だ。
それらの人々は、寺と言う建物が衆生を救うのではなく、究極の修行を重ねた僧侶しか
自分達を救ってはくれない、救うことは出来ないと悟っているのだ。
先祖代々と言って呼ぶと、300年位前までの霊が多いのだが、5~700年前の霊も
少なくない。
供養を受けていないと、供物を供えても手にする事が出来ず、長い間葛藤が続いている。
御理供膳など供物に法をかけ、霊に提供すると、呼ばれてきた霊にそれらの供物が
行き渡る。
一組の供物があれば、法をかけることによって、金太郎飴の如く、同じ供物が霊の皆さん
に届くのである。
まるで万華鏡を見る如くに。
いつも起きる印象深かったのは、髪はバサバサ、髭ぼうぼう、着物ボロボロの霊が、
御理供膳のご飯をわし掴みにして、右手は箸を握り(箸を通常のかたちで使うのではなく
棒切れを握り締めるようにして)ご飯を口中にかけ入れる。
よほどご飯を食べたかったのでしょう。
その姿が見えたなら、供物を下ろして食べようなどとは思わないでしょう。
わたしの言う事を否定する者は、夕陽の美しさを見たらと言っても、目を開けず見ようとしない
者に説明するようなもの、心の眼を閉じたままでは、見えるものも見えず、密教を語るなど
遠く及ばない事を、認識しなくてはならないのだが。
しかし、心の眼を開けようとしない愚か者は、短い人生を終え、霊界に行った時に、自分も
同じような運命になるのを知っているのか、知らないのか、全ては自分の行動の結果。