08/11/15 08:45:45
URLリンク(www.j-theravada.net)
上記は、テーラワーダ仏教協会HPのQ&Aコーナーです。
この中で、テーラワーダ仏教では食事前に何か唱えるのかという質問があります。
長老の答えの中に、日本のような「お食事祭り」はやらないとあります。
つまり、食べ物に対して「いただきます」と言う必要はないという意味。
別の本で長老は、食べものを用意してくれた
親とか店の人に感謝すればいいとは書いてましたが。
つまり、日本の僧侶がよく言うような、
他の生きものの命をいただくのだから食べ物に対して感謝していただきますと言う、
みたいな考えには否定的なんですね。
食べ物は自分の命を支える材料であり、呼吸も命を支える材料だけど、
いちいち呼吸に感謝しませんと言われてます。
たしかにそうですね。
109:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 09:48:17
スリランカの在家は慣習で言わないって話だろ
そういう文化はないと
>テーラワーダでは自由に何か唱えても構いません
いただきますもお百姓さんや作ってくれた人に感謝だったり
食い物に対してなら命を奪って食わねばならん懺悔の意味もあったりすんじゃね
110:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/15 10:06:50
>>109
生き物を殺して食べることへの懺悔の「いただきます」も、
日本の文化的な慣習なわけで、
日本の僧侶があたかも
仏教の説教みたいに言うのはおかしいわけですよね。
無難な道徳話だから説教ネタに使ってる僧侶が
けっこういるんじゃないかと思いまして。
111:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 20:21:24
いただきますのはじまりは全然違うんだけど?
仏教的な意味はまったくなしなんですがね
明治になって「つるかめの齢をねがうなら、つるつるのむな、よくぞかめかめ」とかいろいろあって
その中の「いただきます」がのこっただけなんだが・・・
「いただきます」は明治からの習慣なので
112:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/16 11:28:49
作者は何に対して「いただきます」と言ったのか
113:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/06 13:25:16
8.釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨[うら]みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢[たくはつ]しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」
「世尊よ、また他の町へ移ります。」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。
アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう。」
114:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/21 05:20:01
真実に現前の道理なり
115:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/21 10:29:34
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
生きとし生けるものの
悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものの
願いごとがかなえられますように。
生きとし生けるものに
さとりの光が現れますように。
116:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/27 12:41:23
真理は事情に同情しない
中村天風ええこというわ
願望実現に自己暗示使うのは仏教的には違うと思うけど
URLリンク(www16.ocn.ne.jp)
117:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 09:04:44
願望があるということは不満(苦)があるということですからね。
118:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 12:15:46
欲望つーか向上心は必要だな
119:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 12:59:25
>>118 自分の向上心をみつめてみると、
結局は「慢」(自分と他人を比較してしまうプライドの煩悩)が根底にある。
まぁ、「慢」は阿羅漢果にならないと消えない煩悩だから、
とりあえずは仕方ないと思っています。
120:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 13:45:11
そりゃあ競争心があればな
同じ存在なんぞありえねえし他人と違いがあって差が出るのは仕方がない
一流アスリートのように自分の能力を高めるのに集中するってこと
121:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/07 13:19:28
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だといわれる
122:鎌田醤油 ◆xH8pjI9WaE
09/01/18 05:56:08
けちゃっぷさんこんにちは。
坊主のスレ追い出されちゃいました。
123:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 10:10:44
あはは。仕方ないですね。
先日、エホバの証人の勧誘の人に会いました。
宗教の勧誘の人とお話するのが大好きです。
124:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/18 12:31:46
どんな話すんの?w
125:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 22:28:45
まずは相手の話を聞きます。
で、疑問点を質問します。
126:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/26 13:09:35
例えば、最近の戦争を正当化するために、我々に要らない情報、間違った情報をバンバン流す。
私たちはそれに乗って、ああそうか、ああそうか、それは大変だ。と頭で考えてやはり戦争はするべきだと。
戦争に賛成している場合は、直接手を下していなくても、殺人の罪に汚染されています。
賛成していない場合は大丈夫ですが。
ですから、例えば、大変な悪人がいる、残酷に人を殺している、人を騙しているなどの話を我々は聞く。
その人が逮捕され、処刑されて、ああよかった、よかったと思うと、人が殺されたことを喜んでいる。
例え、合法的に殺されても殺生は殺生だから、その罪がこちらに入ります。
自分には全く関係ないのに。ただ、音を聴いただけなのに、何て悪いやつだと思うと罪が入ります。
URLリンク(www.geocities.jp)
127:名無しさん@京都板じゃないよ
09/02/23 14:45:25
ゲシュタルト崩壊URLリンク(d.hatena.ne.jp)
128:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/02/23 17:51:08
子供の頃にたまに、見慣れた家族に対して
「あれ、この人達が僕の家族だったっけ?」みたいな感覚になることがありました。
見慣れた顔なのに、見慣れていないような感じになる。
これもゲシュタルト崩壊?