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しかし、それを否定したのが大乗仏教といわれるものなのです。
もともとお釈迦様の仏教は戒定慧のシステムに則った物でした。
戒というのは七仏通戒偈でもわかるようにお釈迦様の発明ではなく、当時一般的なものでした。
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
もろもろの悪を止め、もろもろの善を行い、みずから心を清めよ、これが仏(過去七仏)の教えである。
他人をバカとかクソとかハジとか言うのはもってのほかということになります。
それは不妄語と言うより、そのようなことを口にする心は清くないということです。
修行者は波羅蜜を避けて通ることはできません。例えば六波羅蜜ということがあります。
布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜
これを守り通すことは大変なことです。しかし、それらなくしては本当の智慧は体得できないのです。
出家者でさえ困難なこの修行は、在家者にとってはほとんど手も足もでないものでした。
しかし在家者は仕方がないと諦めるかと言ったら、それで納得はしませんでした。
そこでおこったのが今は大乗仏教と呼ばれるものです。
いま六波羅蜜に注目してみると、そのうち智慧波羅蜜は他のものよりはるかに経済的、肉体的、
精神的苦痛をともないません。人々はそこに目をつけました、そして般若心経の登場となります
般若心経は般若波羅蜜つまり智慧波羅蜜だけで悟りを得られると説くのです。
しかも最終的には瞑想さえもすることなしに、gate gate paragate parasamgate bodhi svaha
と唱えさえすればよいことになってしまいました。
多くの人々がお釈迦様のつくりあげた智慧を体得するシステム、お釈迦様の方法論に
決別したのです。仏教はお釈迦様の考えていたものとは異質のものになってしまいました。