08/11/01 05:42:36
>>90
> 結集において、お釈迦様が削除してもいいと言っていたにもかかわらず、
> 戒律の項目は削除されなかった。
そりゃあ信念を守ったという美談かもしれませんが、
いわば、新規参入者に対する参入障壁の維持ですよ?
しかも釈迦自身が許可しているのに、
「範囲が曖昧だ」と言って蹴ってしまったんですから、おかしいでしょ。
> 浄土三部経がその当時にあったとしたら、
> 上記のような阿羅漢達が、浄土三部経を結集の議題に上げなかったり、
> お経として残さなかったりは、しないはずです。
> お釈迦様の教えを当時のままに変えないように努めた。
> やはり、第一結集の当時には浄土三部経が存在しなかったと考えるのが自然では?
そもそも異論があったから結集をしたんですよね?
「釈尊が無くなったからもう戒は守らなく良い」っていうのが
挙がってますが、そんなあからさまな、いかにも「却下してください」と、
いわんがばかりの異論が例に出てることのほうに作為を感じますね。
集まった500人の阿羅漢が重要だと考える経が支持され、
他の信者が重要だと考えるものは異論として弾かれててもおかしくないと思います。
> その数百年後に、ゾロアスター教の影響などで
> 新たに創作されたのではないでしょうか。
宗教ではなにかしら似る部分があってもしかたないでしょう。
浄土宗と日蓮宗は、教義は水と油ほどに違うと思いますが、
短い言葉を繰り返し唱える点ではそっくりです。
もし設立当時の経緯が曖昧なまま、何百年かたてば、
どちらかが、どちらかから分離したに違いないと、思われるでしょう。