10/05/25 14:58:32
お神楽は奉納者である参拝者が御祭神様に奉り御奏上するモノですから、
それに拍手喝采を送るのは儀礼上はおかしなことになります。
(自分の贈り物や行為に拍手喝采するようなもの)。参列者も同じ。
357:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/25 23:40:11
上の場合は
お神楽は奉納者である「氏子」が御祭神様に奉り御奏上するモノですから、
関係者である参列者がそれに拍手喝采を送るのは儀礼上はおかしなことになります。
(自分の贈り物や行為に拍手喝采するようなもの)。
と書くべきかと。
一般の参拝者(観光客)は別でしょう。
それに、拍手は、素晴らしければ自然と出てしまうものでしょう。
まあ、それよりも、
せっかく奉納するならもちょっとがんばってほしい、というだけなんだけどな。
358:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/27 00:23:03
…もうちょっと『頑張って』
359:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/27 01:04:35
一般の客だって拍手すべき場面かどうかぐらい空気読んでるよ。
360:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/27 10:41:09
うん。ちゃんと周りみて、空気読むよな…。
神事っていっても、思いっきり囃し立てたほうがいいのと、
厳かに見守ったりするのが相応しいのと色々あるし。
361:357
10/05/27 21:32:10
「がんばって」
ほしいのは練習だよ。
さすがに、本番の神事をがんばれという意味じゃない。
あたりまえだけど。
362:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/27 22:05:04
別に高い金払って見にきてるもんじゃなし素人集団に多少毛が
生えた程度のもんに期待するってのは酷なんじゃね。
って俺もめちゃくちゃ失礼だなw
まぁ実際どこもそうだとは思うけど、人材も練習時間もご予算も
めっちゃ限られた中での練習になるから高望みはどうかとおも。
363:357
10/05/27 22:19:56
>周りみて、空気読む
あれは、それとは無関係なLvだった。
自分の言った事が正しいかどうかは、来年自分の目で確認してくれ。
良くなってるなら自分が全面的に悪かったってことでいいから。
364:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/27 23:46:40
空気よめよ…。
365:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/28 22:57:34
>>352
尾張国初代行政機関は中島府。
奈良時代~室町時代の尾張国の行政機関は旧尾張郡の一つ
中島府(中島郡)にあり。国府、一宮、総社、国分寺、守護所、
屯倉跡、すべて中島郡にあり。大和朝廷との強い繋がりを感じます。
366:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/29 09:25:09
>>365
尾張国府が中島郡(現稲沢市松下)に設営されたのは、その当時は尾張の最繁華地
だったからなのだろうね。その首府に現在は惣社の尾張大國霊神社が併設された。
但し、すべて中島郡にありという中の一宮だけは、尾張氏遠祖天火明命を祭る
真清田神社だから所在地は中島郡でなく葉栗郡でしょ?
367:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/29 09:52:30
●鎌倉幕府●源頼朝:三河国額田郡矢作生まれ
【頼朝姻族】女系姻戚を指す、将軍御一家と同義
足利氏:母親(由良御前)の妹の嫁ぎ先の家系、藤姓熱田大宮司家(三河)姻戚
一条家:姉の嫁ぎ先の家系、藤姓熱田大宮司家(三河)姻戚、実朝暗殺後4代将軍は一条家から輩出
北条氏:正室の家系
【関東御分国】将軍家(鎌倉殿)が支配した知行国を指す、まず最初に三河、駿河、武蔵が指定される
源範頼:初代三河守、頼朝異母弟、平氏追討軍大将
足利義氏:将軍御一家である足利氏が三河守護になって以降関東御分国から外れ、足利一族が移り住む
*三河国は将軍御一家である足利氏が守護を努める
*尾張国は六波羅探題(京都)が支配する西国の一国にすぎない、三河人中条氏(三河国加茂郡高橋)が尾張守護を努める
●室町幕府●足利尊氏:三河国額田郡矢作生まれ
【将軍御一家】
足利将軍家(足利宗家、鎌倉公方のちに古河公方)
吉良氏:三河国碧海郡吉良
今川氏:三河国幡豆郡今川
【三管領四職】主に行政を司る高級官僚
細川氏(管領):足利一門、三河国額田郡細川
一色氏(四職):足利一門、三河国幡豆郡一色
【奉公衆】将軍直属の親衛隊、江戸時代の旗本に相当
三河国美濃国近江国で殆どを占める、三河国は最多人数の40人
*三河国は代々足利一門(仁木氏、一色氏、細川氏)が三河守護を務める、但し額田郡は御料地として幕府が直轄する
*尾張国はただの一国、三河人の一色氏(三河国幡豆郡一色)、今川氏(三河国幡豆郡今川)が尾張守護を努める
江戸幕府は説明するまでもなし、平成の時代に至るまで三河に寄生する歴史しかない
368:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/29 22:14:13
>>366
真清田神社は中島郡ですよ。現一宮市域の7割は中島郡。
ちなみに岐阜県羽島市の中南部も中島郡。
その当時は尾張の最繁華地だったからなのだろうね。
↑
繁華地と言うほどの地は史跡にはなく「市」「市場」なら
下津五日市、九日市場、付近だった。
369:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/31 21:53:43
>>366
大須観音も元は中島郡。
大須の地名も尾張国中島郡大須郷(現在の岐阜県羽島市)の大須から慶長17年に拝借した地名。
。「おおす」とは州、すなわち木曽川と長良川の合流により出来た古来からの地質名。その規模が大きい砂州から「おおす」と呼んだ。
370:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/31 22:06:39
>>368
>繁華地と言うほどの地は史跡にはなく「市」「市場」なら
>下津五日市、九日市場・・・・
商業が未発達だったろう奈良・平安期はともかく、貨幣経済が発達した室町期には
門前市ができていたのでは?下津五日市というのは、何寺の門前市ですか?
371:名無しさん@京都板じゃないよ
10/05/31 23:10:05
>>370
1313年頃、鎌倉時代、年号正和の話、下津五日市は。
「市」が開かれていた所在地でしょうね。鎌倉街道沿いにあたる場所だなぁ。
372:名無しさん@京都板じゃないよ
10/06/01 12:57:41
>>370
尾張大國霊神社の前で室町期に門前市が開かれていたんですか?
門前市となると尾張なら津島神社の門前市(農・商・工・)とか
真清田神社前の「三八市」とかが知られているが・・。
373:名無しさん@京都板じゃないよ
10/06/01 15:34:48
熱田さんに延命十句観音5000万回以上しろ。とまわして
374:名無しさん@京都板じゃないよ
10/06/01 20:45:38
>>370
下津は、備前国下津井と違いShimonotsuでなくOritsuと読むんですね。
往古には、五条川にも港があったんですね。
URLリンク(kotobank.jp)
375:名無しさん@京都板じゃないよ
10/06/01 22:48:41
下津には尾張国守護所が置かれた。交通、商業の要所であり
市場や寺社が集まるようになる。地方都市としての役割を果たしていた。
376:名無しさん@京都板じゃないよ
10/06/02 00:43:24
藤原李兼(別称:三河四郎大夫、額田郡に居住)
・伊勢神宮の荘官、額田郡(岡崎北部)の伊勢神宮領を開拓管理する
・三河に居住しながら尾張目代(尾張国司に代わり尾張国地方官吏を監督)を努める
・生涯、三河の屋敷に居住する
藤原李兼(別称:三河四郎大夫、額田郡に居住)→藤原李範(別称:額田冠者、初代藤姓大宮司)
・額田冠者とは額田郡(岡崎市北部)に生まれ育った若者の意味
・熱田大宮司になる24歳まで額田郡(岡崎市北部)に父親と居住、その後京都の熱田社領に転居
藤原李兼(別称:三河四郎大夫、額田郡に居住)→藤原李範(別称:額田冠者、初代藤姓大宮司)→由良御前(源義朝の正室)→源頼朝(初代鎌倉将軍)
・源頼朝(初代鎌倉将軍)の母の実家は額田郡(岡崎市北部)、頼朝は岡崎生まれる
藤原李兼(別称:三河四郎大夫、額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、初代藤姓大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼(二代目当主、鎌倉将軍家一族、御門葉筆頭)→足利義氏(三代目当主、三河守護)
・源頼朝(初代鎌倉将軍)と足利義兼(足利二代目当主)はいとこであり、鎌倉将軍家一族(御門葉)とみなされたは三河つながり
・足利義氏(足利三代目当主、三河守護)にとって三河は祖母(藤原李範の娘:実父は長男の範忠)の実家
名古屋に戦国時代以前の史跡が殆どない理由分かりましたか?w
歴史上現在に至るまで一貫して西三河は勝ち組、尾張の猿はウンコして寝た歴史しかないw