08/03/09 02:42:23
>>328
> 2つ目。「一念三千」は観念的な成仏のきらいがある。天台チギ、
> 最澄、日蓮のいずれの祖師が「社会的な事業」を行ったかは寡聞。
大乗の僧の仕事は、衆生に「如何に生きるべきか」を教えること。
社会的な事業は、本来在家の仕事である。
> 3つ目。崇拝の対象を「無情」に拡大するならば、本尊は何でもいいことになる。
無情に無制限に拡大するのではなく、可能性の問題。
仏教の立場なら、無情も含めすべてに仏性があると(草木成仏)すれば、無情の本尊にも仏性を表すことが可能。
> 四つ目。一念三千は華厳経の「一即他」「三界唯心」や愉伽唯
> 識派と何が違うのか。何か大きな違いはないように思うが。
(「一即他」は詳しく知らないのでパス)
「三界唯心」一切は心が作り出すもの?とんでもない。
(詳しくないのでこれを参照した。唯心思想の展開URLリンク(www.realintegrity.net))
例えば、万有引力は有情がいてもいなくても(理解してもしていなくても)すべての質量に存在し、引力の範疇で世の中のすべてを司っている。