08/11/03 20:51:38
>>91
結集の議題にのぼった記録さえもないのはおかしい。
93:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/03 20:52:41
議題見たことあんの?
94:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/04 03:43:14
>>92
議題にのぼらなかったんでしょ。阿羅漢には不要だから。
実際に浄土三部経を読めば、今生で阿羅漢を目指す人には意味がないのは、明らかでしょ?
95:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/04 12:22:43
>>94
そのわりには、阿難尊者や目蓮尊者等がお経を聞いて喜んだって書かれてます。
また、お釈迦様も念仏を重要な教えだと説いたと書かれています。
それが本当なら、結集で出てこないはずがないし、
長老達が念仏の教えを軽視するはずがない。
96:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/04 21:00:03
>>95
喜んだときは、まだ阿羅漢じゃなかったんじゃないですか?
確か、阿難尊者が阿羅漢になったのは、結集の前の日でしたよね。
97:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/04 23:52:46
たしかに、アーナンダ尊者はまだ阿羅漢じゃなかったけど、
たとえば阿弥陀経だと、1250人の阿羅漢である比丘達も聞いてて、
聞き終わったあとにみんな歓喜したって書かれています。
98:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 01:30:40
>>97
そもそも結集のは、阿難尊者が経を読誦して、それを
残りの阿羅漢が承認するというシステムではなかったでしょうか?
阿難尊者がまず、読誦しなければ議題に挙がらないということですね。
1250人の阿羅漢が歓喜していたとしても、議題に挙がらねば、
承認できません。
99:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 01:39:18
>>98
× そもそも結集のは
○ そもそも結集とは
100:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 11:06:59
URLリンク(www.j-theravada.net)
>論理的に言えば、解脱するための修行の量も皆同じです
修行すればみんな悟れるって大乗っぽいね
101:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/05 12:51:37
もっと早く悟る道はないか、
てっとり早く簡単な道はないかと探してしまうのは、
怠けの煩悩があるからですね。
修行は、やればやるほど、やったらやっただけ、前に進む。
それなのに、あっちの道はどうだろうかとか立ち止まってきょろきょろしてしまい、
前進することを後回しにしてしまう。
怠けの煩悩があるから、悟りに向かって前に進むのが嫌なんですね。
近道を探して立ち止まるより、
今の道を一歩一歩確実に進むほうが、本当は無駄がない。
102:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 23:38:49
上座仏教のお坊さんは厳しい戒律を守っている・・・
釈迦の時代そのままの教えを守っているからだ・・・
で、上座のお坊さん達は煙草を吸う
釈迦の時代には煙草がなかったから議題にも上らなかったんだろうね・・・
だから戒律を破ったわけではない、ということなんだろうね
でも、煙草って嗜好品だよね
103:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/06 01:54:44
>>102 おっしゃるとおり。
欲とは何かという本質を問われているわけで、
戒律はそのための方法でありコツなんですよね。
細かい点にまでアドバイスしてくれる指導者は、親切な指導者。
お釈迦様は、たくさんの戒律を作って、
細かいマニュアルを示してくれたわけで、
親切な先生だと思います。
104:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/06 02:06:54
煙草でも食べ物でも、「おいしい」という裏には「もっと欲しい」という欲がある。
「もっと欲しい」という欲は、「まだ足りない」という不満、
つまり仏教で言う苦がある。
苦(不満)がなくなって満足したら、
「もっと欲しい」から「もうけっこうです」になる。
「もうけっこうです」となったら、もう、おいしいくなくなる。
「まだ足りない」という苦(不満)には、体からの不満と心からの不満がある。
体は空腹じゃないのに、心に不満があり、
それを満たすために食べる人がいる。
心を慰めるために、体に必要ない食べ物を食べるから、
体は悲鳴を上げてしまう。
心の不満が消えれば、体に必要ない物を摂取しなくていい。
心の不満を消すためには、
妄想を停めること、気付きを入れることが役に立つ。
その方法が、「ありのままに観る(ヴィパッサナー)」。
105:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/10 12:42:41
URLリンク(vayo.at.infoseek.co.jp)
106:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/13 11:38:45
キリスト教では永遠の生命を欲求するから永遠の生命を得るだろう
生命存在の本質は苦だとして永遠の苦
仏教の正しい修行ならばいつか解脱できる
107:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/14 20:00:15
>仏教の正しい修行ならばいつか解脱できる
激しく同意。
個人的には、そこに大乗・小乗の区別はない、区別して優劣を言い立てるのは解脱から遠ざかる行ないだと思う。
何故なら、世の中には様々な人がいるので、そのタイプに応じた解脱の方法が各宗派になったんだと思うから。
108:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/15 08:45:45
URLリンク(www.j-theravada.net)
上記は、テーラワーダ仏教協会HPのQ&Aコーナーです。
この中で、テーラワーダ仏教では食事前に何か唱えるのかという質問があります。
長老の答えの中に、日本のような「お食事祭り」はやらないとあります。
つまり、食べ物に対して「いただきます」と言う必要はないという意味。
別の本で長老は、食べものを用意してくれた
親とか店の人に感謝すればいいとは書いてましたが。
つまり、日本の僧侶がよく言うような、
他の生きものの命をいただくのだから食べ物に対して感謝していただきますと言う、
みたいな考えには否定的なんですね。
食べ物は自分の命を支える材料であり、呼吸も命を支える材料だけど、
いちいち呼吸に感謝しませんと言われてます。
たしかにそうですね。
109:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 09:48:17
スリランカの在家は慣習で言わないって話だろ
そういう文化はないと
>テーラワーダでは自由に何か唱えても構いません
いただきますもお百姓さんや作ってくれた人に感謝だったり
食い物に対してなら命を奪って食わねばならん懺悔の意味もあったりすんじゃね
110:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/15 10:06:50
>>109
生き物を殺して食べることへの懺悔の「いただきます」も、
日本の文化的な慣習なわけで、
日本の僧侶があたかも
仏教の説教みたいに言うのはおかしいわけですよね。
無難な道徳話だから説教ネタに使ってる僧侶が
けっこういるんじゃないかと思いまして。
111:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 20:21:24
いただきますのはじまりは全然違うんだけど?
仏教的な意味はまったくなしなんですがね
明治になって「つるかめの齢をねがうなら、つるつるのむな、よくぞかめかめ」とかいろいろあって
その中の「いただきます」がのこっただけなんだが・・・
「いただきます」は明治からの習慣なので
112:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/16 11:28:49
作者は何に対して「いただきます」と言ったのか
113:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/06 13:25:16
8.釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨[うら]みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢[たくはつ]しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」
「世尊よ、また他の町へ移ります。」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。
アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう。」
114:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/21 05:20:01
真実に現前の道理なり
115:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/21 10:29:34
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
生きとし生けるものの
悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものの
願いごとがかなえられますように。
生きとし生けるものに
さとりの光が現れますように。
116:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/27 12:41:23
真理は事情に同情しない
中村天風ええこというわ
願望実現に自己暗示使うのは仏教的には違うと思うけど
URLリンク(www16.ocn.ne.jp)
117:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 09:04:44
願望があるということは不満(苦)があるということですからね。
118:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 12:15:46
欲望つーか向上心は必要だな
119:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 12:59:25
>>118 自分の向上心をみつめてみると、
結局は「慢」(自分と他人を比較してしまうプライドの煩悩)が根底にある。
まぁ、「慢」は阿羅漢果にならないと消えない煩悩だから、
とりあえずは仕方ないと思っています。
120:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 13:45:11
そりゃあ競争心があればな
同じ存在なんぞありえねえし他人と違いがあって差が出るのは仕方がない
一流アスリートのように自分の能力を高めるのに集中するってこと
121:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/07 13:19:28
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だといわれる
122:鎌田醤油 ◆xH8pjI9WaE
09/01/18 05:56:08
けちゃっぷさんこんにちは。
坊主のスレ追い出されちゃいました。
123:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 10:10:44
あはは。仕方ないですね。
先日、エホバの証人の勧誘の人に会いました。
宗教の勧誘の人とお話するのが大好きです。
124:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/18 12:31:46
どんな話すんの?w
125:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 22:28:45
まずは相手の話を聞きます。
で、疑問点を質問します。
126:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/26 13:09:35
例えば、最近の戦争を正当化するために、我々に要らない情報、間違った情報をバンバン流す。
私たちはそれに乗って、ああそうか、ああそうか、それは大変だ。と頭で考えてやはり戦争はするべきだと。
戦争に賛成している場合は、直接手を下していなくても、殺人の罪に汚染されています。
賛成していない場合は大丈夫ですが。
ですから、例えば、大変な悪人がいる、残酷に人を殺している、人を騙しているなどの話を我々は聞く。
その人が逮捕され、処刑されて、ああよかった、よかったと思うと、人が殺されたことを喜んでいる。
例え、合法的に殺されても殺生は殺生だから、その罪がこちらに入ります。
自分には全く関係ないのに。ただ、音を聴いただけなのに、何て悪いやつだと思うと罪が入ります。
URLリンク(www.geocities.jp)
127:名無しさん@京都板じゃないよ
09/02/23 14:45:25
ゲシュタルト崩壊URLリンク(d.hatena.ne.jp)
128:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/02/23 17:51:08
子供の頃にたまに、見慣れた家族に対して
「あれ、この人達が僕の家族だったっけ?」みたいな感覚になることがありました。
見慣れた顔なのに、見慣れていないような感じになる。
これもゲシュタルト崩壊?