08/12/08 13:48:02
巫女の処女性 -巫女論
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「記紀」では、共に冒頭で伊邪那岐・伊邪那美による国と神を産む話が語られている。
『古事記』の上つ巻において「我が身は成り成りて成り余れる所一所有り。故、この吾が身の成り余れる所を持ちて、
汝が身の成り合はざる所にさし塞ぎて、國を産み成さむと思ふ。産むこと如何に」伊邪那岐のこの言葉に、伊邪那美は「然善けむ」と同意する。
また中つ巻でも、大物主が皇后を探す折、自ら丹塗矢(赤い矢……男性器の象徴)に化けて美しい勢夜陀多太良比賣の陰上を突き、
これによって美しい娘が生まれたという描写がある。この他にも、神々のいわゆるセックスを描写したと思われるエピソードと云うのはたびたび出てくるのだ。
もし仮に性が強い「穢れ」の概念に支えられたタブーなのだとすれば、彼ら神々というのはずいぶん矛盾したことをやっているのだなあ、ということになってしまう。
別に神様がやってるんだからいいじゃんということではなくて、ここで大切なのは、少なくとも太安万侶らが『古事記』や『日本書紀』を記した時点においては、
人々の考え方として「性=穢れ」ではなかったということだ。この考えからすれば、巫女が処女である必要など本来はありえない。
つまり、巫女が処女でなければならないという考え方そのものが比較的新しく作られた概念なのではないかという推測ができる。