09/05/20 01:10:29
>>483
法然上人の消息(手紙)の『正如坊へつかはす御返事』は後白河天皇の
第三皇女である式子内親王宛てであるという研究があり、定説になっている。
(「正如坊」は、式子内親王の法号「承如法」が変化したものという説。だったと思う。)
式子内親王は鎌倉時代の代表的な歌人であり、忍ぶ恋の歌がお得意なため、
その相手が誰かという疑問が昔からあり、藤原定家説が一般的。
それに対し国文学者石丸晶子が著書『式子内親王伝』で、
法然上人説を唱えたというのが、その話。
ちなみに石丸晶子は、法然上人の消息集の現代語訳を行ったりもしている。
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