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延暦寺の世俗化やひずみもまた、良源の座主時代に著しくなった。
右大臣藤原師輔の子・尋禅(じんぜん)を、年次を無視して座主につけたり、
教学をめぐり山内で対立していた円仁派と円珍派の抗争を激化させ、
山門派と寺門派の因をつくたのは良源の失点といえるだろう。
良源の修法は伝説を生むほど霊験あらたかで多くの信仰を集めたという。
門下も非常に多く、中でも恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)は、日本浄土教の開祖となった名僧である。
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