08/04/23 05:03:01
>>207
今回の聖火問題でも、大本のチベット問題でも
議論しててしばしば思った事なんだが、
「出発点をどこに置くか」で結論は大きくかわっちまうんだよな
藤原正彦が言ったが、出自や家庭環境、学生時代に
何を学んだかでその人の思考の素地ができ、出発点が導かれる事になる
で、大抵の人間は出発点の大事さに気付かない
ここでの出発点は前提と捉えて差し支えない
具体的に言うと、
・ 中共を刺激したくない
→ 何故なら、中共を怒らせた結果自分が不利益を蒙る可能性があるから
→ よって、チベットの件で抗議はしない
・ 右翼と見られたくない
→ 何故なら、右翼とは大音量の軍歌をかけた街宣車を乗り回す厄介者だ(と思われている)から
→ よって、靖国には参拝しない
こういう前提と結果の相関になる
正義だとか道理だとか、そんな物は度外視して只不利益を恐れている
今は「事勿れ主義」から脱却すべきいい機会だと思うよ
26日、沢山の僧侶と国民が立ち上がる事を心から願っている