10/03/03 16:52:20
>>540
寛永寺は官寺、幕府鎮護の薬師如来。それも比叡山の写し。
それに比べて、浅草寺は民寺の観音様。しかし開山は古い。全く性格が違う。尊格も違う。
それに前にも書いたが、江戸期は天台の中心が叡山から上野に持ってこられていたんだから、
本も末もなかろう。
それに、浅草寺差配に輪王寺宮別当代がいたという事実は、末であろうが、事実。
それを「兼帯」というかどうかは別として。
あと、三社権現は、たしかに「郷社」。
江戸十社とは性格が違う。浅草寺との特殊な由緒あってこその権現社。
民の寺の仏をみつけた、普通の村人を権現としたもの。
記紀神話や皇統とは縁のないお社。当然社格は低い。
しかし、社格と地域に親しまれている総鎮守であるのとは、相関がない。
お祭りも、船渡御の古式から、今の滅茶苦茶迄断絶は大きいが、電通、マスコミのあおりは
少しづつ影響を落とし、三社権現と浅草寺の縁、祭りの古式の一端としての「堂上げ」
(去年、今年は、工事の影響で御神体を神輿ではなく唐櫃にお納めして)がなされている。
わたしも、今の浅草神社のありよう(社殿より高い社務所新築)とか、お祭りのありようには疑問を持つが、
人々の努力でからくも戦災を逃れた社殿は将軍家の造営、
戦災で焼失した本堂付近からは奈良期の寺の遺構、
・・・とくれば、電通が全部捏造したのではなく、やはり、江戸東京随一の古社寺であるという事実は
厳然と残る。庶民の信仰の大寺として「江戸名所図絵」その他、ものの本に書かれていないものはない。
「何者」が、「何のために」くさしたいのかわからんが
(ひょっとしたら、という推測はいくつかあるが、敢えて書かない)
無意味なことはしなさんな。
観音様もあきれておられることであろう。