08/05/01 22:16:01
>>868
不空三蔵はこうした善無畏・金剛智の行状を具に見て、不審を抱いたか印度に帰って竜智に面会して密教を習いなおしてのち、
天台宗に帰依したが、改宗を表にあらわさないままでいた。
そんなところに(またしても)雨乞いの勅命がきた。(今度は)三日で降ったので皇帝自らが御褒美をもってこられたが・・・
まもなく(またしても)、宮廷も、貴族の館も風害にあって残らず倒れてしまった。(立派な御殿がそうなんだから庶民の家屋は目もあてられない様だろう)
皇帝は再び勅命によって大風害をとめさせようとなされたが、数日間吹き続けた。
結局のところは、使いに護送させて不空三蔵を追っ払ってのちに、やっと風害がおさまった。という、記述。
善無畏・金剛智・不空の真言八祖の内の御三方の雨乞いとは、こういうものであったという、「宋高僧伝」の記述。
ただし、これはこの三人のみならず。漢土・日本のすべての真言師の起こす大風害である。
「報恩鈔」の記述と、そのもとになった「宋高僧伝」をば、当世日本国の一切の真言オタさん達に
>>868さんのリクエストによって自分の言葉にしてみただけ。