【総本山】 高野山真言宗総合スレ拾参【金剛峯寺】at KYOTO
【総本山】 高野山真言宗総合スレ拾参【金剛峯寺】 - 暇つぶし2ch144:ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y
08/10/21 20:44:40
>>141
私は学者ではありませんので、誰がどう訳そうと自分には興味がありませんし、答えようがありません。
自分の考え方の方向性を下記に記しましょう。

空海師と最澄師の経の解釈の仕方の違い
空海師の一切経開題という文章を見ると、経典に対して空海師が一切の想念は本心より生じ、本心は主であり、想念は客である。
心を本心と想念とにわけ、本心が主なるものであるにも拘らず、想念が主であると勘違いして想念が自分の心だと思ってるが、本心が自分の本当の心なのだと云われている。
そして本心を仏心と云っているのです。
仏心とは悟りのことで、その心の本心を知る事が悟りであるとの認識していたことが分る。
つまり空海師は経典を読みはするが、叙述はたどってはいないように見える。
空海師は般若心経から何の教義も引き出していないようにみえるからだ。
然るに思想は経文の中になく、むしろ空海師の側にあると考えるのが妥当ではないか。
経典の 内容は解釈によって定まり、解釈はその思想によって定まる。
従って般若心経の内容などというものは存在しないとさえとれる。
あるの は読んで得た理解だけであろう。それなのにどうして経典の注釈が書けたのか。
いや、書かなかったのではないか。般若心経秘鍵は注釈なのだろうか。
もしかしたら、当時の政治的配慮がなされてのことなのだろうか。
この般若心経を読んで判つたと思う人が居るのだろうか。
判ったという人が居るなら、それは少なくとも自然に生まれた解釈に賛同しただけではないのか。
悟りという言葉をよく使う人が居るが、どう定義して使っているか興味のあるところでもある。
注釈≠解釈



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch