09/10/19 02:31:04
うろ覚えの修正。
>>437
> 明治時代
明治30年当時の貫主の説法に拠り、明治31年からのようです。
> 王の枕を蹴飛ばしたか踏んだか、失念
跨いだようです。
> 王は童子を憐れみ、菊葉に経文を書いたお守りを授けた。
ここ、完全に勘違い。
「王は、観音経の経文を授け、
童子は、忘れないように菊の葉にそれを写して携行した。
その葉に落ちた雫が渓谷の清流に落ち、妙薬となった」
重陽の菊酒=菊の節供。
中国では「登高」という小高いところに登る行楽をし、
我が国では奈良朝頃から宮中で観菊の宴が催された、とのこと。