08/10/02 01:27:24
意思=肉体の生命活動と捕らえ、死んだら土に還るととことん思ってるなら、そりゃ死ぬ
のは肉体的な苦痛以上に怖いだろうね。しかし、デカルトの弁証法を利用して考えて見ると
我思う時は存在するが、この意思はどこから来たのか?生まれる前に意思は存在しなかった
仮定するならば、自分が意識することによってこの世界は成立するのではないか?さらに、
この我の意思が存在する今の時点で、自分より年長者の意思は自分の意思が生じる前に存在
することになる。そうすると、自我に認識されることにより存在するこの世界は、他者の認
識によりその存在を実証される=自我は受肉以前に存在するという考え方もできると私は考
える(これ一連の考え方が梵我一如の手っ取り早いやり方だと思う)あと、生まれた直後の
記憶が曖昧・或いは覚えが悪いのはなぜか?また、稀に(全ての人が同一ではなくというと
ころが重要)胎内での記憶がある子供の話で、いろいろな感情や思考が存在するのはなぜか
?人間的な営み・情報が与えられる前に感情的な意思が存在するのはなぜか?これらを考え
ると、単純に肉体的な生が終わると意思も消滅すると断言できない。死んだら土に還るとい
う人たちに問いたい。本当に死んだら全て消えると思うかい?そして、もし死んで肉体が無
くなっても意思は消滅せずに何か目的があるとするならば、一体その後何をすればいい?ど
こに行けばいい?「死」という、終結もない状態で意思のみが存在し続けるなら・・・これ
以上恐ろしく辛いことはないんじゃないか?
そして、受肉状態と関係なしに「意思」が存在し続けるなら、受肉状態での目的はなんなの
か?少なくとも、物質的な何かを手に入れるとか、死んだら手放さざるを得なくなるモノの
為だけに生きてるわけじゃないよな?
大分長ったらしくなってしまい、ハチャメチャになってきたからこれくらいにしとこ