09/10/19 02:19:43
>>432
>>433
>>434
たしか、菊供養会は、明治時代に重陽にちなんで創始された供養会のはず。
(旧暦の重陽にやっていたのを、戦後は十月十八日に変更)
「菊慈童の故事※」にちなむ重陽の菊酒と同じ由来。
※中国の古代、王宮の禁忌(王の枕を蹴飛ばしたか踏んだか、失念)を犯した為、
追放の身となった近侍の童子がいた。
王は童子を憐れみ、菊葉に経文を書いたお守りを授けた。
深山に放逐された童子は、経文の書かれた菊葉に落ちた雫、
その雫の落ちた渓谷の清水を呑み、長寿を保った。
その菊葉上の雫が落ちた渓谷の清水は妙薬となっていた、
という故事(養老の滝の伝説ににてますね)。
ちなみに、金龍の舞は、戦災復興の本堂落慶を寿いで、寺の伝承から創作。
浅草寺の山号でもある「金龍」示現の縁起によるもの。
(ちなみに、龍は観音様の眷属の一)