08/10/31 08:08:19
>>78 判断と言っても、長老達が伝えているお経に
含まれていない教えを見抜くだけでしょう。
多聞第一のアーナンダ尊者も含めた結集のときにお経だと認定された教えがあり、
あとから、その最初に認定されたお経にない教えがでてきた場合に、
仏説だとは思えない。
83:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/10/31 08:28:08
アーナンダ尊者などの弟子達が出席した会議(第一回結集)で、
浄土三部経が却下されるのはおかしいです。
たとえば阿弥陀経には、アーナンダ尊者やサーリプッタ尊者がその説法を聞いていたと書かれてある。
それが本当なら、結集の会議で却下されるはずがない。
もし、アーナンダさん達が聞いていたというのが嘘で、
結集に出席しなかった無名の弟子だけが聞いてた教えならば、
アーナンダさん達が聞いていたという説明は嘘になる。
いきなり嘘から始まるお経を、信じられますか?
84:名無しさん@京都板じゃないよ
08/10/31 09:34:08
なんにしても実践しない宗教家の話なんぞ聞くミミもたんぞな
日課念仏をちょろっとしたぐらい、そこらの信者なみの念仏では話にならんぞな
85:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/10/31 12:34:49
阿羅漢というのは、お釈迦様と同じ最高の悟りを得た方々です。
阿羅漢達が仏説ではないと判断したということは、
悟りには必要ない教え、あるいは、
むしろ悟りに邪魔になる教えかもしれません。
86:名無しさん@京都板じゃないよ
08/10/31 23:13:29
>>83
> アーナンダ尊者などの弟子達が出席した会議(第一回結集)で、
> 浄土三部経が却下されるのはおかしいです。
勝手に却下されたことにしないで下さい。
アーナンダ尊者にとって、阿弥陀は「仏陀の純粋な教え」ではなかったのでしょう。
そのため、アーナンダ尊者は議題に出さなかったのでしょう。
>>85
> 阿羅漢達が仏説ではないと判断したということは、
第一結集の記録に「阿弥陀が仏説か検討し却下した」という記述がありますか?
第一結集の阿羅漢達は阿弥陀が仏説ではないと判断などしていません。
『「仏陀の純粋な教えはこういうものである」ということをまとめあげた』だけです。
87:名無しさん@京都板じゃないよ
08/10/31 23:16:02
>>85
> 阿羅漢というのは、お釈迦様と同じ最高の悟りを得た方々です。
「お釈迦様と同じ最高の悟りを得た」ということが
「お釈迦様と同じ最高の判断力を得た」というわけではありません。
釈迦は「小々戒は廃してよい」と遺言しましたが、
第一結集の阿羅漢達は「何が小々戒であるか」意見が纏まらなかったのです。
「お釈迦様と同じ最高の悟りを得た方々」であっても判断力は異なるという明白な証拠です。
>>85
> 悟りには必要ない教え、あるいは、
> むしろ悟りに邪魔になる教えかもしれません。
今生で阿羅漢になることを目指している人、
または、既に阿羅漢になってしまった人には、
全く必要ない教えであることは、明白ですね。
既に悟りを開いていた500人の阿羅漢には、全く無意味な教えであり、
残す価値も感じなかったでしょうね。
88:名無しさん@京都板じゃないよ
08/10/31 23:17:29
>>82
第一結集の500人の阿羅漢の価値観を最も色濃く伝えているのは、
現代の上座部の長老達でしょうが、その長老達が、
浄土三部経が仏説ではないと判断するのであれば、
第一結集の阿羅漢が浄土三部経を「仏陀の純粋な教え」と
判断したとしても、致し方ない話です。
89:名無しさん@京都板じゃないよ
08/10/31 23:32:16
>>88
間違えました。
> 第一結集の阿羅漢が浄土三部経を「仏陀の純粋な教え」と
> 判断したとしても、致し方ない話です。
第一結集の阿羅漢が浄土三部経を「仏陀の純粋な教え」と
判断しなっかったとしても、致し方ない話です。
でした。
90:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/01 00:46:54
>>89
結集において、お釈迦様が削除してもいいと言っていたにもかかわらず、
戒律の項目は削除されなかった。
そんな阿羅漢達ですよ。
お釈迦様の教えを当時のままに変えないように努めた。
浄土三部経がその当時にあったとしたら、
上記のような阿羅漢達が、浄土三部経を結集の議題に上げなかったり、
お経として残さなかったりは、しないはずです。
やはり、第一結集の当時には浄土三部経が存在しなかったと考えるのが自然では?
浄土三部経の内容が本当なら、
浄土の教えを後世に伝えるのはお釈迦様の言いつけです。
お釈迦様から重要だと言われてた教えなら、
結集でないがしろにされるはずがない。
結集当時には浄土三部経はなくて、
その数百年後に、ゾロアスター教の影響などで
新たに創作されたのではないでしょうか。
91:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/01 05:42:36
>>90
> 結集において、お釈迦様が削除してもいいと言っていたにもかかわらず、
> 戒律の項目は削除されなかった。
そりゃあ信念を守ったという美談かもしれませんが、
いわば、新規参入者に対する参入障壁の維持ですよ?
しかも釈迦自身が許可しているのに、
「範囲が曖昧だ」と言って蹴ってしまったんですから、おかしいでしょ。
> 浄土三部経がその当時にあったとしたら、
> 上記のような阿羅漢達が、浄土三部経を結集の議題に上げなかったり、
> お経として残さなかったりは、しないはずです。
> お釈迦様の教えを当時のままに変えないように努めた。
> やはり、第一結集の当時には浄土三部経が存在しなかったと考えるのが自然では?
そもそも異論があったから結集をしたんですよね?
「釈尊が無くなったからもう戒は守らなく良い」っていうのが
挙がってますが、そんなあからさまな、いかにも「却下してください」と、
いわんがばかりの異論が例に出てることのほうに作為を感じますね。
集まった500人の阿羅漢が重要だと考える経が支持され、
他の信者が重要だと考えるものは異論として弾かれててもおかしくないと思います。
> その数百年後に、ゾロアスター教の影響などで
> 新たに創作されたのではないでしょうか。
宗教ではなにかしら似る部分があってもしかたないでしょう。
浄土宗と日蓮宗は、教義は水と油ほどに違うと思いますが、
短い言葉を繰り返し唱える点ではそっくりです。
もし設立当時の経緯が曖昧なまま、何百年かたてば、
どちらかが、どちらかから分離したに違いないと、思われるでしょう。
92:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/03 20:51:38
>>91
結集の議題にのぼった記録さえもないのはおかしい。
93:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/03 20:52:41
議題見たことあんの?
94:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/04 03:43:14
>>92
議題にのぼらなかったんでしょ。阿羅漢には不要だから。
実際に浄土三部経を読めば、今生で阿羅漢を目指す人には意味がないのは、明らかでしょ?
95:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/04 12:22:43
>>94
そのわりには、阿難尊者や目蓮尊者等がお経を聞いて喜んだって書かれてます。
また、お釈迦様も念仏を重要な教えだと説いたと書かれています。
それが本当なら、結集で出てこないはずがないし、
長老達が念仏の教えを軽視するはずがない。
96:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/04 21:00:03
>>95
喜んだときは、まだ阿羅漢じゃなかったんじゃないですか?
確か、阿難尊者が阿羅漢になったのは、結集の前の日でしたよね。
97:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/04 23:52:46
たしかに、アーナンダ尊者はまだ阿羅漢じゃなかったけど、
たとえば阿弥陀経だと、1250人の阿羅漢である比丘達も聞いてて、
聞き終わったあとにみんな歓喜したって書かれています。
98:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 01:30:40
>>97
そもそも結集のは、阿難尊者が経を読誦して、それを
残りの阿羅漢が承認するというシステムではなかったでしょうか?
阿難尊者がまず、読誦しなければ議題に挙がらないということですね。
1250人の阿羅漢が歓喜していたとしても、議題に挙がらねば、
承認できません。
99:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 01:39:18
>>98
× そもそも結集のは
○ そもそも結集とは
100:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 11:06:59
URLリンク(www.j-theravada.net)
>論理的に言えば、解脱するための修行の量も皆同じです
修行すればみんな悟れるって大乗っぽいね
101:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/05 12:51:37
もっと早く悟る道はないか、
てっとり早く簡単な道はないかと探してしまうのは、
怠けの煩悩があるからですね。
修行は、やればやるほど、やったらやっただけ、前に進む。
それなのに、あっちの道はどうだろうかとか立ち止まってきょろきょろしてしまい、
前進することを後回しにしてしまう。
怠けの煩悩があるから、悟りに向かって前に進むのが嫌なんですね。
近道を探して立ち止まるより、
今の道を一歩一歩確実に進むほうが、本当は無駄がない。
102:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/05 23:38:49
上座仏教のお坊さんは厳しい戒律を守っている・・・
釈迦の時代そのままの教えを守っているからだ・・・
で、上座のお坊さん達は煙草を吸う
釈迦の時代には煙草がなかったから議題にも上らなかったんだろうね・・・
だから戒律を破ったわけではない、ということなんだろうね
でも、煙草って嗜好品だよね
103:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/06 01:54:44
>>102 おっしゃるとおり。
欲とは何かという本質を問われているわけで、
戒律はそのための方法でありコツなんですよね。
細かい点にまでアドバイスしてくれる指導者は、親切な指導者。
お釈迦様は、たくさんの戒律を作って、
細かいマニュアルを示してくれたわけで、
親切な先生だと思います。
104:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/06 02:06:54
煙草でも食べ物でも、「おいしい」という裏には「もっと欲しい」という欲がある。
「もっと欲しい」という欲は、「まだ足りない」という不満、
つまり仏教で言う苦がある。
苦(不満)がなくなって満足したら、
「もっと欲しい」から「もうけっこうです」になる。
「もうけっこうです」となったら、もう、おいしいくなくなる。
「まだ足りない」という苦(不満)には、体からの不満と心からの不満がある。
体は空腹じゃないのに、心に不満があり、
それを満たすために食べる人がいる。
心を慰めるために、体に必要ない食べ物を食べるから、
体は悲鳴を上げてしまう。
心の不満が消えれば、体に必要ない物を摂取しなくていい。
心の不満を消すためには、
妄想を停めること、気付きを入れることが役に立つ。
その方法が、「ありのままに観る(ヴィパッサナー)」。
105:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/10 12:42:41
URLリンク(vayo.at.infoseek.co.jp)
106:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/13 11:38:45
キリスト教では永遠の生命を欲求するから永遠の生命を得るだろう
生命存在の本質は苦だとして永遠の苦
仏教の正しい修行ならばいつか解脱できる
107:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/14 20:00:15
>仏教の正しい修行ならばいつか解脱できる
激しく同意。
個人的には、そこに大乗・小乗の区別はない、区別して優劣を言い立てるのは解脱から遠ざかる行ないだと思う。
何故なら、世の中には様々な人がいるので、そのタイプに応じた解脱の方法が各宗派になったんだと思うから。
108:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/15 08:45:45
URLリンク(www.j-theravada.net)
上記は、テーラワーダ仏教協会HPのQ&Aコーナーです。
この中で、テーラワーダ仏教では食事前に何か唱えるのかという質問があります。
長老の答えの中に、日本のような「お食事祭り」はやらないとあります。
つまり、食べ物に対して「いただきます」と言う必要はないという意味。
別の本で長老は、食べものを用意してくれた
親とか店の人に感謝すればいいとは書いてましたが。
つまり、日本の僧侶がよく言うような、
他の生きものの命をいただくのだから食べ物に対して感謝していただきますと言う、
みたいな考えには否定的なんですね。
食べ物は自分の命を支える材料であり、呼吸も命を支える材料だけど、
いちいち呼吸に感謝しませんと言われてます。
たしかにそうですね。
109:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 09:48:17
スリランカの在家は慣習で言わないって話だろ
そういう文化はないと
>テーラワーダでは自由に何か唱えても構いません
いただきますもお百姓さんや作ってくれた人に感謝だったり
食い物に対してなら命を奪って食わねばならん懺悔の意味もあったりすんじゃね
110:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/11/15 10:06:50
>>109
生き物を殺して食べることへの懺悔の「いただきます」も、
日本の文化的な慣習なわけで、
日本の僧侶があたかも
仏教の説教みたいに言うのはおかしいわけですよね。
無難な道徳話だから説教ネタに使ってる僧侶が
けっこういるんじゃないかと思いまして。
111:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/15 20:21:24
いただきますのはじまりは全然違うんだけど?
仏教的な意味はまったくなしなんですがね
明治になって「つるかめの齢をねがうなら、つるつるのむな、よくぞかめかめ」とかいろいろあって
その中の「いただきます」がのこっただけなんだが・・・
「いただきます」は明治からの習慣なので
112:名無しさん@京都板じゃないよ
08/11/16 11:28:49
作者は何に対して「いただきます」と言ったのか
113:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/06 13:25:16
8.釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨[うら]みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢[たくはつ]しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」
「世尊よ、また他の町へ移ります。」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。
アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう。」
114:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/21 05:20:01
真実に現前の道理なり
115:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/21 10:29:34
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
生きとし生けるものの
悩み苦しみがなくなりますように。
生きとし生けるものの
願いごとがかなえられますように。
生きとし生けるものに
さとりの光が現れますように。
116:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/27 12:41:23
真理は事情に同情しない
中村天風ええこというわ
願望実現に自己暗示使うのは仏教的には違うと思うけど
URLリンク(www16.ocn.ne.jp)
117:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 09:04:44
願望があるということは不満(苦)があるということですからね。
118:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 12:15:46
欲望つーか向上心は必要だな
119:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
08/12/28 12:59:25
>>118 自分の向上心をみつめてみると、
結局は「慢」(自分と他人を比較してしまうプライドの煩悩)が根底にある。
まぁ、「慢」は阿羅漢果にならないと消えない煩悩だから、
とりあえずは仕方ないと思っています。
120:名無しさん@京都板じゃないよ
08/12/28 13:45:11
そりゃあ競争心があればな
同じ存在なんぞありえねえし他人と違いがあって差が出るのは仕方がない
一流アスリートのように自分の能力を高めるのに集中するってこと
121:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/07 13:19:28
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だといわれる
122:鎌田醤油 ◆xH8pjI9WaE
09/01/18 05:56:08
けちゃっぷさんこんにちは。
坊主のスレ追い出されちゃいました。
123:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 10:10:44
あはは。仕方ないですね。
先日、エホバの証人の勧誘の人に会いました。
宗教の勧誘の人とお話するのが大好きです。
124:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/18 12:31:46
どんな話すんの?w
125:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/01/18 22:28:45
まずは相手の話を聞きます。
で、疑問点を質問します。
126:名無しさん@京都板じゃないよ
09/01/26 13:09:35
例えば、最近の戦争を正当化するために、我々に要らない情報、間違った情報をバンバン流す。
私たちはそれに乗って、ああそうか、ああそうか、それは大変だ。と頭で考えてやはり戦争はするべきだと。
戦争に賛成している場合は、直接手を下していなくても、殺人の罪に汚染されています。
賛成していない場合は大丈夫ですが。
ですから、例えば、大変な悪人がいる、残酷に人を殺している、人を騙しているなどの話を我々は聞く。
その人が逮捕され、処刑されて、ああよかった、よかったと思うと、人が殺されたことを喜んでいる。
例え、合法的に殺されても殺生は殺生だから、その罪がこちらに入ります。
自分には全く関係ないのに。ただ、音を聴いただけなのに、何て悪いやつだと思うと罪が入ります。
URLリンク(www.geocities.jp)
127:名無しさん@京都板じゃないよ
09/02/23 14:45:25
ゲシュタルト崩壊URLリンク(d.hatena.ne.jp)
128:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/02/23 17:51:08
子供の頃にたまに、見慣れた家族に対して
「あれ、この人達が僕の家族だったっけ?」みたいな感覚になることがありました。
見慣れた顔なのに、見慣れていないような感じになる。
これもゲシュタルト崩壊?